15

 最後にブースを出た俺は、会議室へ向かいながら葉山と風上に挟まれて質問攻めされている藍斗を後ろから眺めている。


「本物だったな……」


 数分前に聴いたアイの歌声が頭の中でずっとループしている。サビの盛り上がりとともに数キロ先まで伸びていきそうな声が只々美しくて迫力があって、彼だけスポットライトで照らされているかのように儚くも神々しかった。

 機械よりもスムーズで人間よりも少し硬い歌い方。独特で、彼だけの技法。

 きっとこれは誰にも真似できない。

 唯一無二の存在。そんな素材を目の前で見せつけられた俺は、ふわふわとした高揚感で溜息が出る。


 本来どんな動画であれ、基本的には多かれ少なかれ編集や加工がされているものだ。歌の動画もそれは同じで、音のバランスを調整したり音響を響かせたりと色々な作業工程がある。

 動画投稿サイトに動画を上げている人の中には、実際の歌声や雰囲気とは全く違う加工をする人や、生歌は音痴なのに何回も録り直してようやくマシなレベルになる人だっている。

 もちろんそれ自体は悪いことではない。動画を作り上げることは自己満足の延長線上にあると俺自身が考えているから。

 しかしこの先のビジョンを考えれば、どうしてもある程度の実力は欲しかった。歌の上手さはボイストレーニングでどうにかなるけれど、周りを惹きこませる力や魅力、カリスマ性はどうにもならない。

 彼が目の前で歌い始める前は少し不安があったが、それを軽く吹き飛ばす天賦の才をアイは持っていてくれた。


 俺が探し求めていたボーカロイドを、やっと見つけた。


「ほら、お前も早く入れ」

「あぁ」


 葉山は先に藍斗たちを部屋の中へと促して、ドアを開けたまま俺を待っている。軽く頭を下げて中に入ると、彼はドアの横に引っかけてあったプレートを青から赤に裏返した。使用中であることの合図だ。


「適当に座れ……といってもアイ君は緊張してるだろうしな。おいフユ、お前はアイ君の隣に座ってやれ。で、風上は俺の隣な」


 葉山はテキパキとその場を取り仕切る。全員が席に着いたことを確認すると、彼は口を開いた。


「改めて、アイ君こんにちは。俺は葉山恭司。フユの曲のPAをやってる。まぁ、音響とプラスして曲の相談役もやってるよ。よろしくな」


 眼鏡の奥からキラキラした瞳を覗かせて藍斗を見つめる葉山は、挨拶と同時に右手を差し出した。


「あ、こちらこそよろしくお願いします」


 藍斗は反射的に立ち上がって葉山の手を両手で握る。ペコリとお辞儀をした拍子に、耳元でガチャガチャとピアスが騒いだ。


「へぇ……アイ君って礼儀正しいんだねぇ……見た目に寄らずってやつ?」

「こら」

「あ、ごめーん。俺は風上狐雨コウっていうの。一応フユのマネージャーってカタチになってるけどー……ほらフユってこんな感じじゃん?だからスケジュール調整とかっていうよりは、俺がぜーんぶフユのプロモーションから税金関係から雑用まで何でもやってんの。よろしくねぇ」


 風上は大きな瞳を細くしてニンマリと笑いながら喋る。手こそ差し出さないまでも声色に棘は無く、藍斗を歓迎しているのが分かった。


「アイです。宜しくお願いします」


 藍斗はもう一度立ち上がって頭を下げた。


「でさ、フユがアイ君に話し忘れてたようだから、俺から説明するわ。……おいフユ、それで良いよな?」

「……異論なし」

「そりゃ異論あったらぶっ飛ばしてんぞ」

「まぁまぁ、フユちゃんが報連相できないのなんて葉山サンも知ってるじゃーん」


 前に座る二人に何も言えずじっと見つめていたら、隣から藍斗が溜息を吐いた音が聞こえた。

 葉山なんて明後日の方を向いてわざとらしい溜息を吐いている。風上は面白そうにニヤニヤ笑っていた。


「あー……今回フユからアイ君にアポを取ったと思うんだが」

「あ、はい。そうです」


 何事も無かったように話し始めた葉山と、戸惑いつつも頷く藍斗。腕を組んで傍観を決め込んだ風上と、メールチェックを始めた俺。

 あ、今葉山が俺を見た。無言でスマホの画面を見せれば、何も言われなかった。仕事なので文句は無いだろう。期日が迫っている案件を二つほど抱えているのを彼は知っているから。


「実はな、そろそろフユも誰かと組んで曲を出さないかって話が出てたんだよ」

「いや、でもフユさんって……」

「そう。アイ君もよく知ってる通り、こいつはボーカロイドにしか興味が無い。今まで誰かのために曲を書いたことなんか一回もないんだよ」

「え、でもこの前の映画の挿入歌ってフユさんが作ったんですよね?」

「あーあれ?普通に作って動画に上げようと思ったんだけど、映画の依頼が来たからそのまま動画にしないでファイル渡したんだよね。だからあれはボカロ曲になるはずだったのになり損ねちゃったって感じのやつだよ」

「そうだったんだ……」


 藍斗の問いに、俺はスマホ画面から顔を上げて葉山の代わりに答えた。

 映画の内容なんて全く知らなかったが、風上がこれで良いんじゃね?って言ったその一言が決定打になって、曲をぶん投げたのだ。結果的に映画関係者が喜んでいたからこの判断は正解だったのだろう。

 ちなみに俺は未だその映画を観ていない。だから俺の曲がどう使われているのかも知らないし、特に興味もない。


「こいつの才能はもうこのまま留まっちゃいけない、そう言われてる」


 喋り終えた俺を引き継ぐように、再度葉山が口を開いた。


「単刀直入に言うと、周りからのせっつきがヤバい。色んなバンドや歌手がフユに楽曲提供を依頼してくんの。無理って突っ返しても何度も来るわけ」

「はい」

「今では誰が一番先にフユの曲を貰えるのか、業界内ではちょっとした騒ぎだ」

「そんなに……」

「あぁ。だがほら、当の本人はこの調子だろ?別に俺達だってフユの気持ちを無視したいわけじゃないんだ。だからこそ今までボーカロイドだけに拘ってたわけだしな。だけどさ、そんな時にアイ君が現れたんだ」


 そう葉山が告げたとき、藍斗が俺の方をチラッと見てきたのが視界の端に映った。目線だけ彼に遣って、小さく頷く。


「フユがあまりにも君の動画を見続けるからさ、もういっそアイ君と組んだら良いんじゃないかって俺と風上で話してさ」

「それは光栄なことですけど……知名度とか、俺なんて全然……」

「まぁアイ君はあくまでインターネットの世界でしか歌ってないし、そこは仕方ないだろ。大手事務所に所属する歌手やバンドマンたちとは、そもそも同じステージにすら立ってない。数字だけで言うと、アイ君の動画チャンネルの登録者数はまだ二十万人……勿論、ボーカロイドの歌をカバーしてる人達の中では群を抜いてるけどね。だけど冬哉のチャンネルは今や百万人を超えている。ボーカロイドの曲しか作っていないのにも関わらず、だ」


 アイは歌い手という界隈ではトップクラスに近い位置にいると言っても過言ではない。しかし映画やドラマ、雑誌などのメディアに取り上げられているフユと比べたら、世間での知名度は圧倒的に低い。


「差はこれでもかってくらいある。でもなぁ……俺がさっきアイ君の歌を聞いたとき、フユが君に夢中になる意味が分かった気がしたよ。風上もそうだろ?」

「んーまぁねー。まず、アイ君は声が良いよね。声ってさ、努力でどうにかなるもんじゃないし。言っちゃえば、カミサマからのギフトだし?だから、そこでアイ君はその辺の凡人どもから一歩も二歩も進んでるわけ。で、技術面だけど……確かにまだまだなところもあるけど、それって伸びしろがあるってことだしー、そんなのこれからどうにでもなるわけ。で、最後……超重要なのは!」


 風上は一気に言い切った。そしてすぅっと息を吸い込む。


「重要、なのは……?」


 藍斗は風上の言葉を聞き逃すまいと真剣な表情だ。

 フユと組むために重要なこと――本人にも分かってないが、何かあっただろうか。


「相性!」


 ドーン!と効果音でもつきそうな程のドヤ顔。そんなに胸を張る必要あるのか。俺は何とも言えない表情で風上を見つめる。隣では葉山も深く頷いている。解せない。


「相性……相性か……なるほど」


 俺の隣からぶつぶつと呟く声が聞こえてくる。そんなに真面目に受け取らなくても、と微妙な気持ちになりつつも、沈黙を貫く。


「こいつ性格に難ありどころか、難しかない人間ヤツだからさぁ」

「おい」


 沈黙は貫けなかった。もっと言い方無いのかよ。


「でもそこはアイ君余裕でクリアしてるっぽいしねー」

「スルーかよ」

「だから俺と葉山サンは大手を振ってオッケーしたわけ」

「……」


 風上は少しも俺を見なかった。綺麗に無視された。ここまで徹底されたので、俺も大人しく黙ることにする。


「……ありがとうございます」


 葉山と風上からの評価は、冬哉にとって納得できるものだった。隣を見れば、彼も嬉しそう。真面目なフリを装っているが俺には分かる。


「俺と組まない?」


 俺は改めて藍斗に向き直る。


「……いいよ」


 藍斗は小さい声ながらもしっかりと返事した。


「……なにこれ、プロポーズかなんか?え、なにこれ、なんでそんな雰囲気なわけ?」

「察してやれ」


 互いに見つめ合う俺達と、ホワンとピンクに色付いた綿菓子のような空間を、外野はただ見守るのみだった。

 早く終わんねぇかな。そう呟いた葉山に、風上は全力で頷いていた。

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