第4話 工房にて②

「さて、少し本題から逸れ過ぎたのじゃ。テトラ、凛太郎に挨拶せい」

「はい、師匠」


 シノさんの言葉にテトラが短く返事をする。トトン、と軽いステップでシノさんから離れて俺に向き直る。

 尻に甚大な被害を受けているとはいえ、うつ伏せのままで挨拶するわけにはいかないよな。

 俺が慌てて起き上がろうとすると、テトラが右手を俺の顔の前に突き出す。起きあがるな、と言うことだろう。


「お客様は師匠の被害者です。体勢はそのままで問題ありません。師匠、よろしいですか?」

「凛太郎、尻を痛めているのじゃ。バツが悪いかもしれぬが、寝たままで構わぬ」


 テトラは俺とシノさんを交互に確認すると、ササッ、とメイド服の乱れを直す。そしてスカートの裾を摘んで、左足を引きながら一礼する。

 それだけでテトラの育ちの良さが伝わってくる。


「私はテトラ=リリーシェル。レヴァール王立学園の秘蹟ひせき科に在籍しています。その傍ら、師匠に師事して錬金術を学ぶ予定です。師匠の工房には放課後や休日に通わせてもらっています。普段は学園の校舎や隣接する寮で生活してます」

「……学生? メイドとして雇われているわけではなくて?」

「違います。秘蹟科――錬金術を中心にした魔術以外の諸々を取り扱う学科の学生であり、師匠の弟子予定です。この格好は師匠の趣味です」

「妾の趣味? それは間違いじゃ。凛太郎、テトラをよく見るとよい。妾考案の衣装は、テトラにとてもよく似合っておろう」

「はい。そこは反論する余地が微塵もなく、激しく同意できます」


 シノさんの言葉に俺は素直に頷く。

 日本のメイド文化のような服飾過多な部分はなく、紺と白を基調としたシックなデザインのメイド服。誰が見てもメイドを彷彿するデザイン。

 そこにテトラの凛とした空気が合わさると、もの凄く似合っているとしか言いようがない。

 手の届く距離に美少女メイドが立っている。今までの俺の人生で、想像することが出来ない事象だ。

 軽く興奮してしまうが、俺は改めて自分の姿を省みる。尻をつきだしてうつ伏せになっている姿をメイド美少女――テトラに見下ろされる。

 このままでは、妙な性癖が開眼してしまいそうな気がする。

 俺は妙な方向に流れそうな意識を断ち切るため、気を引き締め、出来うる最上のイケメン顔を作って自己紹介に挑む。

 そうだ、せめてもの悪足掻きで、腕で上半身を持ち上げた――匍匐前進のような――体勢をとる。プルプルと上半身が震えるが、俺は努めて澄ました表情を保つ。


「俺は相馬そうま凛太郎りんたろう。相馬が苗字で、凛太郎が名前ね。森で行き倒れていたところをシノさんに拾われて、今に至るって感じかな」

「……リンタロー=ソーマ、珍しい響きの名前ね。苗字が先なんて極東の島国――扶桑っぽい名前。もしかして、リンタローは旅行者なの?」


 俺はテトラの言葉に反射的に答えようとしたが、言葉を飲み込む。チラリ、とシノさんに視線を送り、助言を求める。

 正直にテトラに話すとすれば「学校帰りだったけど、気づいたらシノさんに保護された森にいた。本当は、この世界に住人ではない」となってしまう。

 ……普通に考えて、正気を疑われるよな?

 シノさんは、俺の視線にすぐ気づいてくれた。軽い身のこなしで揺り椅子から飛び降りると、俺とテトラの間に立つ。

 状況の説明をシノさんがしてくれると思い、ホッと安堵していると、不意にシノさんが俺の頭を優しく撫で始めた。

 突然のことに、反射的に飛び起きそうになったが、何とか踏みとどまる。こそばゆさと恥ずかしさが入り交じり、何とも言い難い。

 イヤじゃない。断じてイヤじゃない。だけど、人前では止めて欲しい。でも、シノさんに止めてくれ! とは断じて口に出せない。

 綺麗なお姉さんに色々と可愛がられる俺。やっすいピンク色の妄想だが、思春期の男の子だから仕方ないだろ!

 ぐーるぐる、と俺の頭の中を色々な思考が巡る。そんな俺の心境など余所に、シノさんは神妙な声音で、テトラに説明を始める。


「これ、テトラ。凛太郎が答えにくいことを聞くでない。凛太郎は妾が沈黙の森でで呆けているところを保護したのじゃ。何があったのか? 察するのは容易いであろう」

「たった一人……。――ッ! リンタロー、ごめんなさい。ツラいことが、あったのね……」

「へ? ちょ、違――もがっ!」


 訂正しようとした俺の口を、シノさんが素早く手で塞ぐ。テトラは、シノさんの動きに気づいた素振りはなく、居た堪れない表情で俺から目を背ける。

 おいおい、テトラの目は節穴なのかよ。

 テトラは顎に軽く握り込んだ手をあてながら、ブツブツと呟き始める。コロコロと表情を変えながら、頷いたり、首を振ったりを繰り返すテトラ。

 ……一抹の不安しかない。

 テトラから所々聞こえてくる呟きを繋ぎ合わせて補完すると、彼女が壮大な勘違いをしていることがわかる。

 俺はテトラの妄想の中で、故郷を追われて大陸を放浪し、仲間に裏切り者がいて、沈黙の森で全てを失って、失意で立ち尽くしているところを偶然、採取に訪れていたシノさんに保護されたことになっていた。

 このままでは事実と違う設定がてんこ盛りになるぞ。

 俺は慌ててシノさんに目で訴えてみるが、シノさんは実に良い笑顔としか形容できない笑顔をしながら、親指を立ててみせた。

 オーノー。シノさんを頼った俺が悪かった。後悔の念を抱きながら、俺はテトラの様子を見守る。

 しばらくして、テトラは両手をギュッと握りしめて拳を作り、おし! と気合いを入れる。その姿を確認してから、シノさんがテトラに声をかける。


「というわけで、凛太郎をしばらく保護する予定なのじゃ。色々と面倒かもしれぬが、歳も近いテトラに凛太郎の世話を頼みたいのじゃ。凛太郎は大陸の常識にも疎いため色々と危うくてのー」

「はい! 師匠! 家を出たとはいえ、弱き者を守れなくては、リリーシェル家の名折れです。安心してお任せください」

「うむ。テトラの返事を聞いて、妾の不安が一気に解決したのじゃ。ありがとう、テトラよ。汝は妾の自慢の弟子じゃ」

「師匠あっての私です。その様なお言葉は不要です。リンタロー、何かあれば直ぐに私に声をかけてください。力になります、全力で」

「お、おう、わかった。頼りにさせてもらうよ。よろしく頼むよ」


 最初に感じた冷たいような印象は一切無く、熱血漢オーラを放つテトラに気圧されながら、俺は怖ず怖ずと手を差し出す。彼女は勢いよく両手で俺の手を握り返してくる。

 柔らかくて小さな手のひらから伝わってくるテトラの体温。俺はドキドキしてしまい、頭が真っ白になってしまう。


「さて、妾の当初の目的は達成できたのじゃ。休日でテトラが工房におるうちに凛太郎と顔合わせを済ませておかないと、面倒事が起こる可能性があったからの。テトラはそろそろ学園寮に戻る時間じゃろう。店の後始末は妾がやっておこう。早く工房ここを出ないと、学園寮に着く前に暗くなってしまうぞ」


 シノさんの言葉に、テトラは部屋の入り口に近い柱を見る。俺もつられて視線を向ける。そこには見慣れた円盤型の置物が柱に掛けられていた。

 針があるし、円盤の縁に等間隔に目盛りと文字――読めないけど、たぶん数字――が刻まれている。時計に違いない。

 異世界で見慣れた道具に、懐かしさと安堵を感じてしまう。体感で半日くらいしか異世界にいないはずなんだけどな。

 テトラは円盤の針を確認し、慌て始める。


「もうこんな時間なんですか! 門限にも間に合わなくなってしまいます!」

「ふむ、ならば着替えずに帰っても構わぬぞ。そのデザインならば、外を歩いても不自然に目立つこともないのじゃ」

「このまま帰る……。んー、んー、んー……」

 うなり声をあげ、両手で頭を抱えながら悩むテトラ。更に小さく地団駄を踏む。

 パタパタと足踏みする姿は、プロ意識の高いメイドではなく、どこでも見かける年相応の女の子という感じがした。

 しばらく悩んでいたテトラだが、ピタリと動きを止めるとガックリと肩を落とす。


「……大変、悔しいですが、師匠、このまま帰ります。この制服は今度お伺いしたときにお返しします。お疲れ様でした。リンタローもまたね」


 それだけ早口で言うと、テトラはパタパタと足音を響かせて部屋から出ていく。

 部屋の外で、壁に何かがぶつかったような音やテトラの悲鳴が聞こえてきたのは、俺の聞き間違いじゃないだろう。

 俺の視線に気づき、シノさんは肩をすくめながら「やれやれ」とため息をこぼすのだった。

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