23
「今日は天気良くて散歩日和だねぇ」
「……そうですね」
数時間前に聞いた台詞だな。そう思いつつも相槌を打つ。
石畳で舗装された駅前は、街灯や橋やポストまで中世ヨーロッパ風に統一されていた。多くのカフェやレストランにはテラス席があり、パリのセーヌ川沿いを想像させる。
冬の今日は、気温こそ低いけれど日光が当たる場所はポカポカして気持ちが良い。犬を連れたマダムが優雅にコーヒーブレイクを楽しんでいた。
そんな景観は見飽きているだろうノートは、迷いもせずに道を選んでいく。軽い足取りで機嫌は最高に良さそうだ。
海が近いからか風が強い。首元から冷気が服の中まで入り込んでくる。マフラーをつけてくるべきだったと後悔した。
海風に耐えながらノートの隣を歩いていると、海浜公園の入口が見えてきた。外周を走っている壮年男性、芝生で行われているヨガレッスン、カップルシートには肩を寄せ合う老年夫婦。そこには多種多様なライフスタイルがあった。
遠くに見えるのは大観覧車。夜になるとライトアップされて虹色に光り輝き、カップルに人気だと以前テレビのワイドショーで観たことがある。
公園内のカフェもしくはベンチで話すのかと思いきや、ノートは公園に見向きもしなかった。
まさか――嫌な予感がする。
この道を真っ直ぐ進むと遊園地にたどり着く。数年前リニューアルオープンしたせいか、客数が今でも多い。アトラクションはほとんどが最新式で、絶叫系から子ども向きのものまで揃っている。家族やカップル問わず大人気のスポットで、都内の旅行雑誌には絶対見開きで載っているほど。
「笹原さん、まさかとは思いますけど……」
「お前、ジェットコースター平気だよな?」
「え、あ……はい」
それは質問のようで質問じゃない、決定事項。
にっこりと微笑まれたがその瞳からは圧を感じる。
コクリと頷いてしまった。
遊園地が近付くにつれてどんどん人が多くなっていく。平日にもかかわらず賑わっていて、高校生なんて数え切れないくらいだ。
テーマパークでもないのに可愛いカチューシャをつけている人が多いのは何故だろう。モフモフの帽子やイヤーマフは一瞬だけ羨ましくなった。
歩いているあいだに耳が冷たいを通り越して痛みが出ている。きっと赤くなっているだろうからイヤーマフなら今すぐにでも欲しい。
でもああいう類の物は帰ってから後悔するんだよな。
何でこんなもの買ったんだろうって。
「……取り敢えず、どっか入りません?寒くて無理です」
エントランスを潜ったらどうせもう引き返せない。
俺は諦観の境地でノートに提案する。
ちなみに、何種類もチケットがある中で迷わずフリーパスを買った彼には言葉も出ない。
「えージェットコースター行こうと思ったんだけど」
「一発目からそれはエグいんで止めときましょう……」
「仕方ねぇなー。じゃ、あそこ入ろ」
ノートが顔を向けた先は飲食エリア。コーヒースタンドやカフェ、軽食からビュッフェスタイルのレストランまで何種類かの飲食店が同じ屋根の下に集っている。江戸時代の長屋を想像させた。
「神崎くん腹減ってる?」
「あーまぁ、割と」
そういえば、朝ヨーグルトドリンクを飲んだきりだ。マグに入ったコーヒーは作業に集中するあまり、ほとんど口を付けないままデスクの上に置き去りにしてきた。一応ティッシュを被せてきたから、帰ったらレンジで温めて飲もう。風上には貧乏性だと笑われるけれど、祖母の癖を今の俺が引き継いでいると思うと止める気になれなかった。
「希望ある?」
「……ラーメン以外ですかね」
豚骨ラーメン専門店がここから一番近いが、遊園地に来てまでラーメンは何か違う気がする。中華バイキングも同じ理由で惹かれない。
「笹原さんは何が良いですか」
「あー俺はねー……無難にハンバーガーかパスタかな。ビュッフェってほどでもないし」
「じゃハンバーガー行きますか」
「おっけ」
ハンバーガーショップは日本一店舗数が多いチェーン店。いらっしゃいませー!と元気な掛け声は逆に戸惑ってしまうほど。ありがたいけれど、俺には明るすぎた。
まずは空席を見つけるために店内を一周する。一階席は家族連れが多く賑やかだったが、二階席は年齢層が高めで静かだった。モカブラウンの壁紙にアート作品が数点飾られてある。
「ここで良い?」
「はい」
二階窓際のソファ席。エントランスからパークに入ってくる人たちがちょうど見える。
上からメインストリートを見下ろすと、ポップコーンやワッフルを売っているワゴン車、透明な風船の中にラメの風船が入ったバルーンインバルーンを配るスタッフが目に入る。昔縁日で貰った風船とは全然違っていて驚いた。
「神崎くんここで待っててよ」
「え。それは悪いです」
「いやいや、大丈夫!じゃ席取っててねー」
そう言うと同時に、彼は俺の手首をグイッと引く。あ、と思ったときには勢いよくソファにボスンと沈み込んでいた。苦情を言おうと口を開いたが、ノートは既に背中を向けて階段までスタスタと行ってしまった。
俺はやれやれと深い溜息を吐く。フランネル生地のブランケットが綺麗に畳まれて置いてあったのに、無残にも尻で踏んでしまった。誰かの忘れ物かと思いきや、ソファ席には全てブランケットが置いてある。ホスピタリティ精神が凄い。腰を少しだけ浮かせてブランケットを取り出す。手の中には青のブランケット、目の前のソファには赤。何食わぬ顔で交換しておいた。
手持ち無沙汰で何気なく窓下を見る。同じ制服を着た男女半々のグループや、色違いのカチューシャをつけたカップル。大きなお土産袋を幾つも抱える家族連れはもう帰るようだ。ベビーカーに乗った小さな小さな命はスヤスヤと眠っている。ジャンプスーツはピンク地に色とりどりの花が描いてあって可愛らしい。女の子かな。暖かそうだ。
何故かスマホを触る気分になれなかった。久々にこんなところに来て俺も少しは浮かれているかのかもしれない。
ゲートでチケットを確認されたときにお姉さんから手渡された園内マップを膝上に広げてみる。
エントランスから一番近い『フードエリア』がここ。向かい側が雑貨やお菓子など土産物を売っている『ギフトエリア』らしい。名前が安直なのは突っ込むまい。
俺は地図を両手に持ち直す。フードエリアを出て奥に進むと『コースターエリア』がある。数種類のジェットコースターと複数の絶叫マシン。コースターエリアとあるが、絶叫系が集まっている形か。そこを通り過ぎると『ファンタジックエリア』。急にネーミングセンスが出てきたぞ。観覧車やコーヒーカップ、メリーゴーランドなど数種類のアトラクションと大きな噴水広場がある。今はイルミネーションシーズンらしい。
ファンタジックエリアが最奥で、エントランスに戻るように歩くと『キッズエリア』がある。幼児専用の遊具広場や、小学生以下限定のコースターやフリーフォールなど、カラフルで積み木をモチーフにしたデザインだそう。ちょっと気になるな。そして最後に『ギフトエリア』で終了。五つもエリアがあるから本来は一日中楽しめそうだ。
「超集中してんじゃん」
「……え?」
パッと地図から顔を上げると、ノートはいつの間にかソファに座っていた。コートはきちんと畳まれて荷物置き用のカゴに入れてある。全く気付かなかった。
「そんなに面白い?」
「俺、ここ初めてなんで」
「マジで?じゃ今日は楽しまないとなー。まずは食べようぜ」
「ありがとうございます」
目の前にあるトレイにはハンバーガーが一つとサラダ、そしてコーヒーが置いてある。サラダについているドレッシングは和風。俺の好みを完璧に把握している。
「このハンバーガー、見たこと無いんですけど」
「あぁこれ?なんかこの遊園地と期間限定でコラボしてるんだって。オススメされたから買ってあげたんだよね」
「……はぁ」
「二種類あったから俺とお前一個ずつね」
そりゃ見たこと無いパッケージのはずだ。紙で包まれているタイプではなく、箱に入っているタイプか。食べづらくないと良いけど。
箱に書いてある名前は『ウィンターフェアリーのジュエリーボックス』――なにこれ、開けたくない。
じーっと箱を見つめていると、俺の前にもう一つ似たような箱を差し出される。
「名前ヤバいよな。俺のも見てみ?」
薄ピンク色にラメ入りの赤で流れるようなレタリングで綴られているのは『カラフルロリポップとスノーイリュージョン』――こっちもしんどい。
「どっちもどっちだし、取り敢えずハンバーガーにつける名前じゃないっすね」
「それな」
意を決して蓋を開けてみたら、ソースだけちょっとこだわってるかも、くらいの案外普通のハンバーガーだった。
拍子抜けだ。どうせならもっと攻めた組み合わせにしてくれ。
「これ食ったらコースターエリアで良いよな?」
「……はい」
一発目にジェットコースターはどうかと思ったが、今回も圧を感じて渋々頷く。せめて何種類かあるうちの比較的楽なものにしてもらいたい。絶対に一回転や二回転するようなグルグル系は駄目だ。胃の中のものが全部出る。
この人はクールそうに見えてテーマパーク系大好きだもんなと目が遠くなる俺をよそに、ノートはマップを広げて自分が乗りたいものをピックアップしている。
今はもう三時半すぎ。閉演時間と照らし合わせながら、何個乗れるかなと呟く彼は年上だが年上には見えない。
「これは絶対五回は乗りたいしな……」
そう呟いた彼の視線の先には、一番人気のジェットコースター。回転は一回だが途中に急降下や大落下が二回もあったり急旋回があったりと絶叫ポイントが何ヵ所もある。そのエリア全体を囲むコースターだから、乗車時間も長めでかなり体力を持っていかれること必至だ。
その呟きは聞かなかったことにする。全力でスルー。だけどノートのことだから、きっとどんな手を使っても俺を付き合わせようとするだろうし、俺も結局流される。そしてその一連の流れを俺もノートも感じ取っている。
大人しく咀嚼する速度を上げて、少しでも彼のために時間を残そう。
そういえば、夜中に電話で言っていた『ちょっと良いこと思い付いた』話はどこにいったんだ。
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