22

 ガタゴトと揺れる車内。

 車掌特有の方言とも訛りとも違う聞きにくいイントネーション。

 地下と地上のローテーション。


 先に電車に乗った藍斗を見送ったあと、数分遅れで俺も乗車してから早三十分が経つ。俺が乗ったとき私鉄だったはずの路線は、直通運転によっていつの間にか地下鉄になっていた。

 ノートが住む最寄り駅までは後二十分ほど。数でいえば八駅くらい。ようやくここまで来た。

 俺は久々の長時間乗車に疲れていた。ずっと同じ体勢で座っているから腰が怠く感じる。車両の端に座っているが、それでも隣に誰か来るたびつい気を張ってしまう。

 伏せていた目を上げると、ドアの前に立っている女子高校二人組と目が合った。冬でもミニスカートなのは尊敬に値する。

 先に目線を逸らしたのは俺の方。ジロジロ見られるのは居心地が悪い。全力で平然を装うが、今更寝たふりなんか恥ずかしくてできやしない。

 どうしようもなくて、取り敢えずスマホを触る。適当にインストールしているアプリ一覧を眺めていたら、ノートに何の連絡もしていないことに気が付いた。


『もう電車乗ってます』


 今更だとは思いつつも送らないわけにはいかない。


『連絡するの忘れてました。すみません』


 相手が読む前にもう一度メッセージを送信。謝罪はきちんとしておかなければ。

 昨日の電話では、彼との約束は夕方のはず。こんな昼下がりに向かって大丈夫なのだろうか。何か予定を組んでいたら申し訳ないな。

 僅か十数秒で既読マークがついた。怒っている少年のスタンプも二つ連続で貼られている。


『今どの辺?』


 クエスチョンマークは有名アニメーション映画とコラボレーションして話題になった可愛らしい絵文字。彼は見た目に寄らず多種多様のスタンプや絵文字を使ってくる。見たこともない奇抜なスタンプに声を出して笑ったのはつい最近のこと。


『次が――駅です』


 それに比べて、俺の文章は句点すら無い。絵文字もスタンプも買ったことは一度もない。最初からインストールされているものですら使わないから、俺と初めてメッセージをやり取りした人には、フユくん怒っているの?と気を遣われることが多々ある。


『マジか。把握』


 もう返信する必要はないだろう。視界の端にいた女子高校たちはとっくに遠くの座席に腰を落ち着けていた。取り敢えず、鞄は隣に置かず抱えとけ。


 気付いたときには地下から出てずっと地上を走っていた。また路線が変わったんだな。

 あまりにも暇すぎて、外をぼうっと眺めるしかない。タワーマンションや高層ビルの間に挟まれるように美術館や商業施設、海浜公園や水族館、そして日本一有名な劇団が所有する劇場もある。名前だけは聞いたことがある外資系ホテルも見つけた。


 途中は一度疎らになった車内も、また混み始めてきた。みんな目当ての駅は俺と同じ気がする。このまま混んだ車内に居続けるのは憂鬱だけど、あと数駅だ。耐えるしかない。


『次は――、――です』


 アナウンスが入ってから、約一分の間に乗客が三分の一ほど入れ替わる。俺の前にやって来たのは、年中くらいの幼児とその母親。クリームパンのような可愛らしい手でママの手をギュッと掴んでいる。離さないぞと意気込みが感じられて微笑ましい。

 この場所は優先席と真逆の位置にある。乗るドア間違えたのかな。そう思いながら俺は立ち上がった。


「ここ、座って下さい」


 揺れた車内で急に立ったためフラッとよろめく。何とか左足を踏ん張って耐えた。その拍子に左からカチャカチャと聞き慣れた金属音が鳴る。足元にいる少年は俺の耳を凝視していた。

 ヘリックス、インダストリアル、スナッグ、その他諸々。こんなにも耳を飾っている人は、この子の周りにはいないのかも。何個もついているピアスに目を丸くしている素直な彼に優しく微笑んで、そのまま母親と目を合わせた。


「あら……ありがとうございます」


 驚きつつも笑顔を見せてくれた女性に内心ホッとする。申し訳なさそうに謝られるよりは、そうやって嬉しがってくれた方が俺としてもありがたい。出過ぎた真似だったかと後で悶々としないで済む。

 子連れの家族を見ると、少しだけあの頃の『俺』と重ねてしまう自分が未だに存在している。ニコニコ笑っている少年がそのまま健やかに育ってくれることを、他人なのに願わずにはいられない。

 俺が近くにいては親子も居づらいだろうと、隣の車両に移動した。こちらの車両のは思ったよりも空いている。情けは人の為ならずって言葉を思い出した。


『次は――、――です。お出口は左側――、――を出ますと、次は――』


 やっと着いた。電車で約五十分は俺にとって長旅の部類に入る。俺の行動範囲は事務所と凛子がいるファミレスと、あとは近くのコンビニくらい。飲み物はネットで買うし、スーパーは一週間に一回行くか行かないか。今のところノートの家が一番遠い。そういえば藍斗の最寄り駅に行ったことないな。場所は聞いたけど、今のところ用事が無いので行く気は無い。今度行ってみても良いかな。でも乗り換えが二回あるのは怠いな。

 そう考えながら電車から降りてホームを歩く。人の流れに沿って歩くだけで改札まで簡単に行けた。改札を通るときスマホをピッとタッチ。オートチャージは残高不足になる心配がないから便利だ。

 改札を出ると、人の流れは西口と東口に分かれる。頭上にある案内板を見れば、西口は美術館やオフィス、商業施設などが多そうだ。東口は公園や遊園地があるらしい。どちらにも一定数マンションが建っている。どっちに行けばいいんだっけ。

 取り敢えず西口かな。そう思って歩み出したとき、ブルブルとスマホが震えたので手元をチェック。長い振動と、赤いランプが点滅していた。


「……はい」


 歩きながら電話に出る。近くにあったパン屋の壁際付近で立ち止まって、人の邪魔にならないように端に寄った。


『「迎えに来たよ」』


 左右から聞こえてくる聞き馴染みのある声。左は機械を通していて、右はすぐ隣から。バッと右側を見ると、壁に寄りかかって手を振る青年が佇んでいた。

 紫紺の髪は襟足だけ長く癖のないストレート。ちらりと覗くティアドロップピアスはゴールドで、それを外している姿は見たことがない。

 ロイヤルブルーのニットと黒のチェスターコート。理知的な瞳を持つ彼に似合っている。見た目にそぐわず中身もクレバーな男だ。


「ノートさん」

「や、ここではその呼び方やめてくれ」


 苦笑気味に言われたけれど、先にフユと呼んだのはノートだろうに。それでもすみませんと軽く頭を下げておく。

 通話終了のボタンをタップして、スマホをポケットに戻した。


「どう呼べばいいですか」

「本名でいいよ」

「……笹原さん?」

「ふはっ、そっちね!いや良いけどさ」


 神崎くん、こっちおいでー。

 そう言って歩き出した彼の隣に並ぶ。向かった先は東口。危なかった。


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