第15話 錬金術師ギルド

 中堅商会の建物程度の大きさ――二階建てのこじんまりとした赤レンガ造りの建物の前に、俺とテトラは並んで立っている。

 ちらり、と横を見ると、テトラは両手を胸の前で握りしめ、緊張した面持ちで建物を睨んでいた。腰もひけているので、完全にビビっているのが一目でわかる。

 俺はテトラの珍しい姿に苦笑しながら、彼女と手にしている蝋封された手紙を交互に眺める。

 シノさん曰く「紹介状を受付に渡して、受理される待ち時間に、錬金術師ギルドの説明を聞き流して終わりじゃ」とのこと。久々に書いたという紹介状は筆が乗ったと言っていたのだが、悪い予感しかしない。


「テトラ、緊張しすぎだって。シノさんも言ってただろ。気楽な感じでパパッと受付に紹介状を渡して終わりって

「き、気楽に出来るわけないでしょ! わ、私の、れ、錬金術師としての、第一歩なのよ!」


 顔は緊張したままなのに、テトラの通りの良い声はそのまま。通行人が驚いてこちらを見てくる。せめてもの救いは、メインストリートの端の方で、人通りがまばらだったこと。

 俺は愛想笑いを顔に貼り付け、振り向いた通行人にお辞儀をして、何も問題ないことをアピールする。

 お辞儀って、この世界でも通用する仕草なんだな、と妙な親近感が湧く。

 隣では通行人など眼中にないテトラが、深呼吸を繰り返している。目の前の建物――錬金術師ギルド、バルトブルグ支部に入る気配は一切ない。

 このままでは日暮れまで深呼吸を繰り返しそうなテトラ。俺は額に手をあてながら、ハァーと深いため息をつく。

 脳裏に出かけにコッソリと耳元でシノさんが呟いた言葉が再生される。彼女は「今のテトラはので引っ込み思案なのじゃ。埒が明からぬと凛太郎が判断したときは、抱きかかえても受付を済ますのじゃぞ」と言っていた。

 今まさにという状況。もし、俺が元の世界で断りもなく、クラスの女子を抱きかかえたらどうなる? 非難轟々で、精神的な苦痛により、転校を余儀なくさせられるだろう。

 でも、ここは異世界で、元の世界とは倫理観念とか違うはず。許される行為だから、シノさんが俺に囁いたのかもしれない。

 俺は腹を括って行動に移す。


「とりあえず、批判は受け取らない。いつまで待っても、中に入らなかったテトラが悪いんだからな」

「え? あっ! ち、ちょっと、リンタロー!」


 俺は、テトラの背中に手を回して脚を掬い上げ、問答無用でお姫様抱っこをする。俺はテトラが予想より軽くて驚いてしまう。

 そう思ったのは一瞬で、俺の思考は即切り替わっていた。

 テトラのメイド服越しに伝わってくる体温と柔らかさ。ほんのりと甘い香りと息づかい。彼女の動きに合わせて金髪が揺れ、俺の肌を撫でる。

 脳天まで血が逆流してしまいそうな感覚が俺を襲う。

 ヤバい。何がヤバいのかわからないがヤバい。俺のうちに秘められているケダモノ的な何かが解き放たれてしまいそうだ。

 俺はギリリッと奥歯を砕く勢いで噛み締め、身体の内側で暴れるケダモノを抑え込む。ここでケダモノを解放させてしまうと、テトラの俺に対する信頼度とか諸々のものが更地になってしまう。


「り、リンタロー! お、下ろして!」

「やだ。暴れるなよ、テトラ。スカートが捲れるだろ」

「――ッ! ヘンタイッ!」


 ジタバタと手足を振り回していたテトラは、俺の言葉に呆けるが、次の瞬間、両手でスカートを押さえる。

 恥ずかしさに顔を真っ赤にしただけでなく、口をキュッとつぐむテトラ。俺を睨む瞳は潤んでおり、妙な熱ぽさがあり、絶大な破壊力を内包していた。

 わずかでも視界に収めてしまえば、理性が崩壊すること間違いなし。俺は必死に腕の中のテトラを意識から排除し、すり足で建物の入り口に近づく。


「お、おろしてよ……リンタロー……」

「やだ」


 潤んだ瞳で、上目使いで訴えるテトラ。消え入りそうな声に、俺は無意識に生唾を飲み込む。俺たちのただならぬ雰囲気に気づき、唖然とした表情で見守る通行人たち。

 俺はテトラを抱き上げたまま、器用に足で引き戸を開けてギルドの建物に入る。見渡すと冒険者ギルドと違い、フロアに人の姿は疎らだった。

 それでも俺たちの姿は悪目立ちしすぎて、フロア中の視線を集めてしまう。

 俺の腕の抱かれたままのテトラは小さく身を縮めて、真っ赤な顔で「バカバカバカ……」と小さく呟き続けている。

 テトラの恐ろしいまでの可愛さが、俺の理性をゴリゴリと削りとっていく音が聞こえる。色々と限界が近いことを俺の本能が教えてくる。俺は、カウンターの内側で呆然と俺たちを見つめている女性職員に駆け寄る。


「ギルドの、登録って、こっちで、いいんで、すか?」

「え、あ、はい。ここで受け付けてますよ」


 俺の質問に、呆然とした表情のまま、反射的に答える女性職員。その言葉に俺は安堵の息を吐きながら、抱き上げていたテトラを下ろす。そして、少し皺が出来てしまった封筒を女性職員に差し出す。


「預かってきた推薦状です。登録するのは俺でなくて、テトラこっちです」

「あ、はい。登録するのは貴方じゃないなね。この推薦状は――」

「バカリンタローッ!」

「ゲバッ!」


 女性職員が封筒を受け取った瞬間、俺の鋭い痛みと同時に視界が目まぐるしく変わり、背中に衝撃が突き抜ける。ワンテンポ遅れて視界に天井が映っていることに俺は気づく。

 何が起きたかわからない頭と上手く動かない体を動かして、俺は周囲を確認する。先ほどまで俺が立っていたであろう場所に、右拳を突き出した体勢で固まっているテトラが見えた。

 まさかテトラの右ストレートで、俺は錐揉み回転しながら、吹っ飛ばされたってこと?


「い、いきなり、何しやがる……」

「それは、こっちの台詞よ! いきなりなんだもん! おろしてって、言ったのにおろしてくれないんだから! リンタローが悪いのよ!」


 生まれたての子鹿のような動きで、俺は何とか起き上がる。カウンターを支えにテトラのそばに戻る。


「いつ、までも、中に、入らなかった、テトラか、悪いんだろ」

「女の子の決心がつくまで待つべきでしょう! それが紳士よ! 初めてのことだから、早ければいいものじゃないのよ!」


 涙目のテトラが上目遣いで俺を見つめてくる。彼女のやや乱れた衣服に高揚した頬。そして、荒い息づかい。

 俺とテトラの間には、やましいことは何一つない。それなのに妙な熱気を帯びた視線が俺たちに注がれている。フロアの彼方此方から生唾を飲む音がまで聞こえてくる。

 テトラの一撃のダメージが抜けてきたおかげか、俺はフロアの異様な雰囲気に気付いて気圧されてしまう。


――バンッ!


 耳をつんざく音。視線を向けると女性職員が顔を真っ赤にしながら立っていた。手にしている束ねた書類は先程の音の原因――カウンターに叩きつけたのだろう。


「お二人とも、奥の部屋にきてください!」


 その声で、ようやくテトラはフロア中の視線を集めていたことに気づくのだった。

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