第3話 工房にて①

 コンコンコン、と小気味よいノックが部屋に響く。俺は視線をドアの方に向けるが、書籍や用途不明な物体の山に視線が遮られてしまう。馬車で尻を酷使した結果、普通に座る事が出来ない体になってしまい、長椅子にうつ伏せになっているので、視界が低くて部屋を見渡すことも困難だったりする。


「鍵は開いているのじゃ。遠慮せずに入って構わぬ」


 年季を感じさせるシックな揺り椅子に座る妙齢の銀髪美女――シノさんが気だるそうに、ドアに向かって声を投げる。

 窓から差し込む光に輝く銀髪に、白磁のように白い肌。まるで映画のワンシーンの様な姿に、俺は尻の痛みも忘れて魅入ってしまう。

 カチッとドアの開く音に、俺は我に返る。一息おいて、ドアが静かに開く。


「失礼します、師匠」


 凛とした少女の声。続いて足音が近づいてくる。そして――


「氷嚢をお持ちしました」


 俺の視界に映った少女の姿に俺は息を呑む。そこには、メイド服に身を包んだ美少女の姿があったからだ。

 年齢は十代半ばだろうか、俺と大差はなさそうだった。

 色素の薄い白い肌に明るめの金髪が映える。意志の強そうな大きな青い瞳。すっきりとした鼻筋。身長は俺より頭ひとつ分くらい低そうだが、小顔のため身長以上に四肢が長く見える。

 解けば長そうな髪を一つにまとめ上げ、団子にしているのは、作業の邪魔にならないようにするためだろうか。お洒落よりも業務優先というプロ意識を感じさせた。

 そんな彼女の雰囲気に紺色の生地に白いフリルをあしらったシックなデザインのメイド服は、よく似合っていた。


「うむ、ご苦労なのじゃ。全く軟弱な尻をしているとは思わなんだ。妾の想定外じゃ」

「師匠の想定通りならば、鍛治神が鍛え上げた剣でも傷つけれないお尻になりますよ」


 額に手をあてながら、フゥーとため息をつくシノさんを、少女は呆れた様子で見つめていた。

 ここで声を掛けていいものか思案していると、シノさんが長椅子でうつ伏せになっている俺を怠そうに指差す。少女は訝しげながら、俺の方に視線を動かして、一瞬ビクッと肩を動かす。

 気配を消していたつもりはないけれど、少女は俺が長椅子にいることに気づいていなかったようだ。俺は、尻の痛みを堪えながら、愛想笑いを少女に向ける。


「馬車が上下に激しく跳ねて、御者台というか、固い木の板に何度も尻を叩きつけられれば、誰でも尻が真っ赤に腫れ上がりますって。俺の尻が耐久値低いとかではないです。踏ん張れば擦れて摩擦で炙られるとか、手の打ちようがないです。シノさんは御者台に柔らかそうなクッションを敷いて座っていたから、全然ダメージないでしょうけどね」

「凛太郎、普通に考えるのだ。まともに整備されておらぬ場所を馬車で駆けるのじゃぞ。それ相応の支度をして然るべきであろう。妾は短耳たんじ族と違い、繊細な尻をしておる。常日頃から座り物には気を使っておるのじゃ」

「尻にここまで甚大な被害を受けると知っていれば、俺は馬車に乗ることを拒否してましたよ。あと一時間も御者台に座らされていれば、俺の尻は再起不能確定でしたよ……」


 事前知識があって、この醜態――尻が痛くて椅子にもまともに座れない――では、情けなくて少女に与える印象も悪いと判断して、俺は若干説明くさい長台詞を口にしておく。

 最初はリアル馬車に乗れる! ってテンション高めで、スキップしながら御者台に乗った過去の俺を小一時間ほど問い詰めてやりたい気分だ。

 俺はそんなバカなことを考えながらも、状況を整理する。

 シノさんの姿――狐耳と尻尾――は、よく出来たコスプレとか特殊メイクって自分を無理やり納得させることも出来たのだが、馬車がメインの乗り物で、自動車のようなサスペンションはなく、舗装道路も見当たらない。現代日本とはかけ離れた世界にいることは間違いなさそうだ。

 シノさんの言葉が理解できることと、俺の言葉が通じていることは解せないけれど。異世界転移する時に、時空を移動する際の衝撃で俺の言語中枢がパラダイムシフトでも起こして、この世界に適用したのかな。

 ご都合主義すぎる過程に俺は自嘲してしまう。

 そんな俺の視線を、自分への非難と受け取ったのか、シノさんは揺り椅子をキーコキーコと鳴らしながら、遠い視線で窓の外を眺めていた。彼女の妙に様になる姿に俺は見惚れてしまう。


「貴方、災難だったわね」


 不意に掛けられたら声に、俺は我に返る。いつの間にか少女が俺がうつ伏せになっている長椅子の横に立っていた。近づいてくる気配を全然感じなかった。雇い主の気を触らないように気配を消して動くような特殊な訓練でも受けているのだろうか。


「師匠の見た目は穏やかそうだけど、スピード狂だから。昔は、なんとか最速論とか怪しい研究もしていたみたい。今でも馬車とか乗り物の類に触ると、血が騒ぐみたいなの。貴方のお尻は、回復魔術とかお薬とか使うまでもないと思うから、氷嚢これで冷やしてみて」

「あ、ありがとう……」

「礼はいいわ。原因は師匠だからね」


 全身を包む生真面目そうで、取っ付きにくそうな雰囲気に、俺は緊張してしまう。年齢は近そうだけど、断然しっかりしてる。

 少女はテキパキとした動きで、自分の腕に欠けていた布を俺の尻に広げてから、氷嚢を俺の尻の上にゆっくりと置く。

 布越しに伝わってくるヒンヤリとした感触。俺は思わず息が溢れそうになり、慌てて口を閉じる。尻のジンジンとした痛みが少しずつ和らいでいく気がする。

 ただ氷嚢を尻に乗せてくれただけだが、少女が天使の類に思えてしまう。尻の痛みに今夜は寝れないことを覚悟していたからな。

 

「さて、そろそろ話を進めるとしよう。テトラ、店は閉めたのかえ?」

「はい。閉店時間には、まだだいぶ早いですが、いつも通り閑古鳥が鳴いていましたから。店を閉めても売り上げに然したる影響はないと判断しました。師匠が、ほんの少しでもやる気を出してくだされば、開店直後から閉店間際まで、店は忙しいはずなんですが」


 少女――テトラは淡々とした口調で答えながら、ジト目でシノさんを睨む。

 シノさんは、特に気にした素振りも見せずに、揺り椅子に背を預けている。数秒ほどジーッとシノさん睨んでいたテトラだったが、特にシノさんに変化がなく、諦めたような深いため息をつく。その瞬間、テトラの死角でシノさんが小さくガッツポーズを作っているのが見えたが、俺はあえて見なかったことにする。


「店が閉まっているのであれば、来客に邪魔されることもないじゃろ。では改めて名乗るとするが、妾はシノ=アキツシマじゃ。ここ――自由都市バルトブルグで、錬金術師の真似事をしておった。隠居生活をしておったのじゃが、そこにおるテトラが押しかけてきて、寂れた錬金雑貨屋の経営者もどきを最近はやっておる」

「……師匠、世界の真理を探求し続けることが錬金術師です。錬金術師に引退なんてものはありません、ありえません。師匠のように"飽きたから"なんて理由で、錬金術師を引退宣言したり、工房を閉めるなんて、私は認めません、認められません」


 形の良い眉を眉間に寄せながら、テトラが間髪入れずにシノさんに抗議する。

 俺は改めて耳にしたという単語。テトラの様子から見て、一般的に受け入れられているものだだと理解できる。

 元の世界にも錬金術と呼ばれるものは存在していた。“賢者の石”を作るだの、金を作るだのオカルトなもので、普通の人ならば鼻で笑うかフィクションと嘲るか病院を勧めてくる類のものだ。

 でも、二人の様子からして、この世界では錬金術は商売として成立しているようだ。元の世界の錬金術とは、根本的に何かが違うのかもしれない。

 俺は悔しそうにシノさんを見つめるテトラを尻目に、シノさんに質問する。


「錬金術師ってことは、錬金術を使う職ってことですよね。錬金術って色々な素材を鍋とかで煮込んだりして、別のアイテムを作り出すやつですか? それとも錬成陣で合成みたいな感じですか?」

「ふむ。若干、認識の齟齬を感じるが、錬成陣を用いて錬金術は行うのじゃ。その前処理として使用する素材について処理が必要な場合もある。鍋で煮込むのは基本じゃな」


 シノさんの言葉に、俺は錬金術のイメージを修正する。この世界の錬金術は、ゲームや漫画などで出てくるファンタジー錬金術に近いようだ。


「師匠、若干どころではないズレを感じます。錬金術とは『理解・分解・再構成』を行います。そして、一番大切なのはです。水を氷に錬成することは出来ても、水を鉄に錬成することは出来ません。何故なら水に鉄を構成する因子は存在しないからです」

「なるほど。どんなモノからでも望むモノを作り出せるのではなく、等価交換ぽい縛りがあるのか。素材の性質? 属性? から大きく外れた物は作り出せないって感じか。木材から紙は作れるけど、羊皮紙みたいな動物性の物は作れないってことかな」


 俺の言葉に、テトラは一瞬驚いたような表情を見せる。元の世界で得た知識ベースで喋っているだけなので、彼女が驚いたポイントがわからない。


「え? 俺、なんか変なこと言った?」

「いえ、至極当然なことしか言われてません。一般の多く方が錬金術をと誤解されてます。これは魔術にも言えることですね。例え万病に効果のある霊薬を作り出せても、死人を蘇らせる霊薬は作れません。何故なら死人を蘇生する薬をヒトが『理解・分解・再構成』して作り出すことが不可能だからです」

「逆にいうと『理解・分解・再構成』が出来てしまえば、死人を蘇らせる薬も作り出せるってことじゃないのか?」

「……そんな事が可能なのは、神や神に近い存在だけです。死人を蘇生するなど、ヒトが理解できる範疇を超えています」


 何気なく口にした俺の一言に、テトラが冷淡な声で反論しながら睨む。俺は彼女の目力にたじろいでしまう。助け舟を求めてシノさんに視線を送ると、彼女は肩をすくめて嘆息する。


「テトラ、同業者でもない相手に息巻くでない。己で錬金術か世界の真理を探求するものだと口にしたじゃろ。死者が蘇る薬を錬成するに至る錬金術師がいないと、何故断言できるのじゃ?」

「ですが――」

「テトラは、妾の言葉に偽りがあると言うのかえ? ならば、妾を納得させることを言うてみよ」


 先ほどまでの気だるそうな雰囲気から一変し、シノさんは揺り椅子から身を乗り出すようにして、テトラを見据える。

 切れ目の双眸は細められ、更に鋭さを増す。爛々と輝く黄金の瞳に、口元には挑発的で妖艶な笑みが浮かぶ。

 ピリピリとする緊張感はない。しかし、テトラは固唾を飲み込み、身じろぎ一つ出来ずに、脂汗を額に滲ませていた。

 俺は二人の様子を静かに見守る。

 時間にしてどれくらいだろうか。俺には数秒だったが、テトラにとっては数時間に等しかったかもしれない。何故なら彼女は運動した後のように憔悴していたからだ。

 シノさんは、フッ、と柔らかい笑みを浮かべるとテトラを手招きする。

 無言で歩み寄ってきたテトラの顔を、シノさんは懐から取り出したハンカチで優しく拭う。

 柔らかな空気が漂い、俺は無意識に頬が弛んでしまう。二人の関係性は師弟だろうが、親子の様な雰囲気があった。

 シノさんは、テトラの顔を拭い終える。

 ハンカチをしまう前に、シノさんはテトラの顔を眺めて拭き残しがないことを確認する。彼女は満足そうに頷きながら、テトラの頭を優しく撫でる。少し恥ずかしそうに俯くテトラだが、満更でもないようだった。

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