33

「――全部欲しいかも」


 真剣な眼差しで、両手の中のクッションと棚に並んでいるそれらを交互に見つめていた藍斗が、たっぷり十五分ものあいだ熟考した結果がこの発言だった。


「……ちなみに値段は?」

「えーと、一個四千五百円」

「……」


 思考が一時停止する。このクッションを全て買ったところで懐が寒くなるわけではないが、今日使った金額を考えると即座にイエスの返事を出せないのは分かってほしい。


「で、もう一回聞くけど……何個欲しいって?」

「全部欲しい」

「……」

「全部欲しい」

「……二回も言うな」

「聞こえてないのかと思って」


 飄々と言う彼に、そんなわけあるかよ、と思いを込めてコツンと頭を小突いてやる。

 彼が強請ったクッションは全五種類のラインナップで、アクアリウムシリーズという人気商品らしい。店の入り口に置いてあった看板にも載っていた。

 シャチ、ミズクラゲ、皇帝ペンギン、オニイトマキエイ、ジンベエザメが正方形のクッションにそれぞれ刺繍されていて、形や陰影まで本物そっくりに表現されている。

 オフホワイトの布地に蛍光色ネオンカラーの糸が何色も使われているが、けばけばしさは感じられない。このデザイナーはセンスが良いんだな。しかし、アフリカの民族衣装を想像させるカラフル具合は、どう考えてもあの部屋には似合いそうにない。


「まぁ値段は一旦置いといてさ、このクッション俺の部屋には微妙じゃない?」

「えー……冬哉の部屋ってモデルルームみたいだし、こういうの一個あっても良いと思うんだけどなー」

「一個だったらな。でもさっき全部欲しいって言ってなかったか」

「言った。欲しい」


 真顔で言い切るな。

 俺は今日何度目かの溜息を吐いて、棚からミズクラゲのクッションを手に取ってみる。クッションの平均価格は分からないが、手触りは可もなく不可もなくといったところ。刺繍だけはアーティスティックで綺麗だと思えた。一つだけならオシャレだろうが、五個もソファにあったら邪魔になるのでは、と想像してげんなりする。


「なぁ、だめ?」


 袖をクイッと引かれた瞬間目に飛び込んできた漆黒の瞳。気が付けば口が勝手に『駄目、じゃない』と言葉を発していた。

 俺たちの身長は同じくらいなのに何故上目遣いだったのか、あまりの可愛さにノックアウトされた俺は疑問すら抱かなかった。


「今日は泊まってく?」


 両手に大きな紙袋を持った俺たちは、メインストリートを適当に歩いている。用事は全て済んだからあとは帰るだけ。まだおやつの時間にもなっていない。時間はたっぷりある。


「うーん……めちゃくちゃ泊まりたいんだけど、明日早いんだよね」

「仕事?」

「うん。鳳蝶くんと会うことになってる」

「なるほど。じゃ今日は駅でバイバイ?」

「なぁ、バイバイはやめて。そこはまたなって言ってよ」


 不機嫌そうに眉を顰める彼の瞳は澄んだまま。敢えて拗ねてみたという見え透いたパフォーマンスは分かっていてもドキッとする。

 現代の日本社会で同性同士では不自然な言動や行動を『自然』と行う彼はどれほどの場数を踏んできたのか。少々妬けるな。負ける気はしないけど。


「……あ、十四日予定ある?無いなら俺と会ってよ」

「え、無視?マジ?」

「もし空いてるなら俺の部屋においで。プレゼント交換しよ」

「うわ、無視だ。……プレゼント交換ってクリスマスじゃん。十四日はバレンタインだろ」

「俺と藍斗が出会ったときはクリスマス終わってたし仕方ないだろ」

「仕方ないのかよ。もー……冬哉は本当にペース握るの上手いなぁ」


 メインストリートをこのまま真っ直ぐ歩けば出口だ。駅の地下は寒すぎる。出口付近にあるエレベーターホールの壁に、二人並んで寄り掛かった。


「十四日……今日は十一?ちょっと予定確認していい?」


 俺が頷くとすぐに彼はスマホを取り出した。前に聞いた話だと、録音後のミックスや、サムネイルに使う画像についてのやり取りなど全て自分でこなしているらしい。そして副業も、と考えると、曲を作っているだけの俺よりもスケジュールが詰まっていそうだ。


「うん、大丈夫そう。何時に行けば良い?」

「俺はいつでも大丈夫だから、好きなときに来て」

「えええ、じゃ朝一でも良いわけ?」

「藍斗がそうしたいなら。俺多分寝てるし、勝手に入ってきてよ」

「……俺に襲われちゃうかもよ?」


 ほらまただ。わざと上目遣いで俺の瞳の奥を覗こうとする。

 一度食らった手はもう効かない、そう理解させるにはベッドの上で教え込むのが正解――今すぐ沈み込めないのが本当に悔やまれる。


「まぁやれるもんならな」


 目を細めて不敵な笑みを作る。狙いを定めた獰猛な肉食獣は絶対に獲物を逃さない。十四日はそれを骨の髄まで教え込もうと自身に強く誓う。


「何でそんなに余裕なんだよ」


 不満気な顔すら印象操作かと疑いたくなるほど表情がクルクル変わる彼の姿を目に焼き付ける。拳二個ほど空いた隙間は、俺が一歩側に寄ったことで完全に埋まった。触れ合う肩から感じる温もりに未だ戸惑う想いを抱きつつ、その感情を大切に育てていきたい。


「藍斗が隣に来た瞬間無自覚に押し倒す自信しかないからな」

「こわ」


 一歩下がってしまった彼のせいで、また空間が生まれてしまった。俺は当然のように再度距離を詰めていく。


「ちょ、冬哉近いって!」

「そうか?」

「そうだよ!ほら、周りも見てるかも!」

「それ今更だろ……」


 首を動かさず目線だけで周囲を確認している彼を見たら突っ込まざるを得なかった。今まで何人から注目を集めてきたというのか。俺が着替える前どころか二人でフードコートを出たときには視線を集めていたはずだ。

 店内に飾られたクラシカルな掛け時計を見る。ローマ数字に飾り文字という全く見易くない文字盤は当然『分』の位は描かれていない。実用性皆無でインテリアに特化しているが時間はきちんと合っている。数秒見つめて時間を把握した。


「まだ二時にもなってないけど、明日早いならそろそろ帰る?」

「うーん、そうしよっかな。俺最寄り駅までここから乗り換え二回もしないといけないし、一時間半くらい掛かる……今の時間なら座って帰れそうだしね」

「あぁ、確かに藍斗の駅からは遠いな」

「そうなんだよー……。冬哉は案外近いでしょ」

「三十分くらいかな」

「俺の三分の一じゃん。十分近いよ」


 真冬の地下は風が少しでも吹けば凍えそうになるほど寒い。床も壁も天井も全てがコンクリートで閉鎖的。寒々しい景観だが、芸能人やアニメのポスターが随所に貼られていることで雰囲気は明るい。

 そんな時、ふと目についた大規模イベントの告知ポスター。ボーカロイドの顔ともいえる有名な女の子が、ポスターの半分ほどを占めている。文字はやや小さめで遠くからは読みにくい。

 昨日風上が言っていたイベントだろうか。会場はここから数駅だったはず。日付も合っている。明日俺はあのイベントに行くんだな。

 隣の藍斗もそのポスターを俺と一緒になってじっと見つめていた。腕をギュッと握られたとき妙に違和感があって、そっと彼の様子を窺い見る。


「え、なに?」

「……別に何もないよ」


 俺の視線に気付いた彼は、キョトンとした表情で首を傾げる。あの真剣な面持ちは霧散していた。どう言葉を伝えればいいのか分からず、結局有耶無耶にしてしまう。俺の返事に不思議そうにしていたけれど追及はされなかった。

 何とも言えない感情のまま駅の改札に着いてしまった。俺につられて藍斗の口数までグッと減っている。別れ際にこの空気は良くないなんて恋愛偏差値が低い俺でも理解できるが、一体どんな言葉を伝えれば彼は笑ってくれるのだろう。


「……十四日待ってる。好きなときに来て」

「ありがと。俺もプレゼント用意しとくね。あ!一応聞いておくけど、なんか欲しいものある?」

「んー、すぐには思いつかないな。大抵のものは自分で買えるし」

「冬哉クラスになるとやっぱりそうだよなぁ。うーん、ちょっと真剣に考えてみる」

「楽しみに待ってる」

「冬哉のも期待しとくね」


 改札を通ってすぐ右と左に分かれる進路。

 またな、じゃあね。離れがたい気持ちとは裏腹に、別れの言葉は酷くシンプルなものだった。

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俺たちはこのセカイで生きていく @heavenly-0

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