17

 夜が深くなってきた時間帯では、いくら人気店といっても客は疎らだ。注文した料理は数分待っただけで全て届いた。ちなみに今回持ってきたスタッフは凛子ではなかった。彼女は俺たちとは遠いテーブルで接客をしていた。


 ディナー限定のステーキセットを頼んだ風上は、器用に肉を切り分けて早くも味を堪能している。サラダとミネストローネも美味しそうだ。ただ、見てるだけで胃もたれしそうなほど重いメニューをこの時間に食べるなんて信じられない。俺の胃が疲れているだけなのか。


 俺のチョイスはグルメサラダセット。通常二~三人でシェアする量のサラダは、ゆで卵やカリカリに焼かれたベーコン、クルトン、ひよこ豆などレタスやキュウリ以外にも色々な具材が入っている。スープはシンプルにコンソメを選んだ。腹の減り具合と今の時間を考えれば、俺の選択がベストだと思う。


「うっま!ていうか、え、フユそんなんで足りんの?腹減ってない?」

「足りるもなにも、なんでこんな時間にそんな重いもん食えんの?」

「……若さ?」

「喧嘩売ってるなら買うけど」


 きょとんと首を傾げた風上を睨み付けた。わざと言っているだろ。俺たちは同い年だ。

 ちなみにこのサラダはナッツが入っていて、噛む回数だって多いから満腹感は十二分に得られる。


「あ」


 テーブルの上に置いていたスマホが細かく振動した。ブブブと小さい機械音が、真剣に食と向き合っていた俺たちの耳に届く。


「ん?なに?」

「いや、通知。仕事かな」


 風上は食べる手を止めぬまま俺にきいてくる。右手にフォークを持っていたので、俺は咀嚼しながら左の人差し指で画面をタップした。

 明るくなったトップ画面にアプリの通知が出ていた。今日はまだ誰ともやり取りしていない。誰からだろう。そう思ってメッセージを開いたら、差出人はつい最近コンビを組んだ傾国の美青年。

 最後に会話したのいつだったかな。そう思いながらメッセージを読んでいく。ちなみに食事はしたままだ。行儀が悪いとは言わないでくれ。あくまでも時短だと言い張る。


「アイだった」

「なーに君たちラブラブじゃーん」

「そうか?でも連絡取るの多分五日ぶりとかだけど」


 オレンジ色のパプリカを咀嚼しながら内容を確認していくと、百パーセント仕事の話だった。


「そうなんだ?でも今作ってるのって二人のコラボ曲でしょ?やり取りしないの?」

「アイも忙しいみたいだし。コラボ決まったあの日の夜に曲の提案出し合って、後は丸投げされた」


 藍斗からの要求はたった一つだった。その要求は思ったよりも俺を悩ませたし、数日間ずっと藍斗のことを考えるはめになった。


「そうなの?あの子繊細そうに見えて案外図太いとこあるね。いや、これ褒め言葉だからな。この業界は図太くないと生き残れない」

「いやアイはああ見えてかなり図太い……っていうか芯がある感じ?」

「あぁうん、その言い方の方が良いね。ていうか忙しいって何?仕事してんの?だいぶ……奇抜な見た目だけど」


 目をパチパチと瞬かせながら、風上は意外そうな顔をして食事の手を止める。フォークに刺さったままのレタスからドレッシングが一滴垂れた。


「在宅。翻訳とか色々してるって」

「翻訳?英語喋れんの?」

「いやフランス語」

「はああ?」


 衝撃で声が大きくなってしまった風上は、すぐに声のボリュームを落として周りを確認する。

 近くに座っていた一人の老人が俺たちをチラっと見たが、すぐに興味を失ったのか、手元の本に目線を落とした。嫌な顔をされなくて良かった。


「アイのこと色々聞いたらさ、あいつ超頭良かったわ。K大の文学部でフランス文学専攻してたって言ってた」

「マジかよ」


 K大といえば各国から留学生を受け入れたり、逆に在学生の半数が留学したりと国際交流が日本一盛んだといわれている。一歩大学内に入れば様々な国籍の生徒が自由にコミュニケーションを取っていて、校内共通語は英語という語学に特化した学校だ。


「すっげぇな。K大ってことは英語も話せるんだろ?フランス語か……見た目に寄らないってこのこと……いや、お前もだったわ」


 風上はグラスの水をグイッと飲み干した。フォークはいつの間にか皿の上にきちんと置いてある。左肘をついてハァと浅く溜息を吐く姿はアンニュイな雰囲気だった。


「お前もA大の法学部出てんだろ?そりゃお前等気が合うはずだわ。何つーか……頭のデキが多分似てるってこと。なんでこんなハイスペックな奴等がボーカロイドの歌やってんの?凄くね?」

「何がだよ。っていうか俺は知ってるぞ。お前も何だかんだ言って頭良いだろ?S大出てるって前に葉山さんから聞いた」


 確かにA大は私大の中でトップクラスだが、風上の出身校であるS大も国立の最高峰と言われる大学だ。そんなに投げやりになる必要はないはず。

 随分前に葉山から聞いた情報を思い出した。それを指摘すると、風上は先ほどまでの態度から一変して、いつもの明るい男へと戻る。


「えー俺の個人情報流出してんじゃん。超ウケんね」

「ちなみにどこの学部?」


 そういえば聞いたことが無かった。純粋に興味がある。


「理工学」


 意外でしょ?なんて首を傾げられた。ぶりっ子の真似をされても困る。

 それよりも、今聞いた言葉が正直信じられない。つい耳を疑ってしまった。全くマネージャー業に活かせていないのではと他人事ながら心配してしまう。


「……お前、なんで今マネージャーなんかやってんの?」

「正直、俺にも分かんない」


 ひとしきり話した後の急な沈黙。互いに示したわけではないが、取り敢えず目の前の食に集中しよう。なんだかこれ以上考えたら駄目な気がする。

 俺も風上も一気にトーンダウンして表情が無になった。


「あらぁ、何だか静かね」

「凛子暇なの?」

「もうあなたたちしかお客さんいないもん。来ちゃった」

「怒られろ」

「ふふふ。ちゃんと店長におっけー貰ってるに決まってるでしょ」


 凛子は俺の隣に腰掛けてきた。まだ制服ということは仕事中のはず。自由すぎる。

 隣りからふわりと香ってくるシャンプーの匂い。お、とつい思ってしまうくらい魅力的な香りだ。世の男たちが憧れる女の子の匂いとはきっとこれだな。凛子のことだから絶対に狙ってる。


「凛子さん、フユから聞きましたよ。従姉なんですね」

「そうよ。改めて初めまして、風上くん。神崎凛子です。よろしくね」

「風上狐雨っていいます。よろしくお願いします」


 凛子の言葉に周りを見れば、彼女の言う通りいつの間にか俺たち以外には誰もいなかった。

 有名な洋楽の曲が店内に流れている。伸びが良い女性ボーカルの声はBGMとしては最高だ。


「そういえば、どうしてだんまりしながら食べてたの?」

「アイくんの話をしてたらお互いの大学の話になりましてー、なんとなく黙っちゃった感じですかねぇ」


 風上が俺の代わりに凛子へ説明してくれた。


「アイくん?あぁ、この前この子と一緒にきたあの可愛らしい子ね」

「可愛いか?」

「可愛かったわよ?そりゃ服装や容姿が派手だからそっちに目がいっちゃいがちだけど、あの子がスープバー見てたときの瞳なんてすっごくキラキラしてたもの。可愛すぎるでしょ」

「あー……そんなこともあったな。ていうか凛子見てたの」

「そりゃ勿論!冬哉が誰かを連れてくるなんて、思ってもみなかったわ。最初は風上くんかと思ったけど、聞いていた話と感じが違っていたし。単純に興味を持っちゃうのは仕方ないでしょ?」


 凛子は一気にそういうと、勝手に俺のグラスを手に取ってそのまま口をつける。あら、これ美味しいわね。そう言うともう一度飲んでいた。


「そんなアイくん、実は超頭良くてハイスペックだったんですよー。フユみたいな人間ってそうはいないと思ってたんですけどね、いやぁ……案外いましたね!」

「あらあら、そうだったの?」


 俺みたいな人間なんて掃いて捨てるほどいるし、俺以上の人間だって数えきれないほどいる。大学で学んだジャンルとは全く違う仕事をしているから、人の目には特別に映っているだけなんだろう。


「そう言う風上だってS大の理工学部出身だってよ」

「あら……風上くん、どうしてフユのマネージャーなんかやってるの?」

「……うん、何で二人して同じこと言うの?」

「ふふふ。そりゃ私たち姉弟だもん」


 ぐいっと腕を引かれた途端、二の腕に女性特有の膨らみが当たる感触。にっこり微笑んでいる凛子の瞳はキラキラしていた。


「風上」


 凛子の顔を見ていたら、ふとあることを思い出す。そういえば風上にはまだ言っていない気がする。


「凛子もA大の法学部だぞ。俺の先輩」

「え」


 風上はフリーズした。パソコンだと強制終了したくなるよなと意識が別のところにいく。

 未だ凛子は俺と腕を組んだままだったが、振り払おうとも思えなかった。なんだか懐かしい気持ちになった。


「……凛子さんこそ、なんでここで働いてるんです?」

「うーん、この店の内装が単純に好きだから?」

「あぁ、はい、そうっすか……」


 凛子の回答は俺でもよく意味が分からない。

 就活終わったよーと爆速で連絡をしてきた彼女が決めた就職先がこのレストランかつフリーターとしての雇用と知った俺の衝撃は、飲んでいたお茶を吹き出した挙句にそのまま拭くことを忘れて口を半開きにしたまま硬直したほどだ。

 今思えば、脳味噌が考えることを放棄したんだろう。過去最高に意味不明だった。


「おい今視線逸らしたろ。諦めんな」


 理解しようとすることをやめたら、一生その人のことを『分からない』で終わってしまう。どの口が言うんだと自分で突っ込みを入れつつも、一応風上に激励してみる。


「いや無理。諦める」


 即答だった。目線すら合わない。あぁこれはきっと風上も考えることをやめたな。


「ねぇねぇ、私たち四人で『学歴マウント四人組』ってグループどうかしら?」

「駄目だ……凛子さんって、俺が思ってたよりも全然意味分からん人だった……」

「まぁ俺の身内だし」

「そうだよな……フユの身内って時点で……そうだよな」


 ぶつぶつ呟き始めた風上はこの際捨て置く。

 提案されたグループ名は悪くはないが、良くもない。微妙すぎる。売れないバンド、二流のイメージ。


「ねぇ、『マウンティング四重奏カルテット』もアリじゃない?」

「さっきよりマシかな。まぁそれなら……」

「いや違うだろ。フユお願いだからノらないで。マジでお願いだから。お前までそっち行ったら収集つかん」


 取り敢えずもう帰りたい。

 眠くて頭が働かない。



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