第8話 カルラの事情

カルラとリアムに強烈な一撃を食らわされたイズはなんとか踏みとどまった。

二人は冗談混じりで『何言ってんだよ!』程度でしか思っていないが、普通の成人男性でも軽く吹っ飛ばすほどの威力だった。

それによりイズは硬い教会の壁に背中から強く打ちつけられ、肺の空気という空気が彼女の口から吐き出されたのだった。



「うっ…、いてて」



だが、意外にも痛みは少なかった。

イズの後ろの壁は直径1メートルほどの穴が空いており、そこを中心に教会の壁全体にヒビが広がっていた。

それでも痛みは背中を軽く叩かれた程度だった。



「……」



イズは無言で自身の両手を眺め、試しにつねってみた。

自分の体が自分のもののように感じなかったからだ。

体が軽々と吹っ飛ぶほどの打撃を受け、鉄よりも硬いであろうほどの強度を誇るこの教会の壁にぶつかったのだ。

もはやこれはブレーキをかけるつもりのない車に正面から跳ね飛ばされるようなものだ。

しかし、それでも少しの痛みで終わってしまう。

そんな状況に放心しているイズにカルラとリアムは駆け寄ってくる。



「あ、すまん。つい勢いで」



と、リアムは腰が低い状態で近づいてきながら言った。

一応、リアムには反省の色は見える。

今日初対面の人に突然殴るという凶行をしたのだ。

謝らないのは非常識というものだ。

しかし、カルラは違った。

静かにイズを見つめてるだけだった。



「いや、大丈夫だよ。私も突然変なこと言っちゃったからね。怒っても当然だよ」



イズは少し照れくさそうに先程まで眺めていた手で髪をいじりながら言った。



「本当にすまん。どこか痛むか?」



「えーっと…」



イズはリアムの質問に言葉が詰まってしまった。

自分のこの痛みが感じないことがこの異世界での一般常識なのか、それとも一般常識ではないのかわからなかったから。

もし、ここでリアムに自分が痛みがないことを言って、この異世界でそれが常識ではないというのなら煙たがれるかもしれない。

そしたらまた元の世界と変わらなくなってしまう。

母や父、姉に軽蔑されたように、せっかくできた知り合いのリアムやカルラに嫌われてしまうかもしれない。

だから、彼女は口にできなかった。



「痛くないんだよね」



心配するリアムの背後から透き通るような綺麗な声がした。

突然発せられたその声の主はカルラであり、腕を組みながらリアムとイズの間まで来ていた。



「それはあんたの魔法の影響だと思う。五大魔法のどれかを覚えているものは痛みは最小限であり、当たった感触しか残らない。肉体的ダメージは少なくなる」



カルラの声は透き通るような声であることには変わりがないが、その声には冷たさを感じられるほど低くかった。



「ちょっと待て、クソ姉貴。五大魔法ってのは魔導の極みほどの魔力の持ち主しか宿らないんじゃなかったのか?」



「たしかにそう。五大魔法というのは魔導の極みほどの魔力の持ち主しかありえない。と、されていた」



「されていた?」



「けど近年、アケルナル以外の都市で例外が四つも発見されている」



「例外が四つも?ということは待て。確か五大魔法はその名の通り五つあり、その五つは世界で一つずつしか存在しないはず。つまり五つしかない魔法がもう四つ埋められているってことか?」



「そう。もちろんその情報源に嘘はない。まぁ、あまり頼りたくはなかったけど」



「つまりその情報を鵜呑みにするんだったら、イズの魔法は消去法で分かっちまうってことだろ?」



リアムは最後にそう言うと、教会の奥の方へ走って行ってしまった。

先程からずっと話に混ざれていなかったイズはぼーっとその様子を眺めていた。

専門家同士の話に素人はついていけない。



(え?何?ドユコト?)



自分の魔法のことで話していることはわかるのだが、もはや何の話をしているのかわからなかった。



「えーっと……何について話しているの?」



少し勇気を振り絞り、イズは二人に問いかけた。

内容はわからないが、自分について真剣に話し合っていることはわかる。

ここで知らないふりをしておくわけにはいかない、とイズは思った。

口論をしていた二人ははっと我に帰り、黙り込んだ。

イズはいけないことをしたかな?、と思いつつもイズも黙り込むと、やっと返答は帰ってきた。



「…あんたも自覚はあるんだろう?あたいは知らなかった。だから、殴ってしまった直後すぐに後悔した。なのに、あんたはほぼ無傷で済んだ。おかしいよな?あたいたちは狂った種族だと言うのに」



「狂った種族?それってどうい…」



「待て!!」



イズは間髪入れずにカルラの言葉に質問をしようとしたが、リアムによって遮られてしまった。



「ここから先は俺が話す。クソ姉貴は家に帰ってろ」



リアムはカルラの背を教会の出口の方に無理やり押しやった。

出口に向かうカルラの背中は猫のように丸くなり、肩が小刻みに揺れている。

その姿はどんな人物が見ても思うだろう。

『その子は悲しみ、泣いている』と。

そして思うだろう。

『手を差しのばさなくては』と。



「カルラ!」



イズは教会を出ようとする少女を呼び止めようと、右手を前に差し出しながら走りだそうとするが、不意に死角から飛び出してきた腕に阻まれてしまう。



「悪いが、姉貴なりの心の整理が必要だ。今は行かないでくれ」



と、リアムは自分の腕に阻まれた少女に説得する。

これで止まってくれ、というような意味を込めて。

しかし、その少女は目の前を塞がれた腕を強引にどかそうとする。



「けど、私は私なりの友達へ接し方がある!」



と、イズは叫んだ。

心の中ではどの口が言っているんだ。自分自身が今まで逃げてきたことであり、他人のことは言えない。

でも、その時イズは助けが欲しかった。

例え有名一家の落ちこぼれでも、例え優秀な姉と大きな差があっても。

変わらず一人の人間として関わってくれるそんな人物が。

そして、そのような人物はいつもすぐそばにいた。

自分の心を支えてくれる大きな存在がたった一人だけイズにはいたのだ。

だから、それだからこそ。

悲しそうな涙を流し、立ち去ろうとするカルラが放っておくことはできなかった。



「カルラぁ!!」



木の枝のように細いが頑丈の腕をぐいぐいと押しながら、イズはもう一度叫んだ。

一度目に叫んだ時よりも比べ物にならないくらいの咆哮のような心の叫びを。



「……」



一度も振り返ることもなくカルラは教会の外に出てしまった。

その直後イズは魂が抜けたようにその場にしゃがみ込んだ。



「イズ、お前はこんなことに納得がいっていないのか?」



リアムは静かに言い放った。



「こんなことって何!?あの強気なカルラが泣いていたんだよ?それで話を聞こうとしない人なんて友達じゃないよ!」



「まぁ、俺は友達がいないからわからないが、確かにそれは友達なんかじゃないだろうな」

と、ここまでリアムは言い切ると、もう一度息を吸い直し、

「けど、俺とカルラは姉弟だ。そして長年姉弟でいたから嫌でもわかる。あれは話しかけてはいけないときだ」




と、リアムは言った。

真っ赤に燃え上がるような髪型の少年は先程カルラを襲ったときの狂気に満ちているような目ではなく、悲しい目。

カルラがさっき見せていたような悲しい目。

それを目の当たりにしてしまったイズはそれ以上言葉が出なかった。

例えそれが間違っていたとしても、こんな目を向けられてしまっては誰もがためらってしまうだろう。

だから、彼女も声は出なかった。



「本当に悪い。だから、代わりにカルラについて教えてやる」



と、リアムは言った。



「別に言わなくていいよ。悲しい話は聞きたくない」



イズは一瞬という間もなく返事をした。

それは悲しい話を聞きたくないというのは本音ではない。

本音はその悲しい話を聞くと、自分の嫌な元の世界でのことを思い出してしまうからだ。



「いや、悲しい話だけではない。お前の魔法に関する話も含まれてくるんだ」



リアムはそう言うと、イズの動きが固まった。

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