第2話 出会い
「――ッ!」
突然、俺の知覚に現れた強烈な存在。
極限の苦さと酸っぱさが、螺旋を描いて脳天から突き抜けていくような衝撃。本能が命の危険を訴えてくる。
俺は反射的に飛び起き、膝に手をつきながら、咳き込む。
「げほっ! げほっ!」
口の中から飛び出した液体が、ベチャリ、ではなく、ベトリ、という音を立てて地面に落ちる。
「な、なんじゃこりゃ!」
思わず目を見開いて、俺は叫んでしまう。
俺が吐き出した真緑色の液体は、粘度が高くて地面に染み込むのを拒否していた。到底、人体から生成されることが無いであろう液体。
俺が口から吐き出した事実が追い打ちをかけてくる。
こんな液体を口から吐くとか人間が出来る行為じゃない。
俺はいつ人間であることを辞めてしまったのだろうか? 慌てて体のあちこちを触って確認する。
神咲学園の古くさいデザインの制服――紺色のブレザーと黒と灰色の細かいチェック柄のスラックス、黒い革靴――に破れたところはない。二学年を表す赤いネクタイも首に下がっているので、首のサイズも変化なし、のはず。
皮膚の色も特に変わっていない。皮膚が硬質化もしていない。角が生えたり、尻尾が生えたり、背中に羽も生えていない。
手鏡でも持っていたら、一発で自分の姿が確認できたのに。
「よし、人間として余分なパーツが増えた形跡は無し。記憶のままの俺の姿だ。俺はどうやって、この液体を口の中で作り出したんだ……」
「ハッハッハ、随分と愉快な反応をしてくれるのじゃ。その勢いで脱ぎ出しでもしたら、どうしようかと思うたぞ。
「っ、おぇあおぁ……」
俺は思わず変な声を出してしまう。自分以外の人間が、この場にいるとは思っていなかった。
一生のうちで、何度もお目にかかれない銀髪美女が、俺のすぐそばで、お腹を抱えながら笑っていた。
透き通るような白い肌、端正な顔と切れ目の双眸に黄金の瞳が輝いている。
彼女の体が揺れる度に、柔らかそうな銀髪がサラサラ揺れている。そして、フードの上からでもわかる、ふくよかな胸も弾んで揺れている。
こんな美女が、俺のそばにいることはあり得ない。
もしかしてアレか?
ラノベとかで定番の死んで女神に面会して、チートな能力もらって、異世界フィーバーか!
「……め、女神さまデスか?」
ヤベッ、緊張して声が裏返った。
銀髪美女は一瞬、キョトンとした顔になるが、再び笑い始める。
ヤバいくらい可愛い。陽キャラが近くにいれば、飛びかかる勢いで群がってナンパしているに違いない。
「わ、妾が女神? ハッハッハ、新手の勧誘か? 笑わせてくるのじゃ。まあ、妾の美しさ讃えて女神を彷彿してしまうのは、仕方ないことか。勘違いさせて済まぬのー」
銀髪美女は、細い指で目尻に滲んだ涙を拭いながら答える。
あれ、違うの? 神とか女神とかじゃねーの?
狼狽える俺をよそに、銀髪美女は、一呼吸して笑うのを止めると身なりを正す。
ただそれだけで、銀髪美女から神秘的な雰囲気が漂う。
有名人とか雲の上の人とか見たことがない俺でも、銀髪美女が高貴な人間じゃないかと考えてしまう。粗相をした瞬間、周辺に隠れている護衛に殺されるとかないよな。
ビクビクとしながら、周囲の気配を確認するが、俺と銀髪美女以外に人間がいる気配は無さそうだ。
「コホン。妾はシノ=アキツシマという者じゃ」
「お、俺は、
「ふむ、元気があるのは良いことじゃ。扶桑――極東の島国と同じような名前じゃな。大陸風に呼ぶなら、リンタロー=ソーマといったところじゃな。何故、ここ――沈黙の森におるのじゃ?」
「えーっと、それが、まったくわからなくて……。学校が終わって、帰っていた記憶はあるんですけど……」
思い返しても、他に思い当たる記憶はない。
いつものように学校に行って、ダラダラ過ごして、帰宅部らしく校舎からそそくさと出て、コンビニで週刊紙を立ち読みして――。
やめよう。リア充の対極みたいな生活サイクルを思い出しても虚しいだけだ。
ふと視線をあげると、シノさんが柳眉を寄せて俺を眺めていた。なんとなく申し訳ない気分になってしまう。
「やはり、ここにいる理由はわからぬか。まあ、想定範囲の答えじゃな」
「あのー……ここは何処ですか? それにお姉さんは何者ですか?」
「まず、ここは『沈黙の森』じゃ。レヴァール王国の自由都市バルトブルグから馬車で四半日くらいの距離にあるのじゃ。採取できる素材の種類が豊富で、中堅くらいまでの錬金術師がよく足を運ぶ定番の採取ポイントになっているのじゃ」
「れ、錬金術、ですか?」
「そうじゃ。凛太郎は錬金術が何か知っておるのかえ?」
銀髪美人――シノさんの問いかけに、どう返すべきか俺は悩む。
錬金術という単語があったからだ。錬金術といえば、ゲームや漫画でお馴染みの単語だ。歴史的に錬金術は存在していたみたいだけど、今ではオカルトの類いに分類されるか、大金を稼ぐ方法を表す言葉として使う程度だ。
でも、ここが異世界であるのなら、錬金術が日常に溶け込んでいる可能性は十分考えられる。
問題は、錬金術がマッドサイエンティストで、戸籍のないような人間で人体実験とかを繰り返すような人種かどうか。
俺には体を切り刻まれて喜ぶ性癖はないし、これからも目覚める予定はない。
俺の心配が態度に出ていたのか、シノさんはフッと表情を和らげる。
「安心するがよい。妾も自由都市バルトブルグで錬金術師の真似事をしておるが、人身売買の類は一切やっておらぬ。汝を害するようなことをするつもりはないのじゃ」
「……そうですか」
歯切れの悪い俺の態度に、シノさんは肩をすくめる。わざとらしい仕草だったが、妙に様になっていた。
「さてさて、汝に確認したいことは色々あるのじゃが、沈黙の森が比較的安全な場所とはいえ、魔物がゼロではない。悠長に話すには不向きじゃ。自由都市バルトブルグに戻って、妾の工房に場所を移すことにかの」
シノさんの提案に、俺は一瞬考える。
いま会ったばかりの人間を信用していいのだろうか?
俺は頭を振って、考えることを止める。気がついたら見知らぬ場所にいる現状で、とれる行動は限られている。ここでシノさんの提案を断っても現状が改善しそうにない。
というか、シノさんを拒んだら即バッドエンドに一直線になりそうな気がする。
「神妙な顔してどうしたのじゃ?」
「あ、いえ、なんもないです」
「では、ついてまいれ」
シノさんは、フードを深く被りなおし、ローブの裾を翻して歩き始める。俺もシノさんの後を追うように歩き始める。
人の手が入っていない獣道。俺は転ばないように注意しながら歩く。
舗装された道路がデフォルトな俺にとって地獄の始まりだった。
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