第2話「転機」
意識を失っている間、夢を見ていた。一瞬で夢だと理解させる光景が、目の前に広がっていたのだ。小学校時代の汚ったない校庭横の花壇と畑だった。花壇では菜の花を、畑ではエシャロットを育てていた。毎週当番が決まっていて、草むしりや水あげをやらされていた。クラス総出で作物を育てるという、まるで原始共産主義のような管理教育の産物であった。なぜそのような光景が夢に出てきたのかは無論、わからなかったが、なぜか特別な感情が湧き上がりかけた。
次の瞬間、モヤのかかった幸の薄そうな顔を確認した。どうやら酷い夢から酷い現実に帰ってきたようである。
「あのう、大丈夫ですか」
幸の薄そうな女医が、人の顔を覗き込みながら呟いた。どうやら再び意識を失った俺を看病していたようである。医者なのに暇なのだろうか。暇なわけがない。俺という人間に固執する理由が必ずあるはずだ。テロに巻き込まれた俺という人間との対話を求める理由は、事情聴取と言ったところであろうが、それにしてもなにか異様な雰囲気が、女医や病院そのものから漂っている気がした。
「ショックを受けるのも無理はありません。しかし、話を聴かせてもらわなければなりません。」
まだ意識を取り戻して間もない人間に、事件のことを問い詰めようとするこの女医は、精神科医には向いていないだろう。
俺はめまいと頭痛、おまけに空腹に襲われており、相当イライラしていた。俺は幸の薄そうな女医の幸を更に薄くすべく、凄まじい形相で睨みつけた。気の利かない女医も流石に察したのか、部屋からそそくさと出て行った。これで一人になれると思った矢先の出来事だった。幸の薄そうな気の利かない女医が、重箱の乗ったお盆を持って舞い戻ってきた。部屋の中が食欲をそそられる香りに包まれた。
「先程はすみませんでした。これでも食べながら、まずはあの日起こった事を聴いてください。」
幸は薄そうだが非常によく教育された女であることは間違いがなさそうだ。空腹を察して、うな重の出前を事前に注文しておくとは見上げたものだ。
お盆の上には重箱が二つ乗っていた。いくらなんでも病み上がりに2人前はきついと思った瞬間、女医は重箱を手に取り、蓋を開けたと思ったら鰻に齧り付いた。お前の分だったのかと驚愕しつつも、俺も鰻にありつくことにした。
「あの日あなたは、電車内でテロに巻き込まれたと話しましたね。あなたの乗っている車両で倒れた女がいたはずです。その女がテロリストだったのです。」
女医の話によると、ぶっ倒れた女はテロリストで、スターバックスであろうコーヒーに、VXガスが仕込まれていたそうだ。テロ女はそれを電車の中で解放することで大量殺戮を目論んでいたらしいが、偶然にも老害がテロだと騒ぎ立てた。よって、獲物は次から次へ避難して逃げられた挙句、電車も停止させられたというわけだが、約1名同調圧力に屈しなかったバカが餌食になったというわけだ。ここまでくると自分が誇らしく思えてならない。
しかしながらテロ女はしっかりと罰を受けているのであろうか。よもや取り逃してなどいないだろうか。警察の怠惰と無能さは既に明るみに出ているだけに、十分にあり得るかもしれないと思うと、気分が悪くなった。
「その女テロリストはきちんと逮捕されたんですかい」
俺は初めてまともに質問をした。女医は俺のまともな声を聞いて縮み上がって驚いたが、すぐに真顔に戻り、ため息を吐き答えた。
「女テロリストは絶命しました。」
俺は鰻で満足した後の口を潤すために含んだお茶を吹き出しかけた。なぜか、あの女が死んでいたとは心にも思わなかったのだ。テロ事件など人が何人死んだ言われても不自然ではないはずなのに、なぜかあの女が死んだという事実に違和感を覚えたのだ。
「VXガスは空気より比重が重いから低い場所に沈殿するのです。あの女は電車の床に倒れた状態でしたから最強の毒性のVXガスをまともに浴びたんでしょう。そもそもあなたが生きているのも奇跡的なのですよ。」
女医は得意げに自分の知識を交えた考察を早口で語った。
シロップ 絵府蘭座右衛門 @numanchon
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