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「あ、ウォーターサーバーまであるじゃん」
「一々五階まで水運ぶのだるい」
「そこはマジで同意する。うち二階だからまだ良いけど、さすがに五階は面倒だよねー」
「エレベーターあってもきつい」
「うんうん」
インテリアとしての意味もある、スリムでシンプルなウォーターサーバーを早速見つけた藍斗は、シルバーの本体とその上に乗っている透明なボトルを物珍しそうに眺めている。
「あ、景色見ても良い?」
「いいよ」
冬哉が頷いたころには、藍斗は既に窓際まで行きカーテンを開けていた。
「うわ、たっか……え、これってベランダ出れんの?やばー……」
「滅多に出ないけどね。寒いし」
「洗濯物どうすんの?」
「浴室乾燥機ついてるし、ほらそこの天井のところ物干し付いてるだろ?」
「あ、これ?はー、いまどきの物件ってすっごいね」
藍斗は納得の表情を浮かべながら、物干し竿を上げたり下げたりしている。
いつの間にか沸いていた電気ケトルの湯を、俺は火傷しないようにゆっくりマグに注いでいく。
あらかじめティーバッグが準備してあったマグカップの中身は、すぐに無色透明から薄茶色に染まる。中国茶特有の健康的な香りがふわっと広がり、ふぅと息を吐いた。リラックス効果抜群だ。
「これ、ここに置くよ。熱いから気を付けて」
「ありがとう」
「好きな濃さになったらティーバッグここに置いて」
俺はそう説明しながら、マグカップの隣に小皿を置く。
藍斗には赤のマグを、そして自分には青のマグを並べて置いた。随分前に雑貨屋で適当に買ったマグは五個セットで売られていたから、今回思いがけずお揃いになったのが少しだけ照れくさい。
友人同士でもお揃いってアリだっけ。交友関係に疎い俺にはその辺の事情がさっぱり分からない。しかしそんな俺に気付くこともなく、藍斗は嬉しそうに赤のマグを手に取った。
藍斗が嫌がっていないなら良いか。俺の思考はそこで止まった。自分でも単純だと思う。
二人並んでカウンターの椅子に座る。冷え切った身体に、熱いお茶が染み渡る。エアコンが働いたおかげで、ようやくリビングが暖まってきた。
「寝室行く?」
「ん?」
「寝室っていうか、兼仕事部屋って感じだけど」
「え、良いの?」
「まだ世に出してない曲とかあるよ」
「行く」
「即答だね」
「勿論」
マグカップを置いていこうとした藍斗と、マグカップを持っていこうとした俺。
藍斗は手に持ったマグカップをどうするべきか一瞬迷ったようだったが、そのまま俺に従って持ったまま着いてきた。
寝室もフローリングは同じ色。ただ壁はリビングがオフホワイトに対して、寝室はアイボリーと微妙に違う。ちなみに家具はリビングと同じ系統でまとめている。
「……こんなにセンスの良い寝室ってことはまさか……」
「そのまさかです」
「ですよね!」
当時家具を選ぶことすら億劫だった俺は、リビングと同様に全ての家具をそのコーナーごと買い取ってきた。
オススメされてんだろ?じゃ間違ったものなんてあるはずないじゃん。
そうあっさりと言った俺に、荷物持ちとして着いてきたマネージャーはドン引きしていた気がする。今思えばだけど。
この部屋で俺が選んだものといえば、仕事用のデスクと椅子、そしてパソコンくらいか。
ベッドカバーやブランケットですら、一番上に積んであったものや、値段が安過ぎず高過ぎずのものを適当に買った記憶がある。基本的に生活に対して無頓着なのは認めている。
「その辺適当に座っていいよ」
俺がそう言うと、藍斗は大人しくカーペットの上で胡坐をかく。
溢さないためかマグカップを両手でしっかりと掴んでいる姿だけ見れば、同い年は思えないほど若々しい。なんだか学生を連れ込んでいる気持ちになってくる。ちょっとだけ変な感じ。
何とも言えない気持ちを胸に秘めながら、俺はそこそこ値が張る椅子へと腰掛けた。『何時間座っても疲れない』がキャッチコピーの老舗メーカーの椅子である。因みにカラーバリエーションは十六色と豊富で、俺の愛用はネイビー。
「あ、その椅子俺も持ってる。冬哉は紺なんだ。それ超良いよね」
「明るい青もあったけど、こっちのネイビーの方が落ち着いてるかなって。藍斗は何色持ってんの?」
「なるほどね。ん、俺?当ててみて」
「赤だろ」
「即答か!やっぱり分かりやすかった?」
「そりゃあね」
この短時間でも、藍斗が赤を好んでいるのは間違いなく感じ取れていた。
髪の色だけではない。彼が取り出したスマートフォンのカバーだとか、免許証のパスケースだとか。
ピアスもよく見ると赤い石が多い。シルバーを土台にして、様々な赤がセンス良く並んでいる。派手な組み合わせのはずなのに全くごちゃごちゃしていない。寧ろ最初からそう並んでいるのが当たり前のように馴染んでいる。やっぱり顔が良いからか?
そう喋っているうちに、パソコンが起動していく。初期設定のメロディが鳴り、パスワードを打ち込めば、画面が青からトップへと変わる。ディスプレイ画面は勿論初期のまま。カスタマイズしようとは今のところ思ってない。興味無いものにはとことん興味がないのだ。
俺は、黒のどこにでも売っているようなUSBメモリをカチャと差し込む。直ぐに画面が切り替わり、そこに映っている幾つものフォルダから目的のアイコンをクリック。フォルダ名は未発表。本当に何の捻りもない。つい自分でも笑ってしまうほどに。
「どれ聞きたい?」
俺はくるりと椅子を回して、藍斗の方を見た。急に声を掛けられた彼はマグカップから口を離して、画面を覗くように左に重心を傾ける。
「何個かあるの?」
「今できてるのは三つ。途中なのは二つくらいかな」
「そんなにあるんだ」
「そんなに、なのか?自分じゃよく分かんないんだよね」
「んー……俺も詳しくないけど、多い方なんじゃない?」
「そういうもん?」
「……多分?」
のんびりとした会話である。互いに首を傾げて、そして互いにプーアル茶をコクリと飲む。夜半に差し掛かるというのに、穏やかな時間が二人の周りに流れていた。
「んー……あ、じゃあ一番左のやつ聞きたい。『星(仮)』ってやつ」
「これね」
「それそれ。ていうか(仮)ってやばいね。超面白いじゃん」
「タイトルはマジで適当だよ。曲は割とすぐできるんだけど、タイトルはね……全然思いつかないから、ほんとギリギリになってようやく絞り出す感じ」
「それもそれで凄いんだけど……まぁ冬哉は自分のセンスに自信なさそうだよね。家具の話聞く限りではだけど」
「俺にセンスなんて無いよ。それは自覚ある」
「……だからそんな服装なんだ」
「……まぁ、服にこだわりはないよね。正直着れれば問題ないとさえ思ってる」
「なんという素材の無駄遣い……」
可哀想だなこの子、なんていう眼でじっと見つめられても困る。居心地が悪くて、つい視線を先に逸らしてしまった。なんだか負けた気がする。
俺はその場を切り替えるように、藍斗に指定された曲のアイコンにカーソルを持っていく。
メトロノームを模したクリック音から始まるイントロ。星という仮タイトルの通り、今回はいつも使わないようなコズミック系の音を何種類か使っている。銀河や星座をイメージしたのは、つい最近たまたまテレビで宇宙の番組を観たから。
人間が歌うには難しい曲調だが、ボーカロイドだと程よく未来的で非現実的要素が生まれる。
アニメの挿入歌らしさを残して曲作りしてみた。そう、あくまで挿入歌である。オープニングやエンディングではない。そこがポイントでちょっとした俺のこだわり。
「ポップっぽい……?」
「まぁロックではないよね」
「なんて言えば良いかわかんない……」
確かにポップ調ではあるが、宇宙の始まりであるビッグバンも曲を構成する一つの要素にしているため、出来る限り壮大なイメージになるよう裏でストリングスを鳴らしたり、シンバルや鉄琴を上手く組み入れたりしてみた。
歌詞だって少し哲学的な問いかけも入れている。現実と非現実の融合はボカロP『フユ』のテーマだ。ちなみに誰にも言ったことがない俺とフユだけの秘密。
俺が作る歌詞には、会いたいだの好きだのと直情的な言葉はあまり見られない。絶対に無いわけではないが、それは誰かに対しての台詞より自分自身への問いかけとして使うことが多い気がする。
ボーカロイドには人間らしい言葉や情緒を語ってほしくない、という気持ちが深く根付いているからかもしれない。
「……やっぱりフユさんは最高だなぁ」
俺が見ていない間に、いつの間にか藍斗は目を瞑って聞いていたようだ。彼の口から、思わずというように言葉が出てきた。柔らかい笑みを湛えていたその表情に、俺は思わず目を瞠る。そこには、優しくて全てを包み込まんとする慈愛があった。
紅を指していないはずの唇は薄桃色。ふぅと吐息が漏れると途轍もなく色っぽい。
先ほどまでの無邪気な少年はどこにもいない。ふとした時に見せた青年の顔も消えていた。
今の藍斗は、俺がずっと追っていた『アイ』だった。
「アイは……この曲、どう思う?気に入った?」
藍斗は俺がアイと呼んだことに少しだけ驚いていた様子だったが、それには何も触れずに、ただ目を細めてゆっくりと微笑んだ。
部屋には一度終わったはずの曲がまたイントロから流れていた。ストップボタンを押すことすら忘れて、藍斗の顔をじっと見つめる。
「すっごく気に入った。フユさんは俺の唯一。俺もフユさんに使われたいよ」
ほんのりと色気を纏ったまま早口で畳みかけるように紡がれた言葉には、憧憬や切望が窺えた。
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