12

「ご注文はお決まりですか?」


 店員はそんな常套句と共にテーブルへとやって来た。手にはレトロな手帳カバーをつけたハンディターミナル。ちょっとしたところにもコンセプトレストランとしての矜持を窺えた。


「Aセットでトースト、そして飲み物はアイスウーロン茶でお願いします」

「えーと、俺はDセットで……あ、ソースはデミグラス……これはライスでお願いします」

「お飲み物はいかがなさいますか?」

「あ、じゃあ……アールグレイでお願いします」

「飲み物は食事と一緒で大丈夫です」

「かしこまりました。スープはご自由にお取りください」


 注文が終わると店員は一礼してバックヤードへと去っていった。

 藍斗が悩みに悩んで選択したのはDセット――ハンバーグとマッシュポテト、温野菜とマカロニサラダのワンプレートだ。こちらはパン以外にライスも選ぶことができる。


「さっき俺にボリューミーって言ったの誰だっけ」

「さぁ?」


 笑いながら揶揄えば、藍斗は素知らぬふりして立ち上がる。顔には笑みが浮かんでいた。確信犯か。俺も一緒に立ち上がって、スープバーへと二人で向かう。


「ビーフコンソメとミネストローネか……迷う……」


 藍斗は寸胴鍋の前に置いてあったプレートを見ながら、カップを片手に持ったまま悩んでいる。

 成人男性ってスープ一つでここまで真剣になれるのか。鍋の真ん中に立ち、じっと考え込んでいる彼を見ながら、俺はその斜め後ろに立っていた。


「これランダムだから、また別の日も来よっか」

「え、そうなの?」

「まぁまた同じ種類に当たったら笑うけど」

「他に何あるの?」

「俺が出会ったのでいうと……コーンポタージュとチキンコンソメ」


 脳の奥底に眠っている情報をなんとか引っ張り出す。


「おいしそー……」

「クラムチャウダー……あと、夏はビシソワーズもあったかも」

「種類豊富すぎる……こんなに豪華で採算取れてんのかな……」

「まぁ大丈夫じゃない?今は朝だから疎らだけど、ランチとかディナーは結構混んでるよ」

「そうなんだ」


 今のところ、客数は自分達を含めて五組ほど。店の広さを考えればガラガラに空いているが、それも今だけだろう。ランチからどんどん混み始め、ディナーともなると平日なのに満席になる日もある。常連客はそれを見越して予約するため、尚更混むのである。


「席にベルとメニュー以外無いなーと思ってたら、ここにあったんだ」

「そうそう。水もセルフ。さすがに食器は持ってきてくれるけど」

「ん?いつ?料理と一緒?」

「そう」


 藍斗はミネストローネ、俺はビーフコンソメを選んだ。セルフサービスコーナーに寄って紙ナプキンやおしぼりを人数分手に取り、席に戻る。


「うわ、超美味しい。トマトの酸味も絶妙だし優しい味だ……染み渡る……」

「あれ?グルメリポーターだった?」

「これマジで美味いよ。味濃すぎないしさ……これ絶対おかわりしよ」


 一口飲んだと同時に大絶賛し始めた彼を見ながら、俺もビーフコンソメの味を堪能する。俺には飲み慣れた味だけど、やっぱり今日も美味しく感じる。この店は本当にクオリティが高い。いつ来ても美味しいというのは簡単なようで難しいのだ。


「具も小さく切ってあって食べやすいし……あ、冬哉のビーフコンソメどんな感じ?美味しい?」

「いつも通り美味いよ。味見する?」

「え、良いの?飲みたい!」

「どーぞ」


 そう言いながら手渡すと、藍斗は躊躇なくカップに口付けた。これが異性同士なら意識もするだろうが、同性同士なので特に何も感じない。


「うわ、うっまいこれ……玉葱しか入ってないのに……えー……」

「良い味出てるよな。つい毎回飲みすぎるんだよね」

「わかるー。これメインの前に飲み過ぎてお腹膨れるやつだ」

「そうそう。それをセーブするのが大変なんだよ。てことで、ミネストローネ持ってくる」

「はやっ!全然セーブしてないじゃん……」


 猫舌とは無縁の俺はスープをぐいっと飲み干して立ち上がる。上から見ると、藍斗のカップにはまだ半分ほどスープが残っていた。逆に飲むの遅すぎだろ。


「あ、もう来てたんだ」


 たった僅かのあいだに料理が全て揃っている。案外来るのが早いなと思いながら、スープが零れないようにそっとテーブルに置いた。


「今来たとこだよー」

「よし、食べよっか」

「「いただきます」」

「ぷっ……」

「……かぶったな」

「だね」


 何も示し合せずとも重なった二人の声。自然と浮かべ合った微笑み。こんなにも些細なことで嬉しくなる。それは今まで無かった感覚と感情だった。

 俺はいつもの食事をいつもの順番で食べていく。最初はサラダから。レモンの酸味が爽やかなイタリアンドレッシングは、重い物を拒むナイーブな胃でも十分受け付ける。レタスとキュウリ、そして細かく刻まれたトマトと黄色いパプリカで彩りまでも華やかだ。

 ふと前を見れば、ナイフとフォークでハンバーグを食べている藍斗と目が合う。フォーク片手に口を開けている彼の間抜けな表情が、年相応よりも遥か若く見えて驚く。

 まだおじさんになったつもりはないけれど、つい若い子と食事に来ている気分になってしまう。複雑だ。


「んあ、なに?」

「いや……美味しそうに食ってるなと」

「え、だってこれ美味しいよ?あ、冬哉はサラダからなんだ」

「いつの間にか癖になってた。藍斗はメインからなんだ?」

「んーその時の気分かな。なんか今日は凄くお腹空いてた。運動したからかな?」

「……かもね」


 数時間前にはあんなに恥じらっていたのに。今はもうケロリと情事を匂わせる発言をするものだから、その潔さに笑ってしまう。終わったことはそこまで気にしない性質タチなのかもしれない。

 蝶のように艶やかな色が似合うかと思えば、何も知らぬ乙女のように恥じらう姿もある。

 並よりも経験豊富の部類に入っている俺が、柄にもなく夢中になった肢体は滑らかで手触りは絹のようだった。

 直接本人に問いただしたわけではないが、彼は絶対に初めてではなかったと思う。同性同士での行為がこんなにすんなりいくとは思えない。初めてを散らした相手は自分ではないのだと察したとき、僅かに残念ではあったけれど、それだけで彼の価値は損なわれない。こいつの最後が俺なら、文句は無い。


「モーニングのハンバーグ、美味い?俺頼んだことないんだよね」

「美味しいよ。デミグラスソースでさ、ザ・ハンバーグ!って感じ」


 そう言うと、藍斗は丁寧にハンバーグを切り分けて、フォークごと俺へと差し出した。


「食べる?」

「良いの?」

「うん。美味しいよ」

「ん、ありがと。あ、美味い」

「だろー?」


 誰かに食べさせてもらうのは初めてだ。彼女ですらそんな真似をさせなかったのに、藍斗には全く抵抗がない。

 パクリと口に含めば、まだほんのり温かいハンバーグからじゅわっと肉汁が出てきた。ソースは日本人が好みそうな味付けにしてあって、きっと子どもでも食べやすい。


「こっちも食べる?」

「スクランブル?」

「そう。ケチャップつけると美味しいよ」

「いいの?」

「さっきのお礼」

「じゃ、もらうー」


 ケチャップが掛けられている場所をフォークですくう。半熟に煎られた卵はトロリとしていて口当たりが良い。

 真似をして彼の口元へフォークを持っていくと、あっちから身を乗り出してきた。

 チラリと見えた赤い舌が煽情的で、つい情事中の表情カオを思い出す。なんだか居た堪れなくなって、そっと視線を逸らした。


「うわ、トロットロ……甘くて美味しい!なのにケチャップと超合うじゃん」

「そうそう。なんかこのケチャップも市販のやつじゃないんだよね」

「え、マジで?あーでも確かにちょっと違う感じはする」

「わかる?」

「うーん…濃くないっていうか、トマト感強いっていうか……」

「ほら、あそこのレジ横でケチャップ売ってるよ。帰る時見てみたら?」


 俺は顔を横にずらして会計カウンターの方を見る。藍斗も振り返って位置を確認している。


「あ、ほんとだ。自社ブランド?」

「そうそう。スーパーで買うより割高だけど美味しいし、買ってる人たまに見かける」

「ふーん。高いって言っても多分百円やそこらでしょ?だったら俺もこっち買っちゃうかも」

「そういう藍斗みたいな考え方、俺好きだよ」


 そうやって話をしながら、どんどん食べ進めていく。昨日出会ったときのこと、他のメニューの話、そしてこれから行くスタジオについて。話をしながら食事をする習慣は今までなかったけれど、凄く楽しいと思えた。

 二人でスープを取りに行ったり、ドリンクのおかわりを頼んだり。いつも一人で来るときとは違う、充実した時間だった。

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