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「……なんで歌い手に?」


 なぜ今更この界隈で勝負しようと思ったのか。ヒメもトキもそれぞれの世界で有名になるほどその道を究めている。


「あー、俺も一回会って話聞いただけだからよく分かんねぇけど、ヒメがボカロ好きになってカラオケで歌ってたら、トキが僕も歌うってなって……それだけ?」

「それだけ……」


 まぁ何かを始める理由なんてそんなものだよな。

 俺だって大学のカフェで耳に入ってきたのがボカロだったってだけだから。


 俺たちの世界がもっと活発化するためには、この二人のように表舞台で有名な人たちが歌い手としてボカロを広めてくれるのが最適解だ。


「……で、ノ、あー、笹原さんがプロデュースするんですよね?」

「ふっ、今俺たち隣同士だしノートでいいよ。俺もフユって呼ぶわ」


 クスクス笑われた。思いきり顔を逸らして、料理と真正面から向き合う。モグモグと無言で口を動かしていれば、ようやく笑いが止まったノートに腕をツンツンと人差し指でつつかれた。


「なんすか」

「わりーって!でさ、まぁプロデュースしようと思ってるわけよ」

「でもこの二人固定ファン絶対多いでしょ。プロデュースする意味あります?」


 こんなにも知名度がある彼等の何をプロデュースするというのか。歌い手としてはこれからかもしれないが、他の分野では一定の地位を確立しているわけで、それらを上手く使えば視聴回数なんて一気に稼げるはず。


「あー……これマジのオフレコなんだけど……俺今度CDつきで本出すんだよ」


 隣にいる俺だけしか聞こえないくらいの小さい声で囁かれた。俺の耳にノートの手が添えられ、吐息すら感じるほどに唇を寄せられる。


「へぇ……凄いっすね。完成したら買います」


 あまりの近さにそっと身体を遠ざけた。もう少し離れてくれないと、周囲からの視線が怖すぎてトイレにすら行きにくい。


「おう、サンキュ。でさぁ、中編くらいの話を何個か入れようかと思ってて」

「はぁ」


 アサリの身を殻から外しながら適当に相槌を打つ。貝柱が残ってしまった。勿体ないが殻を咥えるわけにもいかないので諦める。


「本屋で売ってんの見たことない?毎日読めるように日付書き込むスペースあって超分厚いやつ」

「あー買ったことないですけど存在は知ってますよ。園児用とか小学生用とかありますよね。図鑑より分厚いやつでしょ?」

「それそれ。さすがにそこまで分厚くしねぇけど、大人用にそういう本作りたくてさ。で、俺の強みって話と曲書けることだし、どうせならCDつけようかなって」

「全曲書き下ろしで?」

「そう。どうせなら書き下ろした方が面白そうだし」

「それは……大変ですね。頑張ってください」


 俺はそう言って、ピタリとくっついていた距離を友人同士の適正距離に戻す。少し横に身体をずらして、空いたスペースにダウンを置いた。これで周囲からの好奇の眼差しは和らぐだろう。――既に遅すぎる気もするけれど。


「いや待て、お前関係あるから」


 折角作った距離をまた詰められた。俺が防波堤にしていたダウンはポイッと彼のコートの上に放られて、俺が両手を伸ばしても届かない場所に行ってしまう。

 再度触れ合う肩と髪。俺は大きな溜息をわざと大袈裟に吐いてやる。呆れた瞳を隠しもせずにノートに向けた。


「なんでですか。ていうか距離近いですって」

「まだ話は終わってねぇの」


 こんなに近くにいられると食事も満足にできない。目の前のパスタは少しずつ冷めていく。あと三分の一だから早く食べ切ってしまいたいのに。


「ボーカルをあの二人にしたことは良いんだけどさ、どうせならまた違うコラボもしたいよなぁとか思ってんだよね」

「……さっきから何回『どうせなら』って言うんですか。ていうか『どうせなら』で色んなこと付け足さないで下さいよ」

「そうは言ってもさぁ、お前も興味湧いてきただろ?」


 フユの答えなんて理解ワカってる、そう言わんばかりの彼に苛立ちすら覚えた。図星だから何も言い返せない。見透かされているようで悔しい。

 誰かのために曲を書くことも誰かとコラボすることも今まで無かったけれど、アイと組むと決めてから自分の世界が少しだけ広がった気がしているのも事実だった。

 世界の明るさを知ったというか、目の前は広がっているのだと気付いたというか、可能性は無限大だと悟ったというか。


「フユが誰かのために曲書かないのは知ってる。コラボだってしないのも知ってる。全部分かったうえで言ってんの」


 急に真面目なトーンで俺を見つめてくるから、窓の外をぼうっと見ていた俺もついノートと目を合わせてしまう。あ、これ本気マジだ。


「でもさ、俺の船にお前も乗ってくれない?絶対楽しいよ。勿論沈まない」


 至近距離で顔を見合わせた俺たちを、周りの客はどう思ってるんだろう。真摯に告げられたが、思考はボンヤリと明後日の方向に飛んでいる。顔が良いって得だよな。そんなことばかり考えていた。

 紫紺の髪は彼のアイデンティティと言っても良いほど馴染んでいる。イニシエから尊ばれてきた色がここまで似合うのは彼くらいだろう。瞳に揺らめく炎は意志の強さそのものだ。

 ふぅと深く息を吐く。こんな粋な誘い方ってあるか。さすが小説家。簡単に頼まれたらさくっと断れるのに、船に乗らないかと言われたら大海原を航海してみようと思ってしまった。

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