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「この後、どうする?さすがに外は寒いね」


 藍斗はそう言いながら、はぁと両手に息を吐いた。彼の指先は赤くなり、かじかんでいるのがすぐに分かった。

 雪こそ降っていないものの、相変わらず都会の風は刺すような冷たさだ。時間が進むのに比例して温度も下がっていくだろう。このまま外にいるのは無理がある。


「んー……どっか店入る?それとも家に来る?」

「え、家近いの?ていうか行っても平気?」

「ここ俺の最寄り駅。一人暮らしだし平気だよ」

「あーそうなんだ。だからここ集合だったのか。最初ここ指定された時は、なんでかなって思ったんだよねー。普通渋谷とか新宿とかじゃん?って思ったからさ」


 アイの言う通り、確かにここは待ち合わせに使うほど活性化している駅ではない。

 地下鉄と私鉄が両方通っているから乗り降りする人間は多いが、銀座や原宿のように買い物や遊びに行く街かといえば、そうじゃない。

 ベッドタウンとして人気になりつつあるけれど、それでもランキングでは毎年中盤に位置している。可もなく不可もなく、特筆すべきこともない無難な街だ。


「あまり人多いとこ好きじゃないんだよね。仕事なら行くけど、渋谷みたいな所はプライベートだと全然行かない」

「それは分かる!スクランブル交差点とかマジで人多いよね。それにキャッチ超怖いし」

「……その恰好でもキャッチって話しかけてくんの?」

「彼等は誰にでも行くと思うよ。逆にボッチ飯もありですよーって言われたことある」

「なにそれ。女の子いっぱいいるからってこと?キャッチ最強説あるね」

「そうそう。だから一人でも大丈夫ですよーって。あいつ等は絶対最強だよね。折れない心持ってる」

「確かに」


 同い年だと分かってから、打ち解けるまでは直ぐだった。俺ってこんなに人と話せたっけ。

 俺と藍斗は肩を寄せ合いながら歩き出した。俺の顔には十数年ぶりに年相応の笑みが浮かんでいたし、藍斗の顔には大輪の花が咲いていた。


 こっち?いや、こっち。

 ここ右っけ?いや、もう一本先ね。


 そう言い合いながら、歩道をテクテク進んでいく。交通量の多い交差点は、横断歩道がない。仕方ないので歩道橋を渡る。ただでさえ寒いのに、階段を上れば尚更風が強く感じた。

 深夜に差し掛かる時間帯でも、都心の交通量は減らない。普通車やバスよりもタクシーや大型トラックが多いくらいだろうか。ヘッドライトが眩しい。

 飲食店もオフィスビルもまだまだ煌々と電気が点いている。日本の残業文化は欧米では理解されないと何処かの誰かが言っていた。それには社会人経験のない俺だって激しく同意する。


 最寄り駅から徒歩十分。築浅の賃貸マンションは一LDKでオートロック付き。一人暮らしには十分すぎる間取りだった。

 コンクリート打ちっぱなしと大きな一枚ガラスが不規則に並んでいる、そんなモダンな外観はデザイナーズマンションだと一目で分かる。

 鍵とパスコードでオートロックを解除すると、開放的な吹き抜けと来客用の数組のソファセット、そして観葉植物がセンス良く配置されたエントランスホールが俺たちの目の前に広がった。


「うわ……超オシャレ……ここ家賃高くない?」

「んー……まぁ駅近だからちょっとは高いけど、そこまで人気の駅じゃないから藍斗が思うよりは安いと思うよ」

「ほんと?絶対高いよ、ここ」


 思わず小声になっている藍斗は、颯爽と奥のエレベーターに向かった俺の後ろで立ち止まったままキョロキョロと周りを見ている。

 エレベーターのボタンを押してもう一度彼の方を向くと、今度はソファにポスンと座っていた。その行動が小さな子どもみたいで微笑ましい。


「エレベーター来たよ」

「今行くー」


 藍斗はそう言いつつもソファの隣にある観葉植物や大きなサボテンをじーっと見ている。俺は仕方ないなと眉を下げて、藍斗が満足してエレベーターに乗り込むまでずっと『開』ボタンを押したまま待っていた。


「ごめんごめん!こんなデザイナーズ物件珍しくてさー、つい見ちゃった」

「藍斗はどんなとこに住んでんの?」

「うちは母さんと普通の賃貸に住んでるよー」

「アパート?」

「いや、マンション……っていうの?鉄筋で三階建ての、どこにでもある感じのやつ」

「そうなんだ」


 母さんと、の言葉が気になったが、そこまで突っ込むにはまだ仲が浅すぎる。藍斗が話したいと思えばいつか話してくれるだろう。彼から言い出してくるまで、俺からは聞かない。何も気にしてないフリを装って、俺はエレベーターを閉じた。


「え、五階って眺め良さそう」

「悪くはないよ。ただ、あまり高いところ好きじゃないんだよな」

「あらら」

「でもこの部屋しか空いてなかったから仕方なく決めたって感じ」

「ふーん。冬哉は高所恐怖症?」

「いや、そういうわけじゃないんだよ。ジェットコースターとか絶叫系平気だし。ただ、住むとなると話は別ってだけ。火事とか地震あったら逃げられなさそうじゃん」

「あーそれ分かるわ。ホテル泊まるときとかそういうこと考えるし」

「そうそう。そんな感覚」


 そう話しているうちに、ピィンと高い音が鳴り目的階へと着いた。今度は藍斗が『開』ボタンを押して俺を先に降ろしてくれた。


「ありがとう」

「いやいや、さっきのお礼」


 藍斗のそんな行動に俺は律儀だなと感心したが、きっと俺が藍斗と同じ立場だったら同じことをした気がする。そう考えると、俺たちの価値観は似ているのかもしれない。単純に嬉しい気持ちでいっぱいだ。

 これから共に過ごす時間が増えるのであれば、少しでもストレスになるようなことは減らしたい。俺たちの相性は良いと思う。対面してからまだ二十分ほどしか経っていないけれど。

 ちなみに今のところ俺のストレス値はゼロだ。むしろもっと藍斗のことを知りたいと思っている。

 こんなに胸が湧きたつ感覚は、いつ以来だろう。


「ここ」


 エレベーターホールを右に曲がると、奥に見えるステンレスのドア。光沢のあるブラックのプレートにはゴールドで五〇四と飾り文字で綴られている。

 この角部屋が俺の城だ。

 鍵を開けてドアを開いた。後ろから、小さな声でお邪魔しまーすと藍斗の声が聞こえてくる。礼儀正しいところも好ましい。


「うわ、やっぱりオシャレじゃん」


 天井までの造り付けシューズボックスと、そこに取り付けられた全身鏡。隣にはコート用のハンガーパイプも設置してある。

 渋いチャコールグレーのフローリングは木目が美しく浮き出ていた。


「スリッパこれね」

「……人の家に行ってスリッパ出されたこと無いんだけど」

「え、じゃ使わない?」

「いや使ってみる」

「使ってみるって……」


 藍斗の言い回しについ吹き出してしまった。

 恋人はおろか友人の家にすら行ったことがない俺にはスリッパがそこまで珍しいものなのかいまいち分からない。珍しいのであれば勧めるのを止めてみた。潔癖症ではないし、そこまで強要する理由もない。だが、藍斗は真面目な顔でフカフカの毛が長いスリッパを堪能しているものだから、まぁ良いかとあっさり引き下がる。


 ――カラカラ。俺はリビングに続くドアを開ける。賃貸にしては珍しい引き戸で、鉄骨に嵌められた継ぎ目の無い全面ガラスは、プライバシー保護のためにすりガラスになっていた。


「うわあ……え……え?」


 リビングに入ってきた途端、藍斗は入口で声にならない声を出しながら立ち尽くす。

 二十帖のLDKは対面キッチンで、カウンターは少し広めになっている。大体俺の食事はいつもそこで済ましている。バーで見られるような椅子が2脚置いてあるのがその証拠だ。ダイニングテーブルセットを置く必要が無いから、リビングがとても広く感じられる。

 チャコールグレーの床に合うように、引っ越して一番初めに選んだソファはホワイト。汚れたらと気になるが、大人の一人暮らしだから早々汚れることは無い。

 基本的に俺の居場所は仕事用のデスクだ。飲み物や軽食なんかはそこで作業しながら口にする。ソファはテレビを見るときとスマホをいじるときにたまに座るくらいで、汚れる理由は見当たらない。

 そんな娯楽用のテレビは壁掛けの五十五インチ。一人で過ごすことが多いせいか、映画は嫌いじゃない。最高の暇つぶしだ。そのために大きめのサイズを買ったと言っても過言ではなかった。


「オシャレすぎない?え、同い年だよね?」

「まぁ確かにオシャレだよな」

「いや、なんでそんなに他人事なんだよ」

「俺そんなにセンスないの自分で分かってるから、インテリアショップ行ってさ……」

「まさか……」

「そのコーディネートされている一角ごと……」

「買った……?」

「ん」

「まじかあ!」


 藍斗はストンとしゃがみ込んで頭を抱えていた。俺はそれをニヤニヤして眺めながらキッチンに移動して電気ケトルに水を汲み、パチンと電源を入れる。


「そりゃこの間接照明とかランプとかクッションとか超センス良いはずだよね。コーディネートされてるやつそのままかあ……確かにモデルルームみたいだもん」

「あーわかるわかる。良い意味で生活感が無い感じだよね」

「うんうん。あ、お茶出してくれんの?」

「コーヒーと紅茶どっちが良い?ルイボスティーとかプーアル茶とかジャスミン茶とかもあるよ」

「いやいや、なんでそんなに揃ってんの」


 同じ姿勢のまま頭を両手で隠している藍斗は、器用に瞳だけを覗かせた。


「俺この前超ストレス溜まっててさ。いつのまにかネットでオススメに出てきたやつ買ってたっぽい」

「ぽいって、記憶ないの?」

「無くはないけど、届くまでは忘れてたよね。届いてから、あー買ったわって感じ」

「うん、冬哉はちょっと規格外だよね。おっけーおっけー、慣れてきた」


 藍斗に何とも言えない目で見られたが、とても心外である。

 見た目だけで言えば完全に藍斗の方が規格外だ。今にも首振って歌うかギターをかき鳴らしそうな見た目のやつにそれはちょっと言われたくない。


「いや、藍斗はちょっと自分の見た目確認してから言おうな」

「いやいや、それ言ったら冬哉だって変わらないからね。見た目はただのヤンキーじゃん。顔綺麗だからセーフなだけで、服装はマジでアウトだよ」

「いやいやいや、そんなヴィジュアル系バンドマンみたいな見た目のやつに言われてもな。それにイケメンに顔褒められたところで何とも思わん」

「いやいやいやいや、ちょっと鏡見てこい」

「いやいやいやいやいや、お前が見てこい。洗面所貸してやるから」

「いやいやいやいやいやいや……、……あ、プーアル茶で」

「……了解」


 互いの見た目を言い合ってみたものの、相手の指摘についお互い同時に自身を振り返ってしまった。

 僅かな沈黙で冷静になったのは藍斗も同じだったらしく、素直に好みを告げてくる。

 俺はそれに頷いて、戸棚からティーバッグを取り出した。


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