25

 夕方になってどんどん冷え込んできた。相変わらず雲一つない空が頭上に広がっていたが、それだけにいつもより寒い。家族連れや学生が減ってきて人口密度が下がったことだけが良いことだ。

 この時期ウォーターコースターは不人気のようで、一度も立ち止まることがないまま乗り場に着く。夏季より水は少ないと看板にあったけれど、結局それでも濡れてしまった。


「なぁ、どっか店入って服乾かそ……」


 萎えた声でノートが提案してきた。彼の黒いスキニーデニムは太ももと裾のあたりが少しだけ濡れている。


「あー……でもバイキング誰も並んでないですよ。今並んだら一番端に乗れるんじゃないっすか」


 ハンバーガーを食べながら聞いた彼の計画プランによると、バイキングは絶対に両端が良いらしい。その方がスリルを感じられるから、と満面の笑みで語っていたことを思い出す。

 ウォーターコースターの出口からバイキングの乗り場が見える。今動いている船には数組しか乗っていないし、並ぶ場所にはまだ誰もいない。

 十七時を過ぎて、周囲は真っ暗になっている。時計を見なければ夜も深くなってきたと勘違いしてしまうほど。イルミネーションはとっくに点灯を開始し、メインシンボルの大観覧車も眩いほどの輝きを放っている。


「よし、並ぼ」

 

 即答だった。濡れた服よりもアトラクションを優先するあたり、よっぽど乗りたかったんだろうな。俺は自分で言い出したにもかかわらず苦笑してしまう。


「さすがにコレ乗ったら夕飯行くか?」

「んー……腹減ってます?俺は食えなくもないって感じですかね」

「俺もそこまでじゃないけどさ、六時過ぎると混むんじゃね?」

「あー、なら行きますか」


 ノート待望の一番端でワーワー叫んだあと、フードエリアに戻ることにした。しかし、誰も並んでいないアトラクションが目に入ると、今のうち乗っておくかと思ってしまう。ウェーブスインガーまでノリで乗ってしまった。全身に風を感じて、今度こそ凍え死ぬかと思った。


「ウェーブスインガーってオシャレな名前ですよね」

「あーね、空中ブランコの方が良いよな」


 コースターエリアのイルミネーションは青がメインのようだ。花壇にはロケットやロボットなど近未来を想像させる装飾がピカピカ光っている。エリアごとにテーマがあるのかもしれないと夜になってようやく気付いた。

 フードエリアは黄色やオレンジ、赤などのビタミンカラーが多く使われていた。店の窓枠やドアがキラキラの電飾で縁取られている。


 今は十七時半。ようやく混み始めるかな、というところ。俺は取り敢えずノートについていく。隣を歩く彼の足取りはしっかりしている。既に店を決めているのかもしれない。


「ここ。席予約してあるぜー」

「え、いつの間に」

「んー?さっきの間に?」


 フードエリアA-5『生パスタ専門店 リガトーニ』

 飲食店の多くは長屋スタイルだが、それとは別に数店舗が独立して建っている。エリア最奥にあるミニ広場を囲むように五店舗ほど並んでいて、そのうちの一つがこの店だ。

 外に置いてあったメニューを見ると、夜はコースだけの提供だった。値段設定は、遊園地にしては少し高め。イメージでいうと、駅ビル最上階レストランフロアのランチコースくらいの価格。

 清潔感のある壮年男性に席を案内された俺たちは、勧められるままにソファに座る。そして、横に並ぶように座ったノートをジトリと睨んだ。


「で、なんでカップルシートなんすか」

「いやぁ、ここしか空いてなくてさー」

「嘘言わないで下さいよ。周りからの視線が痛すぎて飯どころじゃないんですけど。俺たち絶対勘違いされてますって」

「お前そんなの気にするタイプだっけ?まぁ良いじゃん。俺もお前もイケメンだし、外野だって悪い気しねぇって」


 三人は余裕で座れる大きさのソファはビリジアン。森林を連想させて落ち着いた印象を与える。ソファの前には食事ができる広さのテーブルがあり、その向こう側は下から天井までのガラス窓。見えるのはギリシャ風の庭園だ。白塗りの石壁や花壇、ストーンレリーフがスポットライトで照らされ、パーゴラにはつるバラが絡まっている。

 店内は柔らかい間接照明とテーブルの上のキャンドルだけで照らされており、ムードは申し分ない。男二人でこの席を占領しているのが申し訳ないくらいだ。


「……笹原さん、笑顔でえげつないこと言わないでもらって良いですか」


 イケメンかどうかは別として、センシティブな発言は苦笑して聞き流すしかない。


「ははは。ほら、コースこれで良いっしょ?Bコースくらいが妥当だと思うんだけど、どう?パスタだけ選んどいてー」

「……ボンゴレロッソ」

「はやっ。んー……じゃあー、あ、俺雲丹クリームにしよ」


 食事はサラダ、パスタ、ドリンク、デザートプレートというオーソドックスなもの。一番初めにサラダが来たので、いただきますと軽く手を合わせてレタスから食べ始める。

 うん、フレンチドレッシングの酸味はいつ食べても美味しい。

 となりからパリポリを生人参を齧る音。キュウリや人参がスティック状に切られていて、かつて小学校の飼育小屋にいた白ウサギを思い出す。


「で、良いこと思い付いた話ねー、聞いてくんない?」

「……俺、最初からそのために来たんですけど」


 フォーク片手に口を開いたノートは、食べるペースそのままに話し出す。

 今更何を言い出すのか。俺は、彼を見なかった。ライトアップされた目の前の庭園やサラダボウルの中身だけを注視する。


「俺ねぇ、今あるコンビをプロデュースしようと思っててさ。あ、これオフレコでよろしく」

「はぁ……」


 ミニトマトを一口でパクリ。あまりの甘さに驚き、器に残っていたもう一つをまじまじと観察してみる。真っ赤だが皮に張りがあり瑞々しい。フルーツトマトを食べたことはないけれど、もしかするとコレのことなのかも。


「これ見て。知ってる?」


 そう言ってノートはスマホを差し出した。右に寄って、俺と彼の隙間を埋める。肩同士が触れ合うほど密着した。そっとスマホを覗き込むと、検索エンジンを使ったのか、画面には似たような画像が沢山表示されている。


「知らないです。俺、結構今時の疎いんで。まぁでも人気ありそうだなーとは思いますけど」

「この二人、歌い手なの」

「顔出ししてる歌い手って珍しいっすね」

「いや、二人とも本業が違うんだよ。歌い手になったのは最近って言ってたかな?」

「へぇ」


 画像には二人の青年が写っている。どれを見てもほとんど二人で写っているから、本業もコンビで活動しているのかと首を傾げた。二人ともそれぞれ異なるタイプだが、やはり顔が良い。表舞台に立つ者特有のオーラも感じられた。


 右にいるのは黒髪で大人しそうな見た目の男性。立っている画像を見ると、スタイルはかなり良さそう。前髪から覗く瞳は優しく、表情はどれを見ても柔らかい。

 左には銀髪で白い肌の少年、いや青年か。藍斗のこともあり、見た目で年齢を推測するのは意味がないと知っている。黒髪の青年の腕を掴んでいる画像が多い。引っ込み思案なのかもしれない。身長は右の彼より低い。


「この右の優しそうなイケメンがヒメ。本業はモデルとかダンサーでさ、有名なミュージカルにも出てたよー」

「まじっすか。全然知りませんでした」

「テレビには絶対出ないことで有名だからねぇ。だから歌い手でもいけた感じ。ほら、歌い手界隈のリスナーには顔知られてなかったから」

「あー……」


 もちろん人によるだろうが、歌い手や『推し』と呼ばれる存在を応援しているリスナーは、その活動以外に時間を割くことが難しかったりする。テレビに出ないならヒメを知っている人は少数だろう。元からミュージカルが好きだとかファッションに興味があって雑誌を買っている人だとか、そういうレベルしか知らなかったんじゃないかな。


「この左がトキ。本業は音楽家!」

「は?」

「見えないだろ?その反応分かるわ。でもさぁ、ピアニストでヴァイオリニストで作曲家なんだよなー」


 ノートの言葉を信じ切れなかった俺は、もう一度画像に目を落とす。そして自分のスマホを取り出して検索をかけてみた。すると、彼等に関する情報が詳しく出てきただけではなく、トキが作った曲を全てリストアップしている猛者もいた。


「……交響曲?まじか……」


 口の中で小さく呟く。それだけではなく、ゲームや映画の音楽も手掛けていた。


「俺たちの仕事ってさ……クリエイティブなせいか、たまにこいつ天才だなーって思うときあるじゃん。まぁ俺からすればフユだって間違いなく天才だし?それにさ、世に埋もれてる天才はまだまだいるわけ」


 ノートはフォークでパスタを器用にクルクル巻きながら、自分自身に言い聞かせるように語り出す。俺はそれを遮らないように、僅かに残っていたスープをそっと飲み干した。


「でもなぁ、トキは天才なんてレベルじゃない。――神童だ」


 雲丹クリーム美味いよ。そう言いながらパクリと食べ続けるノートと俺の間には、何とも言えない微妙な空気が流れる。


 現代は、本気で努力さえすれば大抵のことは叶う世の中だ。たとえ何十年掛かったとしても、諦めたり投げ出さなければ。

 叶わないと嘆く人は、叶う前に諦めるか努力が足りない人だと若き実業家が言っていた。

 天才=努力できる人、そう書かれたコラムをどこかで読んだ記憶がある。みんな自分の才能に気付かず苦悩しながら生きている中で、天才とは自分の才能を自覚しそれを伸ばそうと努力している人だという。

 賛否両論はあれど、俺の周りの天才たちはみんなそうだ。俺だってノートだって藍斗だって、まだ会ったことがない鳳蝶だってきっと辛酸を嘗めながらここまで這い上がってきた。


 神童――ピアニストでヴァイオリニストで作曲家なんて現実的じゃないと最初はノートの言葉を否定した。


 だが、歴史を見ればいるじゃないか。

 幼少の砌から作曲をし、女帝マリア・テレジアの御前で演奏までしたといわれる神童が。

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