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「……取り敢えず、要るの要らないの?」

「……要る」


 真顔で言った俺に、藍斗は小声で答えた。


「フユが初めて曲を捧げたのは、アイだよ。光栄だろ?」


 先程言われたことを早速実践してみた。自己肯定感を更に上げてみる。ちょっとだけ自慢気に言ってみるのが俺なりのポイントだ。


「……光栄です。超光栄。俺が初めて……マジ……光栄すぎて、俺この後大丈夫かな……」

「大丈夫だろ」

「いや、大丈夫じゃない……俺、死なない?」

「死なない」


 藍斗が急にピアスを触り始めた。カチャリと揺れて、シルバー同士がぶつかり合う。癖なのかな。俺もよくピアス弄るけど。

 俺は耳まで赤くなっている藍斗を見ながら、これ三曲あげるって言ったらもっと驚くのかなーなんて柄にもなくわくわくしていた。


「じゃ、明日歌録り行こっか」

「は?」

「あ、もし藍斗の予定が空いてればだけど」

「は、いや、明日は空いてるけどさ」

「よし。じゃスタジオ押さえとく。二時間くらいで良いよな?」

「あ、うん……いや、待って、急すぎない?」

「そう?善は急げって言うじゃん」

「善なの?これって善?え……?」


 何かを呟きまくっている藍斗のことは、取り敢えず放置でいいか。

 マネージャーに簡潔に連絡をしておく。送信した瞬間すぐに既読がつき、返事は一分も待たずに来た。

 平日だったのが功を奏して、明日十時から昼十二時まで二時間ほど枠が取れたようだ。

 マネージャーと同時進行で、数少ない友人のうちの一人であるPA――葉山に連絡しする。葉山は俺がボーカロイドプロデューサーとして有名になる前からの付き合いで、予約したスタジオ専属のPAだ。

 普段は事務作業をしたり他のアーティストに呼ばれて行ったりとシフトが曖昧で、俺がスタジオに足を運んでもいるかいないかは半々の確率なのだが、フユが動画をアップロードする際には必ずこのPAと作り上げる。

 フユの曲は九十九%俺が作るが、最後の一%は葉山が手掛ける。俺にとって大事なのは、その一%。

 だからこそ、明日はいてもらわないと困る。俺の中の今後のビジョンはどんどん大きくなっている。フユとアイがタッグを組んだと公表されるのは、そこまで遠くない未来だろう。それくらい藍斗のポテンシャルを買っている。


「雨(仮)だよね?歌詞見せてよー」

「あ、じゃデータ送るわ」


 会う前に連絡を取っていたSNSの個人チャット。よく見ると添付ファイルは送れない仕様になっていた。

 俺は仕方なく自分のスマートフォンを操作して、いつも使っているメッセージアプリを開く。


「あっちファイル送れないから、こっちにしよ」

「あ、おっけー。俺QRコード出すね」

「じゃ俺が読み取る方ね」


 椅子からおりた俺は、藍斗の隣に戻って再度肩を寄せ合った。

 スマートフォンを見せ合って、今更だよねーなんて笑い合いながら連作先を交換する。すぐに藍斗を見つけられるように、マークを設定しておいた。これで連絡が取りやすい。数十人の中からでも一発で目に入る。


「冬哉、アイコンやば!なにこれ?」

「あぁこれ?ハワイ行きたいから、これにした」

「いや、それチョイス可笑しすぎるでしょ!なんでハワイなのに溶けた雪だるまをアイコンにしてんの!」

「いや、それくらい暑い場所に行きたいです、みたいな」

「わかんねぇよ!」


 わざわざアイコンを拡大してまで笑っている藍斗を横目に、俺は三曲分の歌詞をメッセージに貼り付けた。

 ピロリン――藍斗のスマートフォンから、メッセージ受信の通知音がオルゴールの音で鳴る。


「あ、きたよ、って、……ん?」


 藍斗は、メッセージを見た瞬間、凄い勢いで俺を見てきた。風だって切れるのではと思うほど速かった。


「何?」


 俺は藍斗の反応に内心笑ってしまったが、それがバレないように真顔で答える。全く意味が分からない、そういうフリで藍斗の出方を待ってみた。


「なんか……三曲分きたけど」

「ん?そうだった?」

「うんうん。ミス?」

「いや?」

「え?どういうこと?」


 明らかに混乱している藍斗を見て、心の中では大爆笑だ。全く伝わっていないということは、本当に想像していなかったのだろう。

 確かにフユは今まで誰にも曲を作ったことはない。だから一曲貰えるだけでも有り得ないことだというのは、同じ界隈の人間でれば周知の事実。三曲貰えるなんて露程も思っていないのだろう。


「あげるよ」


 俺はついに笑みを堪え切れなくなった。頬が上がる感覚と、胸が沸き立つ自覚。

 目の前の美少年――いや美青年は、ポカンと呆けたまま間抜けな顔を晒している。


「口閉じなよ」


 クスクス笑うたび、少し伸びてしまった髪の毛がサラリと頬を擽る。

 灰色の日常が色付いた感覚。今なら、晴れの日も虹の日も、雨の日ですら美しいと思えそう。

 こんな俺、嫌いじゃない。


「……俺に、三曲くれるってこと?」

「やっと気付いた?」

「……俺、フユさんから一曲貰えただけで本当に嬉しくて……」

「うん」

「本当に凄いことなんだ。俺達みたいにただ歌ってる存在からすれば、凄く名誉なことなんだよ」

「うん」

「だから、まさか、こんな……ありえない」

「ありえるよ。アイならね」


 藍斗の声がどんどん湿り気を帯びてくる。


「……泣くなよ」


 止めどなく流れる涙を前にして、俺は困ってしまった。

 透明な雫は何筋にもなって藍斗の頬を伝う。彼は小さく息を吐いてぼうっとしている。まるでロボットが水を流しているかのよう。


 生命力が感じられない、正にボーカロイド。

 完成された顔のパーツに、薄紅に染まる頬。

 そこだけが、唯一彼が生きている証拠。


 俺は何も言えずに、彼をそっと抱き寄せた。とん、と胸元に形のいい額がぶつかる。何の抵抗も無く倒れ込んできた細い体を、今度はしっかり抱き締める。

 Tシャツに涙が滲む。全く不快には思えなかった。

 寧ろもっと彼の涙を見ていたかった。


「……泣いてないよ」

「……そうだね」


 彼の精一杯の強がり。

 目を瞑れば、藍斗の表情は見えない。

 藍斗の首筋に顔を埋めた。鼻で息を吸えば、甘くスパイシーな香りが俺の身体に入ってくる。

 藍斗と一つになった気分だ――香りと涙に酔いながら、俺はそのまま流れに身を任せた。


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