32

「まずここ入るね」


 後ろを歩く俺を振り返ることも無く、どんどん前に進んでいく藍斗が初めに選んだ店は、イギリス発のファストファッションブランドだった。

 黒や灰色の濃淡で統一された店内に陳列してある数々の洋服。無彩色のコントラストは洗練されたデザインと単色の差し色によって価格以上の輝きを放っている。


 ズラリと並んだ艶やかなハンガーパイプから藍斗が手に取ったのは黒のテーラードジャケットだった。ウエストが軽く絞ってあり、スタイルが良く見えるに違いない。デイリーからセミフォーマルまで幅広く使えそうだ。

 ずっと無言でいる俺に気を悪くするわけでもなく、藍斗は嬉々として俺の身体に服を合わせながら真剣な顔で考え込んでいる。


「これ……?うん、これだね。これにしよ」


 何の三段活用?そう突っ込む間もなく、一着目が早々に決定した。

 その後もスムーズに進んでいった。彼が斜め隣の棚から直感的に選んだトップスは白のニットで、柄も模様も無く丸襟でスタイリッシュな印象を受ける。生地に少し特徴があり、感触はフワッとしていて、この時期に合った温かみがある。


「下は違うところで選ぶから、これ買ってきてー」


 はい、と手渡された二着をそのままレジに持って行く。タグを切ってほしいと伝えて紙袋に入れてもらうあいだに、クレジットカードを別の店員に渡して会計を済ませた。

 まぁジャケット買ったし、これくらいはするよな。

 一万五千円と印字されたレシートを財布に入れる。金額を見ずに買ったが納得の値段だった。


「はい、次はこっちね!」


 ニコニコ笑いながら俺の手を引く藍斗はとても機嫌が良さそうだ。周りのギョッと驚いた視線なんて彼の視界には入っていない。

 俺は少しのあいだ緩く繋がれた手を見つめながら、ちょっとだけ考える。すぐ離れそうな不安定さが心許ない。離したくないな、なんて思っていた。


「あと下だけ買えばいい?」

「うーん、小物……」

「小物?アクセサリーはもうしてるけど」

「いや、帽子欲しいかなって」

「あー……そう言われてみると持ってないかも」

「じゃこの機会に買おう!超綺麗な金髪隠すの勿体ないけど、冬哉は帽子絶対似合うと思うんだよなー」


 金髪っていっても天然モノじゃないんだけど、そんな台詞は心の中に留め置いた。この状況を楽しんでいる彼にわざわざ言うことでもない。

 そんなとき、不意にある物が目に入って、彼の細い手首をパシッと掴んだ。そのまま足を止めて立ち止まる。


「う、わ!」

「帽子、あれどう?」

「ええー?」


 早歩きを急に止められて勢いよく前に倒れかけた藍斗をグイッと引き戻す。彼はふらつきながらも俺の視線を素直に辿った。


「あ、あの黒の中折れ?」

「そう。リボンが紺っぽいやつ」

「紺色よりもちょっと明るめだよね?絶対似合うじゃん!行こ!」


 トルソーに飾られた帽子はつばがある中折れハットで、黒にネイビーのリボンがついてクラシカルな雰囲気だ。きっと先ほど買ったジャケットと合うはず。

 目を輝かせた藍斗を微笑ましく思いながら店へと向かう。一度離れてしまった手が温もりを求めて彷徨うが、そのままストンと重力に従った。


「おー……さっきの服より高いね……」


 帽子を手に取ってタグを確認してみる。隣から感心するような呟きが聞こえてくるが、俺としては、妥当な値段だろうな、と別段驚くこともない。

 このモールにハイブランドは出店していないが、価格帯は駅ビルよりも少し高い。先ほどの店も同じで、ファストファッションだからといって安価かといえばそうじゃない。流行の最先端であり、生地やディテールは一切手を抜いていないのが洋服を見れば一目瞭然だ。


「まぁこんなもんだろ」

「え、帽子で二万だよ?高くない?」

「それを言うなら普段藍斗が着てる服だってもっと高いんじゃない?」

「それはそうだけどさ、こんなにシンプルで二万は凄い」


 藍斗は俺の手からヒョイと帽子を取った。そのままポスンと頭に乗せてきたので、大人しく首を出す。近くの鏡で確認してみたら、思ったよりも似合っていた。今の服装じゃチグハグすぎて帽子に申し訳ないくらい。


「やっぱりブロンドに青系の色って最強。しかも冬哉の髪って嫉妬するくらいサラサラだし根本まで綺麗に染まってるしさ……どんなシャンプー使ったらそうなんの?」


 じとーっと睨まれたので、さっと目を逸らしてレジカウンターへと向かう。

 実はずっとピンクのポスターに触発されていた俺は、彼に何のプレゼントを贈ろうかと頭の隅で考えていたけれど、ヘアケア用品が良いかもしれないなと会話の流れで思い付いた。


 帽子を買った店の隣には、一店目とは真逆で白を基調としたアパレルショップがある。白い壁と緑の観葉植物、そしてガラスのパーテーションがクリーンな印象を客に与える。並んでいる洋服は、ボーダーやストライプ、無地にワンポイントなど爽やかなテイストだ。


「デニムはここのやつにする。俺のもここで買ったし」

「穴開いてないなら良いってこと?」

「まぁ簡単に言うとそう。どうせ冬哉はジーンズしか着ないでしょ?」

「デニム以外だって持ってるけど」

「まさかスーツとか言わないよな?」

「……」

「図星か!」


 ハハッと笑われながらも藍斗が選んだ数本のジーンズを鏡の前で合わせてみる。色や形があーだこーだとぶつぶつ呟く彼を邪魔しないように、俺は無言で買ったばかりの洋服と帽子を頭に思い浮かべた。

 どれも似合うと思うんだけど、ていうかこの二本の違いがよく分からん。


「これ!」


 はい、と渡されたジーンズは何故か二本。首を傾げて藍斗の顔をじっと見る。でも彼はニコニコ笑うだけで何も言わない。仕方ないので両方レジへ持っていった。一万九千五百円で御座います、との明るい声に心の中で盛大な溜息を吐きながらカードを渡す。

 俺、今日だけでいくら使ったんだろう。


 帽子も含め、全てタグは切ってある。後は身に付けるだけだ。ちなみにジーンズは好きな方で、と言われている。

 偶然空いていたトイレの個室に入り、急いで着替える。元々着ていた服を紙袋に入れて、ジーンズ、ニット、ジャケット、最後に帽子を被って完成だ。全て新品の服を着たのはこれが初めて。今まで味わったことがない不思議で新鮮な気分だ。

 個室から出て、手洗い場の鏡に映る自分自身を見る。絶世の美青年にくっついていた不審者は、服のおかげで隣に並んで歩いても恥ずかしくない男になった。

 普段は目立つ髪色やピアスも帽子を被ったことで緩和されているし、家からつけてきたブレスレットやネックレスもコーディネートと合っている。

 やっぱり服装って大事なんだな、と己の無頓着さに苦笑するしかない。


 トイレから出た俺は、近くの休憩スペースで待つ藍斗の元へ向かう。二人で歩いていたときに感じた視線は、今でも俺に突き刺さる。着替える前は視線なんて全く感じなかったのに。

 人間は中身が大事って言うけど、見た目が酷かったら中身を知る気になんてなれないでしょ?――初めて抱いた女が、ホテルを出るときに言い放った台詞。当時は嫌悪したものだが、今となっては大きく頷ける言葉でもある。


「藍斗」


 足を組んでスマホを見ていた彼は、俺が近付いたことに全く気づいていない。向かい側にいる女の子は俺を見て目を丸くしたあと、我に返ったようにバッと目を逸らしたけれど。


「あ、着替え終わっ、……」


 掛け声に反応した彼が顔を上げた瞬間、パチッと視線が交わる。周囲のザワザワした喧騒の中で、俺と藍斗は無言のまま見つめ合った。


「……」

「……」


 彼が口を開かないから、俺も何も喋らない。どこかおかしいところはあったかと首を傾げるが、今の格好は普通だと思う。


「……」

「……そろそろ何か喋ってよ」


 ずっと立ちっぱなしの俺と、そんな俺を座りながら凝視する彼。周りの目もある。さすがに我慢できず話し掛けた。


「……かっこいい」

「え」

「イケメン」

「あ、うん」

「最高すぎ」

「ありがとう」


 淡々とした口調で紡がれていく褒め言葉。台詞と表情が全く合ってないから、いまいち褒められた気がしない。


「はぁ……」

「なぜ溜息?」


 真顔だったかと思えば、急に重い溜息を吐いて項垂れた彼の隣に座って、そっと柔らかい黒髪を撫でてやる。


「なんでいきなり落ち込んでんのか分かんないけど、取り敢えずデートしない?」

「……する」


 チラリとこっちを見た藍斗の目元はほんのり赤い。さっき俺を見て勢いよく目を逸らした向かい側の女の子も、ピクリと動いた後は不自然なほど固まっている。ベビーカーの中の赤ちゃんをあやしていた若いお母さんは、俺たちを見て小さく拝んでいた。視界の端っこにバッチリそのシーンが映ってしまっている。


「ほら、行くぞ」


 先に立ち上がって、座ったままの彼に手を差し出した。その細い指が俺の手に触れた瞬間を狙って、もう離れないようにと握り締める。恥ずかしそうに微笑んだ藍斗は破壊的な攻撃力で俺の心臓を撃ってくる。


「何か見たいものある?」

「特に無いかなぁ……取り敢えず一周しよ?」

「あ、新しいクッション欲しいから藍斗が選んでよ」

「冬哉の部屋の?」

「そ。ソファに置いてるやつ。一昨日カフェラテ溢したから、変えよっかなって」

「あー……乳製品は臭くなるよね。俺が選んで良いの?」

「藍斗には鍵も渡してるしね。どうせなら藍斗が気に入ったやつ置いておきたいかな」


 ベビーカーのママが呟いた、半同棲最高、の言葉が俺の中にスッと入ってくる。

 悟りを開いたような笑みでスマホを見つめる女の子の指はずっと動いていない。

 蔑まれるよりはマシだよな。そう思いながら休憩スペースを離れて、メインストリートに戻る。

 インテリアショップはどこだったかな。

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