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二月に入ると、凍えるような寒い日と春のような暖かい日とで寒暖差が激しくなる。
今日は幸運にも気温が高く厚手のパーカーで十分だ。いつものダウンは玄関のコート掛けで留守番している。
俺は数日振りに『外出』をしていた。わざわざ電車に乗り、少し遠くのショッピングモールまで足を運んでいる。その最寄り駅から徒歩一分、地下通路を使えば直通でエントランスを潜ることができるこの商業施設は、創始者はヨーロッパの貴族という世界的に有名な財閥が関連している大企業が経営している。
地下通路から続くレンガ敷の床は、建物の中に入っても永遠と続いていた。
上を見ると、そこには青い空と白い雲。一定時間ごとに空の色が変わる仕掛けになっていて、今俺が見ている夕焼けはオレンジと薄紫、そして夜色の群青が綺麗にグラデーションを作っている。施設がオープンした当時は、あまりにも画期的な天井に皆エントランス付近で立ち止まるほどだった。
幅が広い一本道の両側にはテナントが一店舗ずつそれぞれ趣の異なる形で客を出迎える。その光景はまるでパリのサントノーレ通り。店舗は二階建てのように見える造りになっていて、フェイクやハリボテなど言い方は多々あるが、再現度が高すぎるため本物の『街』にしか見えない。
全面ガラス張りのアパレルショップもあれば、石造りの壁で区画を区切ったインテリアショップ、ココナッツやヤシの木で囲まれたトロピカルなキッズ服専門のショップなど種類は様々だ。屋外のアウトレットモールのようにほとんどがワンフロアに集合している。
二階はカフェやレストラン街、そしてフロアの半分を占める巨大なフードコート。『流行の最先端』が謳い文句だけあって、異国では有名だけど日本ではまだ無名のスイーツや軽食が簡単に食べられるらしい。流行りに敏感な若者やインフルエンサーなどで常に賑わう。
人の流れに合わせながら歩いていると必ず目に入ってくる蛍光ピンクのポスター。二月の風物詩はどの店にも通ずるようで、女性向けのショップでさえも数枚ポスターが貼られている。日本以外の国は男性から女性に気持ちを伝える日だというから、世間もどんどん欧米化しているのかも。
今日待ち合わせしている彼の顔を思い浮かべながら、同性同士や友人同士でも気軽に楽しめるイベントになっているんだなと妙に感心した。時代はいつの間にか移り変わっている。
いくら人気エリアとはいえ開店直後は閑散としているが、あと一時間もすれば混み始めるだろう。まだ空いているうちに二階のフードコートまで足を進める。
エレベーターやエスカレーターもあるが、俺は敢えて真ん中にドンと聳える大きな螺旋階段を上っていく。よく御伽噺の中の舞踏会で王子様とお姫様が城の階段を降りてくる――ファンタジーではお決まりのシーンだ。
二階フロアに立てばすぐフードコートを見渡すことができる。やはりまだ数組の客しかいないし彼も来ていないようだ。
今なら窓際のソファ席も、二人乗りブランコ席も、掘り炬燵の座敷だって選び放題。しかし一人でブランコに座る勇気もなければ、六人用の座敷席に陣取る気は毛頭ない。せめて二人掛けのソファ席くらいは良いだろう。
まだ手の中のスマホは無言のまま。無料のウォーターサーバーから水だけ貰って、窓から晴れた空を悠々と飛んでいる鳶を眺めながら、昨夜のことを振り返る。
風上が言っていたイベントは明日の午後。朝スマホをチェックした時には、だいぶ酔っていたはずの彼からきちんとメッセージが届いていた。送信時間は今朝の四時。まさかオールじゃないよな?と内心疑っている。
「お待たせー」
明るい声で俺の肩をポンと叩いてきたのは、赤が最高に似合う俺の相方。いつも通り黒づくめでジャラジャラしているかと思いきや、別人かと思うほどシンプルな服装でチェーンやクロスなどは一つも付いていない。モノトーンな色合いは彼の髪色や片耳のピアスを目立たせる。普段はつけていない装飾品も、今日はブレスレットやリングで品良くまとめられていた。不意に、お泊り会の日にノートと二人で観たアイのPVが頭を過る。
「そんなに待ってないけど……今日は雰囲気違うね。どうした?」
「ん?服装のこと?いや、何事にもTPOってあるじゃん?」
自身の服装を確認したあと、俺を不思議そうに見ながら、彼はそのまま向かいのソファに座る。手元にはきちんと紙コップを持っていた。
「ここと雰囲気合わせてきたんだけど、どう?自分で言うのもなんだけど、結構良い感じじゃない?」
「めちゃくちゃ良い。いつもの服だと年齢不詳の美人かつ中性的って感じだけど、今日はマジで王道のイケメン。ハイクラスの青年にも見えなくはないレベル」
「おぉ、凄く褒めてくれてる。そして冬哉は相変わらずの服装!取り敢えず冬に着古したダメージジーンズは封印して」
真顔で言われた俺は、苦笑しながら肩をすくめた。そうは言われても手持ちの服なんて似たり寄ったりで、複数買いしたジーンズとプリントが違うだけのTシャツや同じ形で色違いのカットソー。耳につけているピアスや、今日つけている他のアクセサリーはブランド物だが、服装で全てを駄目にしていると言われたら反論できない。
「んー……じゃ、藍斗が選んでよ」
「え、俺?」
「そう。俺センス無いの知ってるだろ?藍斗が選んでくれた服なら、タグ切ってもらってすぐ着替えるよ」
「マジ?」
「マジ。藍斗の隣にいても恥ずかしくない俺にして」
「……え、なにその殺し文句……」
自分の魅力の使い方は心得ている。女ウケするであろう表情をつくって微笑んでみたら、藍斗も分かりやすく目線を逸らした。すぐ俯かれたから頬の色は確認できなかったけれど、耳はほのかな桜色に染まっている。
「相変わらず反応良いよな」
俺は満足感を味わいながら紙コップ半分ほどの水を一気に飲み干した。
「うるさいよ。ほら、行こ!」
軽く睨んできた藍斗の頬も僅かに赤い。肌が白く顔の造作が整った彼は、真顔でいると人形やマネキンかと思うほどクールに見えるが、こうやって表情を出してやれば驚くほど可愛らしい。年齢も身長も大人だというのに、このアンバランスさは彼の大きな魅力の一つだ。そして一度惹きつけられたら、強力な磁場に吸い寄せられるかのように抜け出せなくなる。
彼に急かされ、袖をぐいぐい引っ張られる感覚に思わず吹き出す。そうまでしなくともちゃんと着いていくのに。
紙コップはフードコートから出る際にゴミ箱へポイッと投げ捨てておいた。
飲食店以外は全て一階のフロアに詰まっている。さて、最初はどこに連れていかれるのだろう。最後にちゃんと服選んだのっていつだったかな。正直記憶にない。
一階に戻ったら、俺が来たときよりだいぶ人が増えていた。家族連れやカップル、友人同士など様々なグループで賑わっている。
フロアのメインストリートを歩いていると、どうも女性たちがチラチラ俺たちを見てくる。普段は俺や藍斗の服装のせいで逆に顔を逸らされるが、今日は真逆の反応だ。
今の藍斗は美男子そのものだし、マスクで顔を隠しているわけでもない。そりゃ見られるよな。
なぁ、君の彼女も藍斗を見てるよ。そんなんで良いのか?
ちょうど今すれ違ったカップルに心の中でクレームを入れてみる。しかし隣の彼氏まで藍斗を見ていた。しかも目を丸くして口まで開いている。
そこはもっと睨むべきじゃないか。彼女が他の男に見惚れてるのに。
そんな言葉は勿論心の中で吐き出すだけ。
このままだと、絶世のイケメンの後ろをダルダルの服装で不審者が歩いてるようにしか見えない。しかも軽く俯き気味だから挙動不審に見えているかも。
――この視線は割と不快だ。早急に着替えなければ。
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