第6話 夕食にて②

 俺は情報を整理する。

 この世界では、普通の人間以外にシノさんのような獣耳の獣人が存在する。獣耳っていえば、ラノベや漫画、ゲームで大人気の存在。おなじみのエルフ――長耳ちょうじ族も普通に存在するとわかり、俺は少し興奮してしまう。

 シノさんやテトラの服装、部屋の調度品や馬車などから、王道の中世ヨーロッパ風の異世界と俺は推察する。

 尻の痛みで、街の人たちの様子はぜんぜん確認できていないけど、会話で魔術という単語があった。魔法や魔術の類は、一度は使ってみたいランキング上位を占める存在だ。日常的に魔法や魔術が使われる世界なんて素晴らしい。俄然、街中を見て回りたくなってきた。


「――にして、汝はこれからどうする? この世界で、どのようにして生きるつもりなのじゃ?」

「へ? どーやってって……」


 シノさんの問いに俺は一気に現実に戻される。

 学校帰りに気づけば異世界。入念な準備など当然していない。

 慌てて学生服をまさぐってみると、数千円入った財布と充電が六割ほど残っているスマホ、三分の一ほど食べたスティック包装タイプのノド飴が出てきた。さらに探して出てきたのはグシャグシャになったハンカチと封を切っていないポケットティッシュ。

 財布に入っている日本円とか牛丼屋の割引券とか、レンタルビデオ屋の会員カードとか絶対に役立たないよな。

 ノド飴は個包装なので、バラして売ることが出来るので収入源になりそうだけど、再入荷は不可能。継続して安定した収入を得ることは出来ない。

 元の世界に戻る方法がすぐに見つかるはずはない。この世界に長期滞在することを考えると、俺って結構詰んでね?

 今の状況を改めて認識すると、サーッと血の気が引いていく。

 シノさんの工房から追い出されれば、寝泊まりはおろか食事にも困ることになる。シノさんの質問は「働かぬ者、食うべからず」的な暗喩かもしれない。


「ぼ、冒険者的な事をやって、魔物の牙とか爪とか素材を売ったり、ダンジョンで入手したお宝を販売したりして……」

「冒険者が一攫千金を狙うのは世の常じゃ。しかし、凛太郎に武術の心得や武具を取り扱う術があるのかえ?」

「そ、それは……。ぐぬぬぬぬっ……」


 俺は思わず唸ってしまう。

 体育の授業で剣道を経験したことはある。実践とは程遠く、面胴小手打ちが何となく出来るくらいの腕前しかない。当然、触ったことがある武器は竹刀と木刀止まり。真剣なんて写真でしか見たことがない。

 俺が眉間に深いシワを作っていると、シノさんがヒョイと何かを差し出してきた。


「ほれ、冒険者ギルドに登録したすぐの初心者が手にしていることが多い一般的な片手剣――ショートソードじゃ。持ってみるがよい」


 恐る恐る差し出された剣の柄を握る。

 金属の硬質でヒンヤリとした感触が手のひら全体から伝わってくる。シノさんが手を離すと、ズッシリとした重さに思わず剣を落としそうになった。

 しっかりと握りしめて剣を持つ。重さは体育の授業で使うソフトボールのバットぐらい――いや、それより重くて一キロくらいありそうだ。

 ソフトボールのバッティングのように、移動せずに剣を振り回すだけなら俺でも何とか出来そう。でも、手にしたまま走り回ったり、魔物と戦うために振り回すとなると無理ゲーとしか言えない。


「ぶっちゃけて言わせてもらえば、凛太郎の体格は庶民のお坊ちゃん――大きな商家で荒れ事に触れぬようにして育てられたわっぱと変わらぬ。みっちり鍛えれば可能性はあるかもしれぬ。だが、冒険者として通用するように鍛えるには数週間では足りぬ」

「い、一年くらいきちんと鍛えれば――」

「その間の生活費は、どうするつもりなのじゃ?」


 俺は再び唸るしかなかった。

 結局のところ、元手が何もない状態では何かを始めることすら難しい。

 ホームレスから立ち直るようなメイクドラマがあるけれど、全体の何パーセントの人がホームレスから立ち直ることが出来るのだろうか。

 この世界がどんな情勢なのかわからないけれど、中世くらいの時代ならば、他人の面倒をみれるほど裕福な人はほんの一握りに違いない。それこそ広大な領地を持つような貴族とか……。

 俺をシノさんは保護してくれたけれど、俺が元の世界に戻るまで生活の面倒をみる義務はない。今すぐ出て行けと言われる可能性は十分ある。

 いや、かなり高いかもしれない。

 俺は冷たい汗が一滴、背を流れていくのを感じた。


「そう不安そうな顔をするでない。拾った以上、ほっぽり出すようなことはせぬ。しかし、何があるかわからぬのが世の常じゃ。自立することを頭の片隅に置いてもらわねば、いざというときに困るのは凛太郎じゃからな」

「な、なるほど。荷物をまとめて出て行く準備をしろと言われると思ってヒヤヒヤでした……」

「性根が腐っているようであれば、追い出すことも已むなしとは考えておったぞ」


 クックック、とシノさんが小さく笑う。

 どす黒いオーラのようなものが滲みだしているように見えたのは俺の見間違いだと信じたい。


「さてさて、凛太郎の今後について話すかの。凛太郎が『世界を渡るモノ』であっても、扶桑の民にしか見えぬと申したであろう。まあ、いろいろと知識面がおかしい点は、幼い頃に扶桑を出たとか、長い間一緒に旅した仲間を賊に襲われて失い、そのショックで記憶喪失になったと言えば誤魔化せるじゃろ」

「そんな説明で誤魔化せるとか、なんて大雑把な……。そもそもシノさんが口にしているって、どんな感じなんですか?」

「外見上の特徴は先に述べたように黒髪と鳶色の瞳、小麦色よりの肌色。それ以上に妾が感じるのは、大陸に住まう者と自然観と死生観が違うところじゃな」

「自然観と死生観?」

「うむ、そうじゃ。その辺りは機会があれば話してやろう。まあ、宗教などが影響してくる繊細な部分なので、いろいろと知らねば面倒な事に巻き込まれかねんのじゃ」


 なるほど、と俺は納得する。

 宗教が絡むと面倒になるのは世界が違っても同じことか。


「宗教があるってことは、神様とか女神様が存在しているって事ですよね? 神界とかあるんじゃないですか?」

「神とその眷属が住まう世界があると、くそったれな教会は宣伝しておるの」

「くそったれって、そんな発言するといろいろとマズいんじゃないんですか」

「ふん、望むところじゃ。妾を悪魔崇拝で磔にでもしたければ、国を潰す覚悟でかかってこいのじゃ」


 挑発的で、妖艶な笑みを浮かべるシノさん。官能的な姿に俺は背筋がゾクリとしてしまう。

 何となくだが、シノさんは大袈裟なことを言っているわけではない気がする。本気マジで国を滅ぼしそう。

 しかし、神界はある意味、異世界だよな。神の眷属って言えば、見た目の特徴が普通の人でも、神界から来た異世界人って説明が通用するんじゃないのか?


「……先に言っておくが、凛太郎からは神の類を彷彿させるような気品や気配は一切ないぞ。神族とか神の眷属とか言い出して、汝が異世界人と納得する者はおらぬぞ」

「――ッ! シノさん、俺の思考を読んだッ!」

「どあほう。口に出しておったのじゃ。そもそも凛太郎が"世界を渡るモノ"と妾が判断したのは、妾の瞳が特殊だからじゃ。妾の瞳はるだけでわかるのじゃよ」

るだけでわかるって魔眼ってやつですか。すっげーチートじゃないですか。ズルいですよ」

「ちーとが何かわからぬが、ズルいのは確かじゃな。本来であれば手順を踏まねば発動しない魔術を、特定の行動だけで成立させるモノじゃからな。短耳たんじ族の表現で言えば、先天性魔術とか、ゆにーく魔術とか言うておる」

「俺もそんな魔術が使えるようになりませんか?」

「ヒトの可能性は未知数故にゼロとは言えぬが、あきらめるが利口じゃ」

「ですよね……」


 でも、きっと何か隠れた能力がある日突然開花するはず。そう俺は信じてる。


「さてさて、話がとんでしまったのじゃ。詳しい今後については明日にするか。今日は疲れておるじゃろう、ゆっくりと休むとよい」


 シノさんは話を終わると、俺を空き部屋に案内してくれた。

 真新しいシーツの敷かれたベッドで横になりながら、俺は色々と考えを巡らせていたが、気づけば爆睡していた。

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