第8話 異世界二日目・朝食②

「なんだこの小僧は? シノ様、ちょいと趣味が悪くなったんじゃねーか?」

「ガルムよ、己の顔を鏡で確認するのじゃ。汝と凛太郎を比べた場合、凛太郎の方が何千倍も可愛げがあってマシじゃ」

「何千倍って、そりゃ言い過ぎじゃねーか、シノ様」


 シノさんの言葉に、熊のような中年男性――ガルムのおっちゃんは、嘆息しながら俺から離れる。齧りつかれるんじゃないかとヒヤヒヤしていた俺の肝っ玉は、ガルムのおっちゃんが離れても縮みあがったままだ。

 ガルムのおっちゃんは、ボリボリと頭を掻きながら、シノさんと俺を交互に見比べる。品定めされているようで気分は良くない。


「ガルムよ、人を見かけで判断すると痛い目に遭うと、いつも言うておるじゃろ。凛太郎こやつは、昨日に汝が出前してくれた料理を物凄く美味そうに、瞬く間に平らげたのじゃぞ」

「……おい、小僧。シノ様の言ったことは本当か?」

「は、はい! パンもスープすっげー素材の味が濃くて、一口食べたら止まらなくて、食いまくってしまいました!」

「ほほぅ、食いまくったのか?」

「す、すいません! あ、味わう間もなく食い終わりました!」


 ガルムのおっちゃんのデカくてゴツい手が、俺の頭に置かれる。

 潰される、と俺の本能が警鐘を鳴らす。逃げ出したい衝動を必死に抑える。ガルムのおっちゃんの手を振り払えるか? むしろ刺激すれば反射的に頭を握り潰される可能性もある。

 ダラダラと肌を脂汗が流れ落ちる感覚。恐怖のために俺の顔は、ひきつった笑みが張り付いて剥がれない。

「小僧、運が良かったな。今日のオレ様は気分がいい。すぺぇしゃるな朝食を用意してやろう」

「あ、ありがとうございます!」


 ニヤリと野太い笑みを作りながら、ガルムのおっちゃんはノシノシとカウンターの方に歩いていく。たぶん奥に調理場があるのだろ。

 俺はドッとした疲れが襲ってきて、思わずテーブルに伏してしまう。


「こ、殺されるかと思った……」

「安心するのじゃ。ガルムは、ああ見えて子ども好きだ。それに下手の何とやらで料理好きでもある。己が作った料理を美味いと申した凛太郎に手荒なことはせぬよ」

「それならそうと、先に教えてくださいよ……」

「言うてしもうては、面白味に欠けてしまうじゃろ」


 コロコロと無邪気に笑うシノさん。

 その姿に怒りが吹っ飛び、抗議を起こす気力がゼロになる。人徳のなせる業かもしれないが、被害者は泣き寝入りしか出来ないなんてチートだ。普段からテトラが苦労している理由がよくわかる。


「さてさて、料理を待つ間に、少し話をしておくかの。凛太郎がこのテーブルに違和感を感じた理由じゃ。の結界を発生する魔導具マジックアイテムを設置しておる。そのおかげで、このテーブル席は店がどんなに客で溢れかえろうが、客はこのテーブル席に近づくことすらしないのじゃ」

「認識阻害……。でも、シノさんは真っ直ぐにこのテーブル席に座りましたよね」

「そうじゃな。妾の瞳は特別が故、程度、簡単に見破ることが出来るのじゃ。もっとも設置している魔導具の等級にもよるが、無効化する魔導具を準備すれば、誰でも看破することが出来るぞ」

「特殊効果のある魔導具……。相当高価な物じゃないですか? 普通は飲食店に設置したり、食事のために装備したりしませんよね?」

「値段は魔導具の等級でピンキリじゃ。まあ、それなりの財力があれば貴族でなくても手に入れることは可能じゃ。このような場末の飲食店に設置されるような品物ではないことは確かじゃな」

「じゃあ、なんでそんな高価な魔導具が、この店に?」

「話せば長くなるので端折るが、ガルムは若い頃はヤンチャで色々やらかしておってな。ヤバい連中を炙り出すために妾が設置してやったのじゃよ。この席に気づく輩は一般人ではないと一発でわかる上に、妾がいつ立ち寄っても必ず席が空いてて便利じゃろ」


 ガルムのおっちゃんのために、シノさんが一肌脱いで認識阻害の魔導具を設置してやったのだろう。だが、シノさんにとっては自分専用の席を準備したという方が目的だったんじゃないか。

 何を言っても無駄な気がするので、俺は気がつかなかったことにする。


「シノさん、俺は特別な魔導具は持っていないのに、違和感を感じたんですか?」

「妾も完璧な説明は出来ぬが、それでもよければ話してしんぜよう」

「ぜひとも、お願いします」


 シノさんは、ローブの袖から手のひらサイズの丸い水晶を取り出す。どんな製法かわからないが、水晶の内部には幾何学模様――魔法陣が描かれている。不思議なのは目線を変えても魔法陣の見え方が変わらないという点だろうか。


「さあ、受け取るのじゃ」


 俺はシノさんから水晶を受け取る。受け取った水晶から手のひらに、ヒンヤリとした感触が伝わってくる。


「両手で包み込むように、水晶を持ってみよ」

「こう、ですか?」


 水晶の三分の二ほどを両手で包み込むと、シノさんが満足そうに頷く。それを確認して俺は手の中の水晶をジッと見つめる。

 じんわりと俺の体温で温まっていく水晶。特に変化はない。

 数分が過ぎたところで、俺は口を開く。


「……シノさん、渡された水晶ですけど、何の意味があるんですか?」

「本来は意味がある行為じゃ。だが、凛太郎に限って言えば無意味じゃな」

「どういうことなんですか?」

「その水晶は、持った者の魔力を測定する魔導具なのだ。水晶の発光具合や色などで、魔力を測定することが出来るのじゃ。見てわかるように、凛太郎には一切反応しておらん」


 シノさんの言葉に、俺に大きな衝撃を与える。

 異世界ファンタジー世界。誰もが望むのは魔法やチートスキルと相場が決まっている。俺だって異世界転移したから、神や女神からチートスキルをゲットしているはずと信じてるんだ。

 魔力を測定する水晶が反応しないとか、想定外だ。動作不良に違いない。

 俺は水晶を掲げるように持ち直し、様々な水晶から確認する。わずかな輝きも色の違いも見落とすつもりはない。

 右、左、上、下、斜め左下――


「往生際が悪いの。この世界で魔力ゼロは超稀じゃ。何故なら、この世界のありとあらゆるモノに魔力が宿っておるからだ。どんなに魔力が乏しい者でも水晶は反応するのじゃが、無反応とは驚きじゃ」

「待ってください、俺は本気出せてないだけなんです。あと少し本気出せば、水晶から眩い輝きが」

「そもそも、凛太郎は元の世界で魔力を持っておったのか?」

「……持ってません。魔力自体、存在しない世界、でした」


 俺は自分の口で死刑宣告をさせられる。魔力がない世界から来たから魔力がないっておかしくない? 魔力がない世界から来たからこそ、膨大な魔力を内包しているってのが自然な流れじゃない?

 俺は魔法が使えるフラグがへし折られた音を聞いた気がした。

 俺はうなだれながら、シノさんに俺の体温で温まった水晶を返す。


「なにゆえ、凛太郎はそこまで落ち込んでおるのじゃ。とにもかくにも話を続けるぞ。妾は凛太郎が魔力のない世界からきたので、魔力を蓄えることができないと考えておる。魔力を持たぬので、魔力による干渉も受けぬ。今まで魔力に接したことがなかったため、魔力の流れにも敏感なんじゃろう」

「……それは、役に立つことなんですか? 魔力がどれくらいあるかが重要じゃないんですか?」

「王宮など、色々と危険が蠢いておる場所では重宝されそうな体質だと思うのじゃ。魔力を用いた状態異常を引き起こす魔導具は定番じゃからな」

「王宮……、つまり、エリート……、上流階級のような扱い……」

「そんな扱いされるわけがなかろう。すぐ死ぬかもしれぬのに、家畜と大差ない扱いじゃぞ。情や情けをかける意味がないからの」


 シノさんは、やれやれと頭を振る。

 このままでは、魔力がないことに対する利点はゼロだ。せっかく異世界に転移したというのにチート能力も無しでは、あんまりじゃないか。

 俺がよっぽどヒドい顔をしていたのか、シノさんがテーブルから身を乗り出し、俺の頭をなで始めた。

 悔しいけど、ただそれだけで心の傷が癒されてしまう。ふわりと漂ってくる甘い花のような香りに頬が弛んでしまう。


「凛太郎に魔力がないことは、保護したときから気づいておったのじゃ。ただ視覚的に見せねば理解できぬと思って、魔導具を用いたのだが、それほど動揺するとは思わなんだ。すまぬ」

「異世界だから、魔法とか存在する世界だから、使ってみたかったんです……」

「元々使えぬものに対する羨望というやつか。ま、初めから魔力はないのじゃ。魔力がないことをいつまでも未練がましく考える必要はないじゃろ」

「それは、そーかもしれないですけど……」


 諦めきれない夢がある、と俺は口の中で呟く。俺の様子から何かを察したのか、シノさんは肩を竦めて嘆息する。


「そう不服そうな顔をするでない。一応、魔力の低い者向けに作られた魔力蓄積型魔導具ならば、凛太郎も扱えるはずじゃ。妾の気が向けば、初級魔術が発現する魔導具を錬成してやるので、機嫌を直すのじゃ」

「……わかりました」

「うむ。物わかりのよい男子おのこは大物になれるぞ。で、話を戻すのじゃが、凛太郎は魔力がないので、当然、魔術師にはなれぬし、錬金術師のような錬成時に魔力が必要になる職にも就くことは出来ぬ」

「……冒険者とか商人になれと言うんですか?」

「まあ、待つのじゃ。職云々より先に凛太郎を元の世界に還す算段の方が先じゃ。凛太郎に魔力があれば、魔術師にならせて、転移魔術を汝で改良させて、元の世界に還らせる予定じゃった。魔力がないので、別の手段をとらざるえないのじゃ」

「別の手段……。魔力がない俺向けってことですか?」

「左様じゃ。凛太郎には魔力がないため魔術は使えぬ。なので、魔導具を頼ることにするのじゃ。ただし、元の世界に魔力がないため、転移系は失敗する確率が極めて高いのじゃ」

「……魔力が偏在していない場所に、魔術の効果が伝播しにくいとか……」

「察しがよいの。実にその通りじゃ。魔力の薄い場所で魔術を使用することは極めて難易度が高くなる。なので、魔導具も転移系ではなく、使用者の願いを叶える系に望みを託すことになる」


 転移魔術とかなら成功するかもって思えるけど。使用者の望みを叶える系って言われると一気に胡散臭さが増す。

 俺が魔導具を使った瞬間に、元の世界に帰りたいって思わなければ発動しないとか、別のことが叶うとか、安定性もなさそうだ。


「凛太郎を元の世界に還す可能性がある魔導具となると、生半可なものでは不可能じゃ。そこで妾が白羽の矢を立てたのは、『虹の雫』という魔導具じゃ。レヴァール王国に建国時より、代々王に受け継がれておるもので、神から授かったといわれておる。ヒトが神の奇跡を起こすことが出来る最上等級の魔導具なので、秘蹟ひせきともいう」

「……それって難易度高すぎませんか? 王様に受け継がれているような魔導具て、一般人が触れることはおろか、見ることすら叶わないんじゃないですか。王国の危機とかを救う規模の功績があれば恩賞とかで使わせてもらえそうですけど……」

「そーじゃな。凛太郎が長耳ちょうじ族であれば、可能性はゼロでなかったかもしれぬな」

「……完全に望みなしって言ってませんか?」

「まあの。良くも悪くも今の大陸は安定期じゃからな。だから、王が保管している虹の雫を使うのではなく、素材を集めて錬成する方向で攻めることにするのじゃ」

「へ? 秘蹟っていわれるような凄い魔導具が作れるってことですか?」

「左様じゃ。神から授かったと風潮しておるが、実際は初代錬金術師ギルドの長だった男が錬成した魔導具じゃからな」

「ちょちょちょ! そんなことぶっちゃけていいんですか!」

「構わぬよ。大々的に公言はしておらぬだけで、錬金術師ギルドの古い資料を調べればわかるからの。そもそも錬金術師ギルドの幹部になるときに教えられることじゃ。他言できぬように誓約魔術を施されてな」


 国の基幹に関わることをサラッと教えられ、俺の脳が混乱する。俺の反応が嬉しいのか、シノさんの笑顔が輝きを増している気がする。


「凛太郎は錬金術師になれぬが、ちょうどテトラがおる。二人で協力して虹の雫を錬成する。凛太郎は元の世界に還れる。テトラは一流の錬金術に成長する。完璧な計画じゃろ」

「まったく穴だらけの計画ですよ! なんでシノさんが計画に登場していんですか!」

「そこはやむ得ない理由があってのことじゃ。妾はヒトの世界のことに多く手を出すことは止めておるのじゃよ。大丈夫じゃ、テトラは一流の錬金術師になれるはずじゃからな」

「いやいやいや、そんな保証のないことを笑顔で言われても!」

「なんじゃと、テトラは才能が無いと申すのか? ならば、どこかで戦争でも始まるように妾が小細工をしてやろうぞ。そこで凛太郎が大活躍すれば、恩賞で虹の雫を拝むことが出来るかもしれぬ。さらに大陸の平々凡々な日常に面白味も出てきて一石二鳥じゃ」


 ケッケッケ、と口の端を持ち上げて、愉快そうに笑うシノさんに俺は戦慄してしまう。

 冗談に聞こえないんだよな。と思わず心の中で俺は呟いてしまうのだった。

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