第3話ー3.名前で呼んで
温泉の後は、旅館の浴衣に着替えて夕食の時間だ。温泉に長く浸かっていたこともあり、夕飯にはいい時間帯になっていた。しかし、さっきから結香の機嫌が悪い。なにか元気がないというか……。怒りっぽいというか……。
「結香、なんか元気がないね」
「うん、ちょっとね」
「北原さん、せっかくなんだから楽しみましょう」
「そうだね」
僕と二宮さんが声をかけてみても、結香は返事をするだけで、心ここにあらず状態だ。
「直くん、あたしっていいところあるかな」
「うーん。どうだろう? そう急に振られてら思い付かないよ」
急に不安げに聞いてきて答えると余計に思案顔になる結香。どうしたんだろう。僕は結香の不安を取り除きたいから、こう言った。
結香が不安げに聞いてくるので、答えると余計に苦々しい顔になった。僕がなんとか結香の不安を取り除いてあげたい。
「結香さあ、結香のおかげで助かったこともあったし、面白かったよ。それは紛れもない良かったことだな」
「ってことは、直くん、あたし、直くんの役に立ってる?」
「当たり前だよ」
「よかった」
結香はようやく笑顔になった。結香が心配していたことが解決されたのだろう。そのあとは部屋でしょうもない僕と結香の過去話をして、寝床についた。僕の隣には二宮さんと結香、さらに結香の隣には江坂さんがいる。ちなみに、江坂さんの寝方は自動消電である。結香は布団に入ると一秒もしなうちに寝てしまった。いや結香、お前はいくらなんでも寝付きが良すぎる。
反対側にいる二宮さんはまだ起きている……。いや、いないし。二宮さんに連絡すると、自動販売機の前にいると言う。一体どうしたんだろう。僕はその自動販売機の前へと向かった。
「二宮さん?」
「あ、吉田さん」
本当に自動販売機に彼女はいた。今、まさにジュースを買おうとしていたところだ。
「眠れないんですか」
「はい、まだこの時間は起きているので」
それから話が途切れた。と、思ったら今度は二宮さんが何か言いたいことでもあるのか、落ち着きがない。
「あの……」
「はい?」
「これからアイドルの皆さんのことを名前で呼んでもらえますか?」
「はい?」
僕はちょっとびっくりしすぎて声が裏返った。まず、二宮さんの言っていることが分からなかった。そもそも、名前で呼ばないといけないのはどうしてだろうか?
「あ、そうですよね。名前を呼ぶときは公平に呼ぶべきかなと思って。北原さんだけ名前で呼んでいるところをみると、私も呼ばれたくなりました。本当、おかしいですよね?」
「杏子……って呼べばいいですか?」
僕は、二宮さん……杏子のことを名前で呼んだ。でも、実際に口に出して言うとすごく恥ずかしい。
「あと、話し方も少し変えるよ」
と、僕が照れていると、
「やっぱり突然すぎるよね。ごめんなさい」
と、杏子は謝りだした。
それにしても、名前で呼ぶ……か。どうしようか?
********
翌朝。
「どうしたの? 直くん。二宮さんと何かあった? やけ慣れ慣れしくない?」
「いえ、何も」
「なんで二宮さんが答えるの?」
僕が答えようとしたのに二宮さんが答えてしまったので、結香のセリフと同じことを思ってしまった。
僕は結香の方を見た後に、杏子のほうを向いた。杏子はなぜかちょっと怖い顔をしていた。
「きょ、杏子、ちょっと怖い」
「その呼び方だって!」
結局僕は名前で呼ぶことにした。ただ、名前で呼ぶとすぐ結香に突っ込まれた。
「いや、これは……」
「これは何?」
「あの、二宮さんがそう呼んでって言ったから」
「へえー……。あなたは人の言われたことを素直に聞くんだ? あたしのことは差し置いてさ」
「そんなことはありませんよ。ねえ、結香さん」
僕はそれを否定する。結香の言うことも聞いているけどな。まあ、結香のわがままも聞いてやってるよ。
「直之さん、そんなこと言わないでいいのに……」
と、杏子が言う。表情はかなり曇っている。僕は、完全に嫌われたようだ。
「え、あ、ごめん」
「あなたも慣れ慣れしいのよ。直くん。昨日この人に告白したの?」
「してないよ」
「でも、まるで付き合ってるみたいだけど」
「事実無根だよ」
「直くん、あたしが一番だからね! 直くんはあたしだけ見てればいーの!」
「はい」
「直之さん、私の意見は聞いてくれないんですか?」
いや、もうどうすればいいんだ? いや、両方の言い分を聞かなければならないが、これ以上この呼び方をすると結香が不機嫌なままになってしまう。もっとも、結香は元から名前で呼んでる気がするが。
「杏子、どうすればいいんだ?」
「直之さんの好きなようにすればいいですよ」
杏子は呼び方について僕に決定権を丸投げした。そもそもこんなに困ってるのはこいつのせいだ、と言わんばかりに僕はちらっと結香の方を見た。
「何よ?」
決めた!
「杏子の言う通り、みんな名前で呼ぶ」
「今、あたしの様子を窺ったでしょ?」
「いや」
というか、僕が困ってるのは結香のせいであって、結香の許可が欲しいわけだが。
********
僕は中庭に有浦さんを迎えに行った。
「有浦さん、考えてくれた?」
「はい、まだ迷ってますけど、興味はあるかなー?」
「だったらさ、ここから出よう」
「どこに行くんですか?」
「今日は休みなんだけど。僕が働いているヒロイックに行こうかと思って、いい?」
「はい」
有浦さんはいい返事をした。と、言うか、本来は「宇音」って呼ぶべきだが、まだ恥ずかしい。
僕は彼女を連れて中庭から出ると、有浦さんは僕の手を掴んでくる。
「ちょっと、直之さん、速いですよ」
有浦さんは僕を名前で呼んでくる。彼女には恥ずかしさはないんだろうか?
「ごめん、宇音、でも早くいかなくちゃ」
なんか雰囲気につられて名前で呼んでしまったが、とにかくスケジュールの関係で急ぐ。僕は他の人たちと合流したが、まだ宇音と手を繋いでたため、結香に睨まれた。
「ありがとうございました」
「いえ、どういたしまして」
僕は中から出てきた若奈に挨拶をした。今日は薄緑色の着物なんだね。
「若奈も考えてくれた?」
「吉田さん? 話し方を少し変えられましたか?」
若奈は困惑して僕に聞いてきた。ああ、なんて答えよう?
「ああ、ちょっといろいろあって……」
「左様ですか。色々……気になりますが」
「大和さん、ありがとうございました。ちょっと急いでいるんでそろそろいいですか」
咄嗟に浮かんできた言葉を話すと若奈が言及したため杏子に話を区切られてしまった。急いでいるって……。そう言われても、僕にはもう一つ聞いておかなければいけない事がある。
「あとさ、若奈はアイドルに入りたい?」
「え? アイドルですか? 入りたいのですが、御家の用も忙しいのでそれも踏まえて考えておきますね」
「分かった。入るかどうか決まったらまた連絡してきて」
やはりそううまくはいかなかった。僕は連絡先を若奈に教えた。この連絡先から、前向きな返事がきますように。
そして後ろを振り返ると、そこにはめっちゃ怖い顔の結香と複雑な表情の宇音がいた。
もう、何もできないじゃないか。
********
「うっ、苦しい」
「えー!? そこあたしの席なのにー!」
「この人、誰?」
「僕の幼馴染みで、北原結香って言うんだ。うるさい奴だけど、仲良くしてやって」
「うるさいって言わないでよ」
「北原さん、よろしくお願いします」
「よろしく。いいからそこをどいて!」
「嫌よ。私は直之さんの隣がいいの」
え? えー!? 宇音は何を言ってるの? 気持ち悪いほど積極的なんですけど!
「宇音、窮屈だけど大丈夫」
「これくらい何ともないよ。さあ、行こう、直之さん」
「はいはい」
宇音はさっさと急かしてきた。また強烈な人? に出会ってしまった。
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