第5話 夕食にて①
「慌ただしい娘ですまんのじゃ。テトラは、ああ見えて人見知りな上に内弁慶でな」
場所は移り、二階のダイニングにシノさんの声が響く。彼女は、「やれやれ」といった様子で苦笑するが、その表情は穏やか。彼女がテトラを大事に思っていることが俺にも伝わってくる。
ちなみに俺が尻を腫らして寝込んでいたのは、一階奥の応接室だったようだ。ただ、部屋には色々な物が押し込まれていたので、実質物置部屋として使っているみたいだった。調度品は高そうなものが並んでいたので、シノさんが店をやっていた頃は、商談とかに使っていたのかもしれない。
「見慣れない男が、尻を腫らして寝込んでいるって聞けば、意味不明すぎて誰でも警戒してしまうと思いますよ」
「尻を腫らして動けぬのであれば、警戒する必要はなかろう。まあ、巷にはそういうのを好む輩もおると聞くので、尻を叩けと言われるかもしれぬと警戒した可能性は僅かにあり得るかもの」
そう言ってシノさんは「カッカッカ」と快活に笑う。
初対面の美少女のマゾ扱いされているのが事実なら、結構ショックがデカいんですけど……。
「何はともあれ、今後もテトラと顔を合わせる機会は増えるじゃろ。よろしく頼むのじゃ。凛太郎の部屋は三階に用意するので、好きに扱うと良い。三階は妾の書斎と寝室、テトラにあてがった部屋の他に空き部屋が二つある。もし物が増えて、自室に収まらなくなったら妾に相談するのじゃ。あと凛太郎も
「ひ、人の部屋に勝手に入るとかしないですから! あと二階が洗面所やキッチン、ダイニングなどの共用スペースで、地下が保管庫と錬金術を行う工房なんですよね。個人で地下付きの建物を持っているなんて、シノさんはお金持ちなんですか?」
「ふむ、凛太郎の元いた世界基準ではそうなのかえ? 自由都市バルトブルグで、魔術師や錬金術師が持つ工房の平均は地上三階、地下一階といったところじゃ。不便のない場所に工房を構えると、土地代などもバカにならぬ。だから上下に建物を伸ばすわけじゃ。壁の外に工房を構えている術師ならば、わざわざ建物を広く作り、地下を使わぬ術師もおる。ま、場所によりけりじゃな」
シノさんは「地下に階層を伸ばすのは、それ相応の実力がなければ難しいがの」と付け加えて、再び笑う。
ということは、建物を建造する際の施工方法で地下階層を造るのではなく、魔術や錬金術を用いて地下階層を造るということなのだろうか。ファンタジーすぎる……。
「さて、話の続きは飯を食いながらでよかろう。テトラが工房を出てから一時間は過ぎておるし、腹も減っておろう。遠慮はいらぬぞ」
「は、はい。いただきます」
ダイニングルームに置かれた四人座りのテーブル席に、俺とシノさんは向かい合って座っていたのだが、そして、テーブルには湯気を立つ料理が置かれていた。
正直、テーブルに並ぶ料理を意識しないように会話するのは、拷問だった。鼻腔を刺激する料理の香りで、口の中は涎で溢れかえっていたから。
俺はまず湯気を立てる木製の深皿に手を伸ばす。中には数種類の根野菜と腸詰めの入ったスープ――ポトフによく似ているものがよそわれていた。恐る恐るといった様子で、俺は人参っぽい根野菜をフォークで突き刺し、口に運ぶ。
シノさんが見守る中、俺は目を閉じて無言で咀嚼して嚥下する。その瞬間、俺はカッ! と目を見開く。
「う、うますぎるッ!」
俺は思わず舌鼓を打つ。見た目の通り、人参の味が口の中に広がり、腸詰の肉汁と塩、ハーブの複雑だがクドくない味付けが食欲を増進させる。
食欲が次の食べ物を求めて、俺は全粒粉の固そうな丸いパンに手を伸ばす。見た目よりズッシリとした重さが伝わってくるパン。俺はめいいっぱい力を込めて千切る。そのまま口に運ぼうかと考えたが、テレビで見た光景を思い出してスープにパンを浸して食べる。ザクザクとした食感が楽しいだけでなく、食べ応えがあった。
俺が森でシノさんに保護されてから、ゆうに半日以上過ぎている。少し食べ物を口にしたことが呼び水となり、俺は空腹感を促され、ガツガツと貪るように料理を食べ始める。
突然、がっつき始めた俺に驚いた顔をしたシノさんだったが、彼女も自分の料理に手をつけ始める。
普段はそれほど大食いというわけではないが、パンもスープもどんどん腹に収まっていってしまう。
何も言わずにシノさんがお代わりを準備してくれたので、気づけば丸いパンを四個、スープを三杯平らげていた。
俺はひと心地つけた感にフーッ、と息を吐いて食事の手を休める。
「ふむ、ようやく落ち着いたようじゃな。用意した料理の量が多すぎたかと心配じゃったが、むしろ足りなくなるところだったの」
「あ、すいません! 量も考えずに食いまくってしまって……」
「良い良い。余るよりは、足らぬ方がマシじゃ。それに見事な食いっぷりは、見ていて清々しさがあったのじゃ。凛太郎に食われて、料理に使われた食材たちも満足しているじゃろうて。よほど口に合ったようじゃの」
「うまく表現できないんですけど、味が濃くて食うだけで、身体に元気が溜まっていく感じがして、いくらでも食えそうでした。食べた後の満足感も半端なかったです」
俺は改めて、口にした料理の味と記憶の中の元の世界の料理の味を比べる。いくら空腹だったとしても、先ほどの様に貪り食べることは、なかなかない。
某料理漫画で出てきそうな高級食材を普段から口にしていれば違うかもしれないが、食材の形や味が元の世界の食材に似ているが、根本的に何か違うと俺の貧乏舌が断言している。
俺は味わう様に追加してもらったパンとスープを口に運ぶ。
「さて、食事をしながらで申し訳ないが、話をさせてもらうぞ。なぁに、小難しい内容ではないのじゃ。凛太郎の置かれている状況の確認と今後についての話じゃ」
「それは全然構いません。むしろ願ってもないことです。特に今後については、是非ともシノさんに話しておきたいことだったりするので」
俺の返事に頷きながら、シノさんは丸いパンをナイフで薄くスライスして、スープに浸す。ふやけたパンをスプーンで、粥のようにして食べる姿は優雅で、俺は同じようにパンをスライスしてスープに浸す。
歯応えは無くなるけれど、スープの味の味にパンの風味が加わって、さらにうまい。
「まず、凛太郎は大陸公用語であるエリトアル語を使っておる。その認識はあるかえ?」
「いいえ、全く。俺は特に意識せず、日本語で話しているだけだと思ってます……」
「ニホン語か。妾が耳にしたことない言語じゃな。凛太郎が元々住んでおった場所はなんと申すのじゃ?」
「俺が住んでいたのは、場所って言うか世界って言うか……、地球の日本ってところです」
「チキュウという世界のニホンか。妾は永くレガリア大陸におるが、ニホンという国は耳にしたことがないのじゃ。言葉の響きだけで言えば、扶桑に似ておるの」
「あの、その、やっぱり、ここって異世界なんですか?」
「凛太郎に問われても、妾は他の世界に足を運んだことがない故、答えることができないのじゃ。凛太郎の容姿が、妾の知るどの種族とも似つかない特徴を備えておれば、異世界があると言われて説得力があったかもしれぬな。あいにく、凛太郎は
「扶桑って国が、もしかしたらニホンという可能性は?」
「それはないのじゃ。断言してもかまわぬ。凛太郎は見た目が似ておるだけで、扶桑の民がもつ独特の気配がないのじゃ。もし凛太郎が扶桑の民に混じれば違和感から浮いてしまうじゃろうな」
シノさんの言葉に嘘は感じられない。地球にあるけれど、オカルト的な何かで隔離された地域、という可能性が潰えたな。
やっぱりというか、ここが異世界という現実を受け入れるしかないのか。
「……学校帰りに異世界に転移したとか安易すぎだろ」
「世界はヒトという矮小な存在にとってはかりきれぬ存在じゃ。ヒトがとやかく考え込みすぎるだけで、安易と思えることがおおいに起こりえるのが世界じゃ。ま、ときおり凛太郎のように異なる世界から渡ってくる存在が古くから確認されておる。そのような者たちを『世界を渡るモノ』と呼んでおる」
「俺以外にも、別世界からこの世界に転移した人がいるんですか!」
「さよう。ただし、正確な数はわからぬ。公に知れ渡った者もいれば、人知れず死んだ者もおるじゃろうからな」
落ち着けと、シノさんは左手で俺を御する。
シノさんは料理を平らげるとナプキンで口元を拭い、コップの水を一口飲む。俺は話の本題に入る気配を感じ、残っていたパンとスープを一気に平げ、準備を整える。話の内容によっては、飯が喉を通らなくなる可能性もあるだろうし。
「世界を渡るモノと公言するかどうかは凛太郎の意志に任せるが、妾としては隠しておく方が面倒ごとに巻き込まれずに済むと思うのじゃ。幸いなことに凛太郎は扶桑の民に見えるので、誤魔化すのは容易かろう。扶桑の民は大陸で珍しい方だが、妾よりは目立つことはなかろう」
シノさんは頭の上の方――狐の様な耳――を、細い指でチョイチョイと突っつく。ピコピコと動く狐耳は、作り物には見えず、俺は真剣な眼差しで凝視する。
「シノさん、その頭の耳は本物なんですか? 尻尾もありましたよね。アクセサリーとか作り物じゃないですよね?」
「今さら聞くのかえ。てっきり見慣れておるのかと思ったのじゃ」
「俺の住んでいた世界では、シノさんみたいな耳とか尻尾は作り物以外に存在してないです。肌とか髪とか瞳とかの色味の違いはあっても、身体のパーツが違うとかはないです」
「つまり短耳族しかおらぬということか。ずいぶんと寂しく平和そうな世界だのー。この世界では国同士のいざこざは勿論、種族同士の争いも多いからな。詳しい説明は省くが、妾は短耳族の分類で言うところの獣人族フォッガ種としておる。外見上の特徴は短耳族と違う耳と尻尾じゃな」
シノさんは席を立つと、テーブルの脇に立ち、俺にふさふさの尻尾を見せる。思わず頬ずりしたくなるような圧倒的モフモフ感。俺は無意識に手を伸ばしそうになり必死に自重する。
「獣人……ファンタジーっぽさ爆発すぎる。俺じゃなかったら、この瞬間に悶絶していたに違いない。シノさん、弓矢か得意で耳が長い種族とかいるの?」
「おるの。
「いませんよ」
「そのわりには詳しそうじゃな……」
「まあ、その、文明思想のたどり着いた結果というか……」
ラノベを始めとしたサブカルチャーのおかげです、とは言えずに俺は言葉を濁すしかなかった。
シノさんは、俺の様子から何かを感じ取ったようだった。彼女は食器を重ねてテーブルの端に押しやり、席に座り直す。本題に入る前準備という雰囲気が伝わってくるのだった。
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