第7話 異世界二日目・朝食①
小鳥のさえずりとガヤガヤとした喧噪。水底から意識が浮かび上がって行くような感覚。俺はのそりと上半身をベッドから引き剥がす様に起こすと、欠伸を噛み殺しながら時計を探す。
時計がどこにもない、というか寝ているベッドも部屋も見慣れた物が一つもない。
「……そっか、俺は異世界にいるんだった。実感は薄いけど。よくよく思い返したら、俺って迂闊すぎるよな」
俺は眠気の残る頭で、前日の記憶を振り返る。
学校帰りに異世界転移して、シノさんに保護されて、飯食って寝ただけ。この世界の状況とか自分の状況とか確認するべき事は山ほどあったはず。
後悔に苛まれて俺は頭をかきむしる。
シノさんが善人でなかったのなら、寝ている間に身ぐるみ剥がされて、人買いに売り飛ばされていた可能性もあった。
危機管理の出来ない平和ボケの日本人、俺は自分をこけ下ろす。
そもそもシノさんに保護されていなければ、あの森で死んでいた可能性も高い。サバイバル技能なんて俺は持ち合わせていないからな。
俺は、森であったシノさんの神々しい姿を思い出す。
木々の隙間から差し込む光にキラキラと輝く銀糸のようなストレートの髪。金色の射抜かれる様な鋭い双眸。白磁の様な白い肌に、豊かな双丘を備えた抜群のプロモーション。
誰でも見惚れる姿に違いない。まあ、その時に狐耳とか尻尾とか気にしなかった俺は中々ボケていると思わなくもない。
「やっぱり、シノさんの神々しい姿を目にすれば、誰でも安心して気を許して当然だ。むしろシノさんを見て、悪人と判断できるやつの方が異常。シノさんを見て女神の類を彷彿して当然――」
「ふむ、ずいぶんと妾のことを持ち上げてくれるの。実に悪い気はせぬな」
「――ッ! シノさん! いつからそこに!」
聞こえてきた声に、ベッドで悶えていた俺は慌てて起きあがる。見ると部屋の入り口にシノさんがニヤニヤと笑いながら佇んでいた。
聞かれていた! と思うと同時に恥ずかしさで一気に顔が赤くなっていく。同時に寝起きというのに、一気に上昇した体温に反応して、俺の全身から汗が噴き出す。
「俺って迂闊すぎるよな――と口にしておったあたりから眺めておったぞ」
「ほぼ最初から! ウソでしょ!」
「フフフッ、森で保護したときもそうであったが、凛太郎は眺めて飽きないのじゃ」
シノは口元を隠しながら上品に笑う。サラサラと揺れる銀髪にピコピコと動く狐耳。尻尾も楽しそうに左右に揺れていた。
その姿に、俺の思考は瞬時に思考がフリーズしてしまう。年上であるはずのシノの可愛らしさに、俺のの可愛い判定メーターが一気に振り切れてしまう。
「ん? 何を呆けているの? 懐郷病かえ?」
「……ち、違います。シノさんが可愛かったので……」
「フフフッ、汝は口がうまいの。じゃが、少し配慮が足りぬ。
「べ、別におべっかで言ってるわけじゃないので、そこまで配慮して口にしません。出来ません」
「そうかえ? 妾の記憶では、凛太郎はよく口説き文句を挟んできておるが」
「き、気のせいです!」
俺は反射的に否定したが、自分の言動を振り返ってみると初対面の相手に「女神ですか?」と尋ねたりしている。恥ずかしさで俺は死にたくなってしまう。
「さてさて、凛太郎で遊ぶのも程々にせねばな。今日は色々と買い揃える必要がある物があるのじゃ。工房で朝餉をとって外に出るとなると準備に片づけに面倒じゃ。なので、外で朝餉をとろうと思うておる。凛太郎はすぐに出られるかえ?」
「えーっと、大丈夫です。出来れば顔くらいは洗いたいんですけど……」
「それくらいの時間は考えておるのじゃ。水場に案内するので支度せい」
******
シノさんに案内された洗面所で俺は顔を洗い、口を濯ぐ。壁に掛けられていた鏡で寝癖をチェックし、水をつけて手櫛で整える。
昨日から着たままの服が気になり、俺は臭いを嗅ぐ。わずかに汗と泥と青臭い臭いがするが、許容範囲と自分に言い聞かせる。
時間にして十分程度。俺はシノさんが待っているリビングルームに早足で戻る。
「ほー、もう支度が終わったのかえ? さすが
ローブを羽織り、フードで狐耳を隠したシノさんの後について、俺は一階の店舗フロアの出入り口から、工房の外に出る。日が昇って間もない時間帯のせいか、通りには慌ただしく往来する人で溢れかえっていた。
「おー、これが異世界の街並み! リアルファンタジー!」
俺は思わず声をあげてしまう。
キョロキョロと周囲を見渡すと、道路に沿って四階建てくらいのレンガ造りの建物が並ぶ。道幅自体は走っている馬車が二台すれ違える程度。敷石を綺麗に敷き詰められ、道脇には等間隔に金属製のポール――街灯が設置されている。
俺が想像していたファンタジーな街並みよりも近代的な雰囲気が漂っていた。
「どうじゃ、自由都市バルトブルグの街並みは?」
「なんというか、想像していたより、ずっと綺麗で栄えている街なんですね」
「ハハハッ、レヴァール王国の王都を除けば、バルトブルグは王国で一、二を争うほど、栄えておる都市じゃぞ。周囲を山で囲まれた平原のため防衛面に優れ、海に面しているので貿易港として物が集まる。下手すれば王都よりも活気があるやもしれん。それなのに、想像していたより栄えていると評するとは、恐れ入ったわ」
「え? もしかして、俺ってヤバいこと言っちゃいました?」
「己が治める都市が全てという輩の耳に入っておれば、連行されて問いつめられるかもしれんのじゃ。世界の広さを知らぬ連中は面倒な輩が多いからの。しかし、凛太郎の住んでおった場所は、よほど文明が発達しておったのじゃな。いやはや、見てきた世界の違う者は、やはり愉快極まりないのじゃ」
カラカラと楽しそうに笑うシノさん。俺は、先ほどの俺の発言を聞いて睨んでいる通行人がいないか、ビクビクしながら周囲の様子を探ってしまう。
慌ただしく往来する人たちは、俺とシノさんに邪魔そうな視線を向ける者がときおりいる程度で、俺たちの会話まで気にしているようには見えず、俺はホッと胸をなで下ろす。
「シノさん、なんだが俺たち邪魔になってませんか?」
「道は共有の財産。ケチを付けられる所以はないのじゃ。まあ、朝の忙しい時間帯に往来の多い商業区に近い通りで立ち止まっている輩がおれば、邪魔以外の何者でもないであろうな」
「も、もう少し道の端っこに移動しましょうよ」
「気にすることではないと言うのに、凛太郎は小心者じゃな。安心するがよい。最初の目的地はすぐそこじゃからな。せせこましく歩く必要もないのじゃ」
シノさんが指さす先には『ワイルドベアーの巣穴』とペンキで殴り書きされたような、年季の入った看板を掲げている建物があった。
近づくと建物の中からはガヤガヤとした喧噪と、食欲をそそる匂いが漂ってくることから、飲食店だとわかる。
「警戒せずともよい。この店は妾の馴染みの店なのじゃ。ほれ、昨日食べた料理は、この店から出前してもらったのじゃよ」
「へー、暗くなってから出前をしてくれるなんて、ありがたい――」
俺は入り口脇の張り紙が目に止まる。この世界の文字は読めないのだが、料理を店の外に運んでいる様なイラストにバツが描かれている。出前しないって意味に見える。
俺が張り紙からシノさんに視線を移すと、彼女はグッと親指を立ててニヤリと笑う。
「常連特権じゃ」
俺は何も追求していないが、シノさんはキッパリ答えて店に入っていく。シノさんに無理やり出前をさせられる店主の姿を想像し、俺は苦笑いしながら店に入る。
「いらっしゃいませー!」
店内のガヤガヤとした喧騒に紛れて、どこからか女性の声が聞こえて来る。見回しても店員さんの姿は見えない。奥で料理の準備をしているのだろうか。
店は、俺の想像よりも広かった。手前は窓から差し込む自然光、奥はランプ――電気でも油が燃えている様には見えない――に照らされ明るい。カウンター席が八席、四人掛けテーブルが三台、十名くらいが対面して座る長テーブルが一台。満席になれば、客が三十名ほどになるのは、飲食店としては大きい方だろう。
俺たちと同じく朝食を取りに来た客で七割ほどの席が埋まっている。シノさんは迷うことなく、店の一番奥にある壁に囲まれたテーブル席に向かう。そのまま、店員に確認することなく席に座る。
日当たりは良くないが、ゆっくりと食事が出来そうな特等席ぽいテーブル席に先客がいない。予約席とかなのだろうか。
それ以上に、俺は妙な違和感に眉をひそめながら、シノさんの向かいに座る。
「……シノさん。この席ってなんか変な感じしませんか?」
「ほほう、なにが変だと思うのじゃ?」
「うまく説明は出来ないんですけど……。空気が澱んでいるというか、冷たいというか、固いというか……。すぐそばの空間となにか違う気がします」
俺はゆっくりと右手を通路に伸ばす。
ひんやり? ポカポカ? 表現に困るがある地点を過ぎると、その感覚がなくなる。通路と席の境目あたりに右手を固定する。
「この辺りから、なんか変じゃないですか?」
「ほー、ずいぶんとハッキリとしておるの。これは大変興味深いことじゃ。才ある者――テトラでも、妾に言われてから集中して、ようやくうっすら感じ取れる程度の違和感しかないというのに。凛太郎は妾の想定以上に優秀じゃ」
「その口振りだと、この席にはなにか仕掛けが――」
「おう、珍しーじゃねーか。シノ様が朝からココに座るなんてよ」
俺の言葉を野太い男性の声が遮る。視線を向けると、熊を彷彿させるような大柄で筋肉の塊のような中年男性の姿があった。
短く刈り上げたグレーの髪。筋肉の鎧と表現しても間違いでない体は、あちらこちらに裂傷痕――おもに魔物の牙や爪によるもの――があり、左目は三本の爪痕で潰れている。全身から放たれるビリビリとした存在感と鋭い眼光は、歴戦を潜り抜けてきた戦士という雰囲気があった。
俺は反射的に喰われると本能が警戒して身構える。そんな俺の態度が気にくわないのか、中年男性は睨みつけながら顔を近づける。
圧倒的な圧迫感に俺はは血の気が引いていくのを感じる。俺は身動ぎせず、ただただ襲いかかられないように祈ることしか出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます