第16話 錬金術師ギルド・テトラ

 恥ずかしくて、今すぐこの場から逃げ出したい。

 私は案内された質素な――テーブルと椅子が四脚以外に家具のない――部屋で、勧められた椅子に座りながら、私は、ただただ考えていた。

 今日は、私の錬金術師としての第一歩だった。私が師匠の工房に通い初めて数年が過ぎて、ようやく訪れた機会だった。

 師匠のような素晴らしい錬金術師を目指すことが出きると思うと、飛び上がって喜びを表したいくらいだった。

 それなのにリンタローのせいで台無しになった。

 待ち望んだ日。待ち望んだ言葉。それが突然、訪れて、心の準備が出来るはずない。母様に『裏山に住み着いたワイバーンが煩いから全て狩ってきなさい』と言われるのとわけが違う。

 師匠のお使いで、何度も足を運んだことがあるはずの錬金術師ギルドの建物。今までは、特に気にすることなく、ひょいと入れていたはずの建物。

 なのに、私は建物をめのまえにして、緊張で足がすくんでしまい、動けなくなってしまった。

 領地で、はぐれドラゴンに遭遇したですら、これほど緊張しなかった。

 でも、家を出たとはいえ、私はリリーシェル家の血を受け継いでいる。困難を乗り越えれないはずがなかった。

 だから、時間がかかったとしても、私は私の足でギルドの受付にたどり着けたはず。たどり着くべきだった。

 なのに、リンタローが、わ、私を抱き上げ――


「……リリーシェルさん、リリーシェルさん」

「は、はい! なんでしょうか!」

「錬金術師として、ギルドに登録するにあたって必要な手続きを始めても大丈夫ですか? 体調がよろしくないのであれば、日を改めても問題ありませんよ」

「大丈夫ですから! 全然、問題ありません」

「本当か? ずっと上の空な感じ、絶対いつもと違う――」

「リンタローは黙ってて!」


 横から茶々を入れてきたリンタローを睨み付ける。彼は頬に氷嚢を押さえつけながら、明後日の方に視線をそらす。

 そんなリンタローの仕草にに何故か苛立ってしまう。

 露骨に誤魔化すくらいなら、初めから私を抱き上げて受付に運ぶべきじゃないと私は思う。

 ぐぐぐっ、と眉間に眉が寄っていく気配。私はあくまでも瀟洒な動きで、眉間を指で伸ばす。


「本当に始めても大丈夫ですか?」

「大丈夫です。大丈夫ですから、ギルドに所属するために必要な手続きを教えてください」


 心を静め、私は受付にいた女性職員――師匠のお遣いで顔を合わせたことがある――ミリーさんに返事をする。彼女は、くりくりと動く大きな瞳と大きなメガネが特徴で、小柄なこともあって、気が弱そうに見えるけど、芯の強いしっかりとした女性で、私も見習うべきところが多い。

 ミリーさんは、テーブルに蝋封された封筒を置く。印璽されているのは、当然、師匠の紋章――二匹の蛇が自分の尾を喰らい円を作り、鎖のようになっている――だった。


「そこの彼、ソーマさんだっけ、が持っていた封書は、中を確認しても大丈夫かしら?」

「はい。大丈夫です。師匠が準備してくれた推薦状なので」


 握りつぶしそうだったので、リンタローに預けていたことは伏せておく。

 ミリーさんは、ペーパーナイフを手にすると、慣れた手つきで封蝋を剥がす。そして、中から両手を並べたくらいの便せんを取り出す。

 ミリーさんは便せんを確認すると、こめかみを指で突っつきながら唸る。顔には「困った」という感情がハッキリと浮かび上がっていた。

 また、師匠が無茶苦茶なことを書いていたりしたのかしら。

 ミリーさんは、深いタメ息をつくと、私に視線を戻す。


「推薦状に明確なレイアウトはありません。推薦者が誰なのか、誰を推薦するのか、なぜ推薦したのか。この三点がわかれば問題ないとなっています。どんな推薦状でも、最終的に管理するための書類に職員が書き写すからです」

「シノさんから預かった推薦状が条件を満たしていなかったんですか?」

「いえ、違います。推薦状としては、条件を満たしているので、安心してください、ソーマさん」

「では、私が登録するに値しない存在だと……」

「そんなことはありえません。あのアキツシマさんのお弟子さんなら、将来有望、当支部の期待の新星になれますよ」


 では、ミリーさんは、ため息をついていたのだろうか。

 私とリンタローが首を傾げていると、ミリーさんは、手にしていた推薦状をテーブルに広げる。

 私とリンタローは広げられた推薦状を覗き込む。

 そこには、黒いインクで縦に横にグニャグニャと曲がる線がいくつも描かれていた。線の太さも一定ではなく、羽ペンのような筆記具を使って書いたように見えない。

 はっきり言って、私にはラクガキにすら見えない。

 サーッと私の頭から血の気がひいていく。

 師匠は推薦状と言っていたが、間違った紙を封筒に入れたのではないか。いや、師匠ならイタズラ書きした紙を入れて、みんなを困らせるようなことをする可能性は十分ある。

 私は慌てて椅子から立ち上がる。リンタローが私の腕を掴むが関係ない。彼を引きずってでも師匠の元に戻らないといけない。


「す、すみません! すぐ師匠に――」

「落ち着け、テトラ、ミリーさんは、"推薦状として問題ない"って言っただろ」

「はい、推薦状として条件は満たしていますよ」


 私がストン、と椅子に座ると、リンタローは掴んでいた手を離す。ミリーさんが苦笑しながら、推薦状に走る線を指でなぞる。


「……ただ、書かれているのが扶桑文字なんですよね。しかも今主流で使われている文字ではなく、だいぶ古い時代に使われていた文字なんですよ」

「へ?」

「……やっぱりか。俺は読めないけど、見たかことある文字に似てるよーな気がしたんだよな」

「わたしを含めて、何名か読めるギルド職員はいるんですけど……。アキツシマさん、たまに普段は使用されていない文字とか言語とか使われるんですよ。覚えて使わないと意味がないって言われて」


 苦笑するミリーさん。つまりどういうことなの?


「シノさんなら、笑顔で古代文字で筆談始めそうだ。しっかし、テトラはラッキーだな。読める人が受付じゃなかったら門前払いだっただろうし」

「その認識は甘いですよ、ソーマさん。どういう情報網をアキツシマさんが構築されているのかわかりませんけど、確実に文字と認識できる職員が目にすることまで考慮して、あの文字で推薦状を書かれていますから……」


 どこか遠い目をしながら、喋るミリーさん。全身から哀愁が漂ってきた。


「とりあえず、ギルドマスターに推薦状の報告をして、手続きの準備を整えるから、二人はこの部屋で少し待ってて」


 そう言って部屋をあとにするミリーさん。私は彼女の気配が部屋から遠ざかっていったのを感じ取ってから、安堵のため息をこぼした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る