21
「今日泊まる?」
「え、なんで?」
「……なんで?」
俺は椅子に座ったままコロコロと寝室の入口まで移動して、ソファに座ってスマホを見ている藍斗に声を掛けた。
頭にハテナマークをくっつけたように首を傾げた彼に逆に問われて、思いもよらぬ反応に言葉が詰まる。
「身体辛くない?」
「最後までシたわけじゃないし、へーき」
「それなら良いんだけど」
ニコニコしている彼は確かに平気そうだ。俺は頭をグシャリと掻いた。確かに軽く欲を吐き出し合っただけだから大丈夫か。
「ていうか冬哉だって大丈夫だろ?同じだよ」
「あー……」
藍斗の言う通りだ。俺だって特有の気怠さはあれど、通常通り動けるし今からサッカーしろと言われても平気なくらい。
受ける側だと辛いかなと思って気遣ったが、そもそも今回突っ込んですらいなかった。
うんうんと自問自答して、そのままフェードアウト。椅子を再度動かしてパソコンデスクに戻る。
リビングから吹き出す声が聞こえてきた。ドアを閉めていないから全部耳に届いている。おい、笑うな。
「冬哉ー」
「なに?」
「俺そろそろ帰るよー」
リビングと寝室に分かれて各々の作業に集中していたから、いつの間にか隣に立っていた藍斗に全く気付かなかった。
窓の外を見れば日が高く昇っている。長い時間同じ体勢でいたせいか、首や肩が凝り固まっている。
肩を片手で揉み解しながら、パソコン画面に表示してある時刻を確認。既に午後一時を回っていた。
「すっごい集中力だったね」
「そう?まぁいつもこんな感じで仕事してるよ」
ふぅ。深く息を吐きながら、ギュッと強く目を閉じてパッと開く。眼精疲労も酷いな。ホットタオルが欲しくなる。
カタリ。エンターキーを押して、きちんとデータを上書き保存。本体のフォルダからUSB内のフォルダへデータをコピーしておいた。
「あー……送ってくよ」
「どこまで?」
「……駅まで?」
「怠そうなの笑う」
玄関はやっぱり寒かった。床暖房がついている賃貸物件って探せばあるかな。家賃どれくらい上がるかな。毎年冬になると同じことを考えて、春になるとまた寒くなったら考えようと結論を先延ばしにする。ここ数年の課題だ。
スポッとブーツに足を突っ込めば俺の準備は終了。しかし藍斗はまだ全然終わっていない。きちんと紐を通して結んで、と丁寧に扱っている。
「オシャレって大変だよな」
「まぁねー。でもこのブーツ冬哉も似合うと思うんだけど」
「……今度ね」
「うん、それ一生来ない『今度』なんだよな」
ふふっと笑われても何も言い返せない。完璧に見透かされた。
藍斗はようやく支度を終えて立ち上がる。俺はその隣でポケットをチェック。スマホはジーンズのポケット、鍵はダウンのポケット、財布は不要。コンビニくらいなら電子マネーでもコード決済でも何とでもなるし、もし電車に乗ることになってもスマホを改札機にタッチすれば良い。
バタンとドアが閉まったあとにガチャンとロックされたのを耳で確認すると、そのまま藍斗と外に出た。
「今日も晴れてんね」
「そうだよー。朝寒かったけど、散歩するにはちょうど良かった」
冬の青空って何故か気持ちが良い。空気が澄んでいるからだろうか。息を吸うと冷たい空気で肺が冷やされる感覚。割と好きだ。冬特有って感じがするから。
「このあと用事あんの?」
「鳳蝶くんに連絡してみよっかなーと思ってる」
「あー良いね」
「コラボするなら内容詰めたいし、歌録りするなら会ってみたいかな」
「実際会ったらどんな感じだったか教えて。気になる」
今は一日のうち一番気温が高い時間帯。通りを歩けばほとんどの飲食店がランチタイムの看板を出している。ガラス越しに見れば、どの店もそこそこ賑わっていた。
こんなに天気が良いなら絶好の外出日和。平日でも都会は相変わらず人通りが多い。
交差点の横断歩道で信号が青になるのを待つ間、スマホを取り出してノートに連絡してみる。
『これから行っても大丈夫ですか』
送信ボタンをタップ。十秒ほどで既読がつき、スタンプが一つポンと送られてきた。デフォルメされた黒猫がウィンクしていて、隣にOKと吹き出しがついている。行っても良いってことか。
「冬哉もこの後なんかあんの?」
「昨日の夜中急に電話来てさ、話したいことあるって言われたからその人のところに行ってくる」
信号が青になったタイミングで、俺たちは歩き出した。後ろから自転車が通り過ぎていく。左側いけよ。そう思いながら、藍斗の手を取って自分の方に引き寄せた。トンと肩がぶつかる。ふわっと香水の香りがした。
「風上さんたち?」
「いや、ノート」
「え、ノートってあの?」
驚いて足が止まりかけた彼に合わせるように、俺も歩幅を狭めた。無言で軽く頷いて肯定の意を示す。
「はー……交友関係えっぐいね。ノートさん超有名……いや、そうか、フユさんも超有名だわ」
「一応俺も売れてるからね。忘れないで」
クスクス笑いながら歩けば、もう駅が見えてきた。先ほど繋いだ手はそのまま。たまにチラチラ見られるけれど、俺も藍斗も離す気は無い。
複数路線が通るハブ駅の中央口は、縦横斜めと色々な方向に多数の人間が歩いている。平日だからマシだが、これが祝日となると家族連れも多く迷子のアナウンスは日常茶飯事だ。
「俺は二番線だけど、藍斗は?」
「…いちばん、せんっ……」
俺たちは人混みを避けるように、隅っこの柱の裏に隠れる。大きい観葉植物やフェンスの関係で周囲から死角になるこの位置は、喧騒の中なのに二人きりだと感じられる場所。
藍斗の腰に両手を回し、そっと顔を近付ける。囁きながら問いかけると、吐息混じりの答えが返ってきた。
「……じゃ、ここでお別れだな」
数メートルほど歩くと中央改札口が見えてくる。そこを通れば、次に上るべきエスカレーターは別々だ。ホームは電車を挟んで真向いだけど、この人の数じゃ遠くから互いを見つけ出すのは難しいだろう。
「……寂しい、かも」
「ふっ、かもってなんだよ」
ダウンの中のトップスをグッと握られる。精一杯の甘え方につい笑みが零れた。
微笑んだまま、最初は藍斗の頬にチュと軽く唇が触れるだけのキスをする。敢えて小さくリップ音を出して、至近距離で彼の反応を窺ってみる。じわじわと頬が紅を指したように色付いた。
「そこじゃない、だろ」
「どこが良いの?」
今度は耳に唇を寄せた。片手は彼の腰に残して、もう片方で頸や顎をそっと撫でる。きめ細やかな肌は触っているだけで気持ちがいい。
「……っ、口に、ちゃんと……してよ」
挑むように睨まれた。しかし下からのせいで上目遣いにしか見えないから全く怖くない。それどころか可愛いだけ。
「いいよ」
そう言うと、俺は優しく口付けた。数回唇をくっつけたり離したり、時折薄く目を開けて藍斗の表情を盗み見たり。
誘うように小さく開いた口から覗く真っ赤な舌。吸い寄せられるように、そのままそれを喰らっていく。
ヒールで歩く音、スマホの着信音、女性特有の笑い声、構内アナウンス。
脳が藍斗だけを感知したがる。
全ての音が鈍く聞こえるフィルター。
時がゆっくり流れているみたい。
誰も俺たちに気が付かない。
世界から切り離されているのかも。
あぁこれが幸福っていうのかな。
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