第11話 取り引き
未開の森。
それはどの種族、どの都市からも使われておらず、誰からも忘れられている森であった。
樹木は螺旋状に絡まりながら上に向かって生えていたり、雑草やコケなどは乱雑に生え散らかっており、人が入れる場所ではないと一目で分かるものなのだ。
さらにこの異世界は春から夏に変わる季節の変わり目であり、気温と湿度が異常な数値になっているため、小動物が大量発生してしまうのだ。
そんなところにわざわざ入ろうと思う人など一人もいない。
だが、そんな未開の地にイズとリアムはその森に足を踏み入れていた。
「本当にこの森にエスリマっていう場所があるの?」
イズは額から流れる汗を袖口で拭き取りながら言った。
彼女はこの世界に来てからも冬服でやっていけていた。
それはこの世界の夏がそこまで暑くはなかったからだ。
しかし、この森は違った。
乱雑に生えた気が熱と湿気を森の中に篭ってしまっているのだ。
イズはこの気温にどこか懐かしさを感じさせていた。
「ああ、この森の最深部にあるはずだ。一応は治安維持部隊だから本部の場所を簡単に調べることができた」
汗ひとつかいていないリアムは軽々しく応えた。
「治安部隊って名乗っているのに、どうしてイズを呪いにかけたんだろう。どう考えてもおかしいんだよね」
「それは俺も疑問に思っていた。何か事情があったのか、それとももっと違う理由があったのか…。でも、それはエスリマのリーダーである奴本人に聞かないとな」
『私がどうかしたって?』
突如、女性の声が聞こえてきた。
その声は耳から聞こえてくるようなものではなく、直接脳に伝わってくるようなものだった。
聴覚というものがその声を捉えていないのに、確かにその声は聞こえてきている。
「だ、誰?」
イズは困惑しながらもその声に問いかけた。
この声が聞こえてくるものをテレパシーであるとイズは察していたが、わかっていてもいきなり声がおかしなところから聞こえてくるというのは、イズの冷静さを失わせた。
『私はあなたたちが探している張本人だというのに。話の流れからして私以外ありえないというのに』
その声の主は呆れたと言わんばかりにイズの問いに答えた。
「魔導の極みのソフィア・カナール。そして、エスリマのリーダー」
リアムは何もないところを睨みながら言った。
今にも怒り狂いそうな表情を浮かべ、睨む相手が目の前にいないことで行き場のない怒りを右手をぐっと握りしめることによって抑えようとしていた。
『そう。正解だわ。それであなたたちはカルラへの呪いを解くためにきたのよね?けど、どうやって?説得して?それとも…………殺して?』
その声の主、ソフィア・カナールは冷たい口調で吐き捨てるように言った。
しかし、その声は全て冷たいものではなく、どこか温かみを感じるような響きも含まれているようだった。
「なるべくなら説得で済ましたいところだ。あんたは魔導の極みでこっちは魔法初心者と爆発だけの能無し野郎だ。どう考えても戦力差がありすぎる」
リアムは近くにあった木に拳をぶつけながらそう言った。
自分が身近の存在の異変に気づけなかった怒りを木に八つ当たりをしているようだった。
『確かにね。私はあなたたちを一瞬で倒すことができるわ。今、あなたたちの目の前に立っていないこの時でさえ』
耳から聞こえないその声に力がこもった。
何かが来る。
イズはそう悟った。
「ッガァッアアアアアアア」
近くで悲痛の叫び声が響き渡る。
イズは一瞬でその叫び声の主がわかった。
「リアム!?」
イズはちらりとリアムのいる後方へと目をやる。
リアムは左手で胸を掴むように抑えつけ、その場に膝をついていた。
口から彼の真っ赤な髪と遜色ないような赤い血が垂れていた。
「グッ………ニゲ……ロ………………………イズ」
リアムは最後の力を振り絞るように言った。
なんとか倒れることは阻止したいのか、リアムの右手は重力に逆らうように身体の柱となっていた。
何度も何度も蛇口のない水道のように止まらない吐血がリアムを襲った。
「リアムに何をしたの?答えろよ、ソフィア・カナール!!」
『……異世界に来たばかりのあなたはわからないでしょうから、特別に簡単に答えてあげましょう』
「御託は言いから、早く答えて」
『仕方ないわね。なら、まずあなたにも体験してもらおうかしら』
テレパシーを介して通して聞こえる声にリアムの時と同じように力がこもる。
その刹那、イズは胸のあたりに強烈な痛みを感じ始めた。
その痛みは押し付けられたようなものや殴られたようなものでもない。
心臓から伸びる大動脈や大静脈といった大きな血管がプチプチと千切れるような、そう錯覚させるような痛みだった。
「グワアアアアアァァァァ!!!」
今まで受けてきた痛みとは比べものにならないような痛みがイズを襲う。
胸のあたりに外傷があるわけでもなく、口からしか血液は出てこない。
押し付けられるというより内側から外に出されるそうな感覚。
今、血管の一つ一つに風船が入れ込まれ、それを少しずつ膨らまされているような感覚。
それに耐えようと必死に胸を抑えつけるが、それも意味をなしているのか否か、とりあえずまだ痛みだけで済んでいる。
『これは私の魔法の[超回復]というもの。本来回復は人を癒す効果があるのよ。けど、人には許容上限というものがある。だから、今あなたたちのその状態は回復魔法を限界まで受けている、ということなの』
イズは今にも爆発しそうな心臓部あたりを押さえながらも、テレパシーで聞こえる声に抗うように無理にでも立ち上がろうとする。
「どうして……?カルラに呪いなんか……」
『カルラの心配をしている余裕があるのかしら?あなたが今、私の魔法で苦しめられているのに』
「そんなことは……どうでもいい。……………カルラの呪いを解く方法を教えて」
イズは強く、強く歯を食いしばりながら、立ち上がる。
その体は全身に鉛がつけられているように重く感じ、体全体にナイフで刺されているような痛みを感じさせていた。
それでもイズは立ち上がった。
名前と職、素性などわずかな情報しか知らない敵に立ち向かうために。
『やるじゃないの。まさか私の魔法を受けながらも立ち上がるとはね』
テレパシーで聞こえる声の主は鼻で笑いながら言った。
だが、イズの体はとうに限界を超えてしまっていた。
それでもイズは細くしなやか足に踏ん張りをきかせ、ただ上からのしかかる重力の波に耐えようとしているだけだった。
その立ち姿に特に効果はないだろう。
この状態で例えこの声の主であるソフィアが出てきたとしても、手が軽く触れるだけで倒れてしまうほどイズの体は限界であり、このままソフィアが出てこなくてもいずれ体に限界が来るだろう。しかし、この立ち姿に効果はないが、意味はあった。
(もし、あいつだったら)
イズには憧れの人がいた。
そして、その人物はいつも近くいる幼馴染だった。
幼馴染はどんな困難にも屈することなど無く、真っ直ぐに全ての困難を打ち砕いてきた。
例え、家族や友達に疎外されていたイズにも、手を差し伸ばす。
そんな真っ直ぐな少年だ。
だから、イズも憧れていたのだ。
(もし、あの幼馴染だったら)
イズはゆらりと右手を前に差し出した。
本当にこれが回復魔法であり、器からはみ出るくらいであるというのなら。
もし魔力も急激に上げられているというのなら。
できるかもしれない。
魔法を使うことを。
「………フレイム」
イズがそう言った途端に右の手のひらが急激に熱くなる。
しかし、それは外側から熱せられたわけではない。
内側から炎が溢れ出たのだ。
まるで腕が火炎放射器になったかのような不思議な感覚に襲われる。
イズが放った炎は急激に直進し、何にも触れることがなく消えてしまった。
『あなたすごいわね。その状態で魔法まで使うなんて。でも、何のつもり?そこにいない私に当てることなどできないのよ』
「別にあなたなんて……狙っていない。私が狙ったのはもっと違うもの。………そして次はない」
『もっと違うもの?……まさか!』
ソフィアの声に焦りの色が漏れる。
別に自分の身の危険を感じたわけではない。
彼女の魔法は『超回復』
例え魔法使いたてのイズの魔法を食らったところで、自分自身にその魔法を使えば魔導の極みである彼女にとってはその炎は意味をなさないだろう。
だが、物は?
どんなに回復魔法が使えても、壊れた物を直すことはできない。
「……そうだよ。そのまさか」
ここは誰にも手入れもされていない未開の森。
木は螺旋状に絡まりながら上に伸び、草や苔は無残に生えしきっている。
そう。
ここは人がごく一部を除き誰も入ることのない未開の地であり、草木は無残に生えしきっている。もし、ここでマッチに火を付け、その場で落としてしまったら?
その場所が出火元になり、蜘蛛の子を散らすように炎は燃え広がるだろう。
そしてここにはイズの敵の本拠地である『エスリマ』が存在しているという。
魔導の極みであるソフィアを倒すことはできないが、彼女の物を燃やすことができる。
『考えたわね』
「別に……私はこんなことを……好んでする気は……ない。でも…………このくらいのことをしないと……あなたはカルラの呪いを……解かないと思うから」
『つまりあなたは私と取り引きをしたいということかしら?』
「そう。………けど、まずは私とリアムに………かけた魔法を解いて」
『いいわよ』
その声の主、ソフィア・カナールはそう言うと、イズをずっと襲っていた重石のような痛みが消え去った。
意外にあっけなく消えた、とイズはなんとなく思った。
『取り引きをするのなら平等でありたいわよね?今からあなたのところまで行くわ。少し待ってなさい』
ソフィアはそう言うと、プツンという音とともに声は聞こえなくなった。
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