19

「まぶし……」


 朝。開いたカーテンから差し込んだ光に照らされて、あまりの眩しさに自然と目が覚めた。寝坊したくなかった俺は、敢えてカーテンを開けっ放しにしていたのだ。この部屋が五階だからこそできる技。アラームだけで起きられる自信がないほど疲労が溜まっていたのも悪かった。


 冬は室温ですら一桁だ。暖房が効いていない部屋なんて寒くていられない。顔は冷たいけれど、毛布にくるまれた身体がポカポカだ。スマホで時間を確認したいが、手すら出したくない。こんなにも天気が良いのに、凍りそうなほど寒い。はぁと吐いた息は当たり前のように真っ白だった。


「つめたっ」


 目でスマホの位置を確認。対象は俺の右側、枕の延長線上の位置。充電ケーブルはきちんと差してある。

 えいっと勢いをつけて、スマホを取る。まずはスマホごと手を毛布の中に戻した。端末が氷のように冷たくて、ぶるっと全身が震える。

 顔の下半分まで毛布にもぐって画面を見ると、只今の時刻は七時二十五分。藍斗が来るまでまだ余裕がある。

 メニューからお目当てのアプリを開いて操作。すると、リビングのエアコンがウィーンと動き出した。遠隔操作ってなんでこんなに素晴らしいんだろう。誰かノーベル賞あげてくれ。

 寝起きで頭が回らない俺は、部屋全体が暖まるまでもう少し布団の中にいることにした。寝室のドアを開けておいて良かった。少しでも温かい空気がほしい。この際電気代は考えないことにした。


 ピロン。メッセージ受信の通知音。

 アプリを開く前に、送信してきた相手が分かる。

 そういえば、もう藍斗家を出たのかな。既に電車の中かもしれない。


『起きてる?』


 そう一言あった。もちろん、と俺も一言で返す。漢字の変換すら億劫で全て平仮名で打った。心の底から二度寝したい。


『良かった。家覚えてるから勝手に行く。エントランスついたら電話する』


 さっと目を通してアプリを閉じる。既読マークがついたから、俺が読んだことは藍斗に伝わるだろう。


 俺はようやく身体を起こしてベッドから離れる。先に部屋で着替えを済ませ、洗面所へと向かう。洗顔やら髪を整えるやら身支度を数分で終わらせて、リビングへと戻った。

 初めて会った時を思い出しながら、電気ケトルに水を注いだ。スイッチを入れて、今度はマグカップの用意。勿論選んだお茶はプーアル茶。俺たちの思い出。


 昨日の夕飯がまだ胃に残っている感じがする。腹はあまり減ってないが、一応何か胃に入れた方が良いのかも。そう思って冷蔵庫の中をチェックしてみた。


「これで良いか」


 手に取ったのは、この前コンビニで買ったヨーグルトドリンク。お気に入りのピーチ味が売り切れでテンションが下がったが、そのおかげで期間限定のミカン味と出会えたと思えば、まぁ悪くない。うん、味も美味しい。この冬はこれにしとくか。


 ――ピンポン。

 カウンターに座ってぼんやりストローを咥えていたら、チャイム音が聞こえてきた。

 時間はまだ七時四十五分。随分早く着いたな。そう思いながらインターホンへと向かう。モニターを確認すれば、やはり藍斗がいた。チラッと見えただけだが、相変わらず黒づくめ。そしてやっぱりジャラジャラしている。


「今開ける」

『ありがと。向かうー』

「鍵開けとくから入ってきて」

『おっけー』


 そう会話をして、オートロックの解除ボタンを押す。そのまま藍斗を迎えるべく玄関へと向かってドアのチェーンを外し、二つついている鍵も開けた。

 廊下は思ったよりも寒かった。藍斗のためにスリッパもきちんと用意しておく。


「おはよー」

「おはよ……」

「うわ、眠そ」

「眠い」

「昨日遅かったの?」

「風上と飯行ってた。藍斗は何でそんなに元気なの」

「昨日昼寝したし、朝も良い感じで起きれたから?」

「なるほど」


 二週間ぶりに会った藍斗は相変わらずの美青年っぷりを発揮していた。その顔の造形と服装、耳元の大量のピアスがアンバランスで、だからこそ美しく感じる。

 ふんふんと鼻歌交じりでブーツの靴紐を解いている彼を見れば、確かに元気そうだ。俺だったらファスナーのブーツしか履こうと思わないぞ。


「それで、急にどうしたの?」


 俺は手際よくお茶を煎れる。先にある程度用意していて良かった。

 カウンターチェアに座って俺の手元を見ていた藍斗は、小さく首を傾げ俺を見つめてこう言い放った。


「用事が無いと会いに来ちゃいけないの?」


 不意打ち。

 その黒い瞳に吸い込まれそうになった。


「あっつ……!」


 湯を注ぐ俺の手まで止まってしまっていた。当たり前のように湯が溢れ、マグを支えていた指に熱湯が掛かる。すぐマグを離したけれど、親指の先がピンク色になっていた。


「えええ!冷やして!なんかごめん!」

「や、大丈夫」


 即座に流水で親指を冷やす。冬で良かった。蛇口から出る水は冷蔵庫で冷やした水と同じくらい冷たい。

 なんかごめんってなんだ。自覚あったのか。俺は可笑しくてつい笑う。


「いつでも来ていいよ」

「……え?」


 そろそろいいだろう。水を止めて軽くタオルで拭いながらそう言うと、驚く藍斗が視界の端に映る。

 パチパチと瞬きして、そのあと顔をほころばせた彼は、俺まで目を瞠るくらいに鮮やかだった。


「合鍵渡しとく」

「え、いいの?」

「いいよ。俺ほとんど家から出ないし。まぁいなかったとしても普通にいて良いよ」


 ウォーターサーバーとテレビに挟まれたアイアンチェスト。三段あるうちの一番上の左側。引き出しを開けて、キーホルダーも何もついていない鍵を取り出した。


「ん」

「ありがと」


 そのまま彼に差し出すと、両手で大事そうに受け取った。そのままロングコートに幾つもついているジッパーの一つを開けて鍵をそっと入れる。

 そこ、ポケットだったのか。飾りじゃなかったんだな。


「そういえばさぁ、一応用事はあるんだよね」

「あるのかよ」


 マグを藍斗に手渡してソファに向かうと、彼も俺に倣って着いてきた。


「実はある」

「じゃさっきのはやっぱりわざとか」

「だから謝ったんだよー。まさか火傷するとは思わなかったんだってー」


 二人で座るには十分すぎるほど大きいソファ。それなのに俺たちはピッタリくっついて座っている。互いに違和感がないあたり、こういう気持ちに時間は関係無いんだと改めて思った。


「で、どうしたの」

「いやー、これ見てよ」


 藍斗はマグをテーブルに置いて、今度は別のジッパーからスマホを取り出した。

 そこもポケットなのか。

 見せられた画面はSNSの個人チャット。俺たちも会う前はこれで何度もやり取りしていた。


「コラボ願い?」

「そうなんだよね。俺こういうの初めて誘われてさ、どう反応したら良いか分かんない」


 内容にざっと目を通せば、アイと自分で一曲歌わないかというありきたりなコラボの誘いだった。

 相手のアカウントをチェックすると、俺も名前を耳にしたことがある歌い手だと気付く。

 アイほど有名ではないにしろ、固定のファンも多く視聴回数も多い。チャンネル登録日を見るとまだ一年未満だった。それでこの視聴回数は驚異的だ。


鳳蝶アゲハか。新人とは思えない伸びだよね」

「そうなんだよねー。才能ある子がどんどん出てくるから、俺もうかうかしてらんないよ」


 藍斗は真剣な瞳で鳳蝶のSNSを見ていた。

 いくら才能があっても、それを磨かなければ努力を詰んだ凡人に負けてしまう。この世界は努力こそ全て。

 鳳蝶の歌を何度か聴いたことがある。彼も正しく秀でたモノを持っていた。きっとこの先藍斗の位置を脅かす日が来るだろう。それを藍斗も分かっているからこそ、剣呑な雰囲気を纏っている。


「コラボするの?」

「うーん……ていうか、俺ってそもそもフユとコラボして曲出すけどさ、その辺はフリーなんだよね?」

「あぁ、そういうことね。アイは事務所に所属してるわけじゃないし、俺とコラボするって言ってもその他の活動に制限は何もないよ。自由にしておっけー」

「あ、だよね。良かったー。ならやってみよっかな」

「同じ界隈の人と絡んだり話したりするのって刺激にもなるしね。良いんじゃない?」


 うんうんと頷く藍斗を見ながら、俺は我が子が巣立っていくような僅かな寂しさとそれ以上の誇らしさを感じていた。

 アイのとなりはフユ。まだ公表していないけれど、互いの中で確信があればそれでいい。

 いつでも飛び立ってくれていい。

 俺も彼も自分の好きなように活動をしていく。

 その中で二人で最高のものをファンに届けられたら、それが全てだと思っている。

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