第二十三章〜第二十五章

第二十三章 ジョン 深淵に踏み込む意思

ライフルを打った時の感覚が指にかすかに残る中、2人は歩いている。

「見事な射撃だった」

師匠はジョンを貶すことはあっても褒めることはあまりしない。

「ありがとうございます」

ジョンは前を歩く師匠の背中に向かって淡々と答えた。

自画自賛になるが、あの射撃は自分でも高評価だった、例え苦手だとしても訓練次第でどうにでもなるものだ。

3年の訓練は無駄ではなかった。

師匠は、玄関の扉を開け中に入る、ジャックも続けて入った。

師匠はそのまま今回の仕事に使用した資料を暖炉に投げ入れて燃やした。

「時が立つのはは早いな」

ジャックは独り言かと思ったが、しばらくしてそれが自分に向けて話していることに気づいた。

「お前を訓練し、武器を与えた」

「師匠、今日は随分と饒舌ですね」

ジャックは師匠から多くのことを学んだ、あらゆる武器の扱い、仕事のやり方を。

「俺からお前に教えることはもう無い」

突然のことに面をくらったジョンが返す言葉を探している時に、2人の間に置かれた電話が音を立てた。

「お前が出ろ、ただ出るなら覚悟しろ」

師匠の様子からして、それがただの連絡では無いことをジャックは知った。

「拒否権は無い、違いますか」

ジョンは電話を手に取る。

しばらくは無言だった、しかしそれは答えるべき言葉を見つけられなかったからだ。

「ジョン様でお間違い無いでしょうか」

交換手の女は落ち着いたトーンで語りかける、自分の名前が呼ばれているのにのにもかかわらず、現実味がなかった。

「はい」

絞り出せたのは一言だけだった、手に持っている電話機がひどく重たく感じる。

「現職の工作員1名の推薦を持って、あなたをコードネームジョンとして任命します、よろしいですか?」

この状況に置いて沈黙は肯定だった。

「明日、任命の式をとり行います、推薦者とともにこちらの住所へいらしてください」

ジョンは言われた住所を頭に叩き込む。

「それではジョン、幸運を」

一方的に電話が切れた。

ジョンはしばらく電話を持ったまま放心状態だった。

不思議なことに喜びの感情が湧かない、この世界に入ることは待ち望んでいたことではなかったのか。

自分一人でこの先の仕事をやっていけるのか。

不安が煙のように体にまとわりつく。

「これでお前も一人前だ、任命が済んだら自分一人でやっていくんだ」

その言葉からはひどく冷たいものを感じる。

「俺にはまだ無理です、それは師匠もご存知のはずだ」

「お前には全てをたたき込んだ、後はお前の意思の問題だ」

意思、そんなものは師匠から教わっていない。

ただ機械のように仕事をこなしていただけだ。

ただジョンはその言葉を飲み込んだ。

「もう寝ろ、考えたって答えが出ない問題は世の中に多くある」

ジョンはうなづき、自分のベットへ潜り込んだ。

普段なら仕事の後は深い眠りにつけるが、今日ばかりは目前に広がる暗闇を見つめることしかできなかった。

窓から日差しが差し込み、朝になったことを知る。

結局一睡もできず、ジョンは静かに体を起こした。

頭が鉛のように重い、手元にある拳銃で自分を撃ち抜けたらどれほど楽になるだろうか。

だが、そんなことをする勇気などない。

手早く着替えを済ませると、玄関をノックする音が聞こえる。

ここに来客が来たことなど一度してなかった。

背中に拳銃を差し、ジョンは玄関へと向かう。

注意深くドアを開けると、そこにはスキンヘッドにスーツ姿の男が立っていた。

「ジョン様でお間違えないですか?」

ジョンはうなづいた。

「本日の任命式には是非ともこちらのスーツでいらしてください」

ジョンの格好はTシャツにジーンズと、式にはいささか似合わない。

受け取ったスーツケースはずっしりと重い。

「何か入り用のものがありましたらこちらにご連絡を」

そう言うと男は名刺を差し出した。

名刺には男の名前と、電話番号が記載されている。

男は一礼すると、ドアを閉め、ジョンの視界から消えた。

ジョンは名刺をポケットにしまうとスーツケースをリビングへ運んだ。

中には男の言った通りスーツが上下セットで入っている、ただ普通のスーツではないことは確かだ。

ジョンは本日2度目の着替えを終えた、だがひどく落ち着かない。

いつの間にか師匠が自分の後ろに立っていることに気付く。

「まだ慣れないか?」

ジョンは肯定した。

「ひどく重く感じます」

「防弾加工が施されてる、当たり前だ」

やはり普通のスーツではなかったか。

「そろそろ出発だ、準備は済んでいるのか?」

机の上のベレッタにマガジンを差し込み、スライドを引く。

そしてそれを腰に挿した。

「準備はできています」

「置いていけ、そんなもの必要ない」

それを聞き、渋々ジョンはベレッタを机の上に戻した。

3年間訓練を共にした銃だ、そんなものではないのだが。

「行くぞ」

そう言うと師匠は玄関を開け、車に乗り込む。

ジョンは助手席に座ると、目を閉じた。

これから自身を待ち受けるものを直視したくはなかった。


二十四章 ジャック 託された物

ジャックは街を歩いている、雲が月を隠し、わずかに灯る電灯だけが点滅を繰り返している。

煙草の火がフィルターを焼き尽くしたところでそれを路上へ捨て、靴で火を消した。

夜が明ける前に行かなくてはいけない場所がジャックにはあった。

自分が死ぬのだとしたら、あの人にだけは伝えなくてはいけない。

ただの若造から自分を警官にしてくれた2人目の父親に。

ピアース、その名を聞けば犯罪者は震え上がる、根っからの警官で、決して悪を許さなかった。

周りが管理職になり、社内政治に性を出す中でも、決して現場から離れることはしなかった。

その姿はまさしくマーカスが憧れるコミックのヒーローであり、ジャックもその姿に憧れ警官を目指した。

彼の家の前に立つ、以前訪れた時とは打って変わって、荒れ果てた庭が彼を出迎えた。

ドアをノックする、一回、二回。

しかし、家の中から音はしない。

ジャックがドアノブに手をかけた時、ドアの中から声がした。

「こんな夜更けに何のようだ」

彼の声を久々に聞いた、最後に聞いたのはいつだったか。

「俺です、ピアース捜査官」

少し間が空いて、ドアが開いた。

「ジャックか?」

ピアースの手には杖が握られている。しかし立ち振る舞いは以前と変わっていなかった。

「お久しぶりです」

緊張しているのか、それ以上の言葉を絞り出せなかった。

ピアースは目を見開き、ジャックを抱擁した。

「本当に久しぶりだな」

ピアースは手を離すとジャックを招き入れた。

「入れ、何か用があってきたんだろ?」

ジャックは玄関に上がり、ピアースの後を歩きリビングへと向かった。

中央に置かれたソファにピアースが腰を下ろすと、その対面にジャックも座った。

座ったはいいが、ジャックは言葉を探しかねていた。

「煙草はまだやるのか?俺に構わず吸っていいぞ」

ピアースはこちらに空の灰皿を寄越した、ジャックはピアースが肺を悪くしたことを知っていた。

「いえ結構です」

ジャックは掌を合わせ、自らの靴を眺めながら話し始めた。

「デイブを知っていますか?」

「あぁ知っている、奴に手を出すのか?」

ピアースは知っている、まだ彼が現役なら確実にやりあっている相手だ。

「もう手は出しました、そのことについて話に来たんです」

しばらくの沈黙の後、ピアースは口を開いた。

「それで?死ぬかもしれないから俺の所に来たと?」

ジャックは途端に自分が責められている様な感覚を覚えた。

ピアースは席から立ち上がった。

「俺が現役の頃にそんなことを気にしていたと思うか?」

ジャックは記憶を辿った、犯罪者との銃撃戦、違法な取引現場への追い込み、時にはカーチェイスまでやってのけた。

彼は常に自分の部下の安否を気遣った、おかげで自分と同僚は大きな怪我をすることはなかった。

しかし、それ以上に彼の体が傷ついていることをジャックは知っていた。

「いえ、あなたは英雄だ、自分の死など気にしていなかったでしょう」

するとピアースは笑った。

「若造が、俺が引退してから何も成長してないのか?」

笑った後、ピアースは続けた。

「俺は英雄じゃない、ただの警官だ、お前らの前じゃカッコつけていたが、怖かったに決まってるだろ。だがな、誰かがやらなきゃいけなかった、それが俺の役割だった」

ピアースはジャックを見つめている。

「お前の役割は何だ?昔の上司の家で弱音を吐くことか?」

同僚の前では強気で入れたが、この人の前ではそうは行かないなと思った。

ジャックは、静かに答えた。

「デイブに、いや悪党に法の裁きを受けさせるそれが俺の役割です」

ピアースはうなづいた。

「俺が現役なら、いやそうじゃなくともお前らがいるなら心配はなさそうだな」

ピアースはジャックを見つめる。

「必ずだ、必ずデイブにしかるべき裁きを与えろ」

そう言うと、ピアースは布に包まれた重たいものを机に置いた。

ジャックはそれを受け取り、布を解いた。

44マグナム、ピアースは周りから装備を変えろと言われても頑なにリボルバーを携帯した。

ジャックはリボルバーを握り、弾倉を確認する。

「お前にやる、後これを着ていけ、お前だいぶ酷い格好をしてるぞ」

ピアースは茶色のコートを投げて寄越した。

ジャックは立ち上がり、弾が切れたコルトガバメントをホルスターから抜き、新たに44マグナムを指した。

ずっしりと重たく感じる。

血で汚れた上着を脱ぎ、コートを羽織る。

「立派だよ、若造にしてはな」

ジャックは着心地を確かめる。

「重たく感じます」

「じきに慣れるさ」

ジャックは時計を見る、そろそろ夜が明ける。

「行くのか?」

「お世話になりました」

2人は短い言葉を交わした。

ジャックは玄関に向かう、ピアースは再び席に座る。

「頑張れよ、若造」

ピアースはジャックに聞こえない声量でそう言った。

玄関を出て、白焼けした空を眺める。

もう夜の闇は無くなった。

役割を果たす、託された火種が激しく燃え上がる。

もはや迷いはなかった。


二十五章 ジョン 逃れられぬ場所へ

目の前に銃口が突きつけられる。

声を出そうとするが、口は開かない。

視線を銃口から外すことができない、助けてくれ。

考える間もなく、銃口が光る。

意識は暗闇へと落ちていくかと思われた。

「着いたぞ」

師匠の言葉で、ジョンは目覚める、どうやら車の中で眠っていたらしい。

意識がはっきりしない、何度か頭を振る。

車のドアを開け、ジョンは地面に足を下ろした。

「お待ちしておりました。ジョン」

今朝玄関で顔を合わせたスキンヘッドの男が顔に貼り付けたような笑顔を浮かべている。

「こっちだ」

ジョンは師匠の後ろを歩く。

目の前には古めかしい洋館が立っている。

手入れが行き届いているようで、古いながらも威厳を感じさせた。

師匠とジョンが門の前に立つと、門が開かれた。

中にはスーツ姿の男女が並んでいた、殺意ではないが、値踏みするような視線がジョンは気に入らなかった。

すると洋館のドアが開き、一人の女が深々と頭を下げる。

「ジョン、こちらへ」

その女の声をジョンは覚えていた、以前聞いたときは電話越しだった。

「ここから先はお前一人だ」

師匠がジョンへ道を譲った。

ジョンは玄関へ向かい歩いた。

後ろを振り返り、師匠の顔を見たかったが、そうしてしまってはここまで保ってきた意志が揺らぐと感じた。

洋館の中は、外から見るほど広くはなかった。

豪華なシャンデリアが屋上からジョンを見つめている。

「式の準備はできております」

女の示す先には木造のドアが一つ。

ジョンはドアに手をかける。

見た目に反し、開くのに力がいる。

ジョンは力を込め、ドアを開けた。

「ノックも無しか、あいつは君に礼儀を教えなかったのか?」

ジョンの目前には男が2人、一人は真正面の机の横に立っており、一人は椅子に座っている。

ジョンに苦言を呈したのは、椅子に座っている男だろう。

「仕事以外のことは教わっていません」

ジョンは言い放った。

すると、立っていた男は笑いだす。

「若いのにたいしたもんだな、度胸がある」

ジョンは笑っている男を睨み付ける。

「まぁいいだろう、無礼であろうと君はあいつが認めた男だ」

椅子に座っていた男は手を叩き、話を進めた。

「大体のことは聞いていると思うが、これは君の任命式だ」

「君は我々の組織に加わり仕事をすることになる、そこでだ」

すると机の上に一枚の紙が置かれる。

「君は契約を交わしてもらう」

その一言で、部屋の空気が変わった。

「俺に何を求めているんですか」

「忠誠だ、君が使える人間であることを示してもらう」

ジョンはその紙に目を落とす。

そこには自分の名前だけが書かれていた、それ以外は白紙だった。

「君の血盤を推せ」

ジョンは右手の親指の腹を噛みちぎり、血が滴る指を紙に押し当てた。

そして、その紙に着いた血が乾く前に男の方へ紙を向けた。

「これが忠誠ですか?」

男は首を振る。

「これはただの契約だ、だがこれを持って君を組織に迎えよう」

「そして君には仕事をこなしてもらう」

すると、立っていた男がジョンに近づき握手を求める。

「私はデイブ、君の最初のクライアントだ」

ジョンはしばらくデイブの目を見た後、握手に応じた。

「では仕事の話を」

するとデイブは机の上に地図と写真を何枚蚊並べた。

地図が指す場所は、海岸の倉庫だった、依然師匠と共に近くを通ったはずだが、寂れた建物と言う印象しかなかった。

おそらく人など通らないのだろう、仕事をするには好都合だった。

「標的はこの女だ」

すると机の上の写真を滑らせ、ジャックへ寄越した。

ジャックはその写真を取り上げる。

写真に写っていた女はジョンよりも幼く見えた。

「この女を殺してほしい、なるべく苦痛は与えずに」

「それなら問題ない、一瞬で終わらせる」

デイブは口笛を吹き、ジョンを見つめる。

「この女は私の娘なんだ」

その口調は自分のコレクションを自慢するかのようなものだった。

仕事をする際に気を付けることは必要以上の情報を聞かないことだ、特に引き金を引く指が鈍るようなことは。

「あんたは自分の娘の殺しを依頼するのか?」

口に出した後で、ジョンはそれを後悔した、だが既に遅かった。

ジョンの一言で、すでに重たかった部屋の空気がさらに重たくなり、ジョンの肩にのしかかる。

「何か問題があるのか?ジョン」

デイブがジョンを見つめる、その目には明らかな殺意が込められていた。

ジョンは自分が武器を携帯していないことを後悔した。

「気になっただけだ、問題ない」

しばらくの沈黙、首筋に汗が流れる。

「発言には気をつけた方がいい、ジョン、短い寿命がさらに短くなる」

デイブの顔から怒りは既に消えていた。

この男は危険だ、危険信号が最大音量で鳴り響く。

「仕事の話に戻ろう」

するとデイブは腕時計を眺める。

「明日の明朝、この倉庫で娘と会うことになっている、久々の親子の再会だ、君は私の護衛の1人として同行してもらう」

明朝か、すぐにでもここを出て準備に取りかかりたい。

ジョンはうなづき、もう一度標的の写真を見る。

写真の中の標的はカメラに向け、笑顔を浮かべている。

しかしそれが作り笑いだと、ジョンにはわかった。

これ以上この写真を見ると仕事に支障が出る、ジョンは裏を向け机に写真を戻した。

「娘は警戒などしていないだろう、私の合図と共に娘を殺せ、何か質問はあるか?」

「この情報を他に知っている奴はいないか」

この仕事で情報は大きな意味を持つ、以前情報が漏れていたせいで師匠とジョンの計画が狂ったことを思い返していた。

デイブはしばらく考えた後、座っている男に視線を合わせた。

「ロイヤル・ハリヒアは今夜決行される」

男は答えた。

ジャッカル狩りを指す言葉が何故ここで出てくるのか疑問に思ったが、ジョンは以前の仕事で情報を買った男の通り名がジャッカルであったこと思い出した。

あの男は師匠に対し、仕事を引退したいと漏らしていた。どうやら引退は今夜らしい。

「と言うことだ、我々以外にこの情報を知る者はいない」

いなくなるの間違いだろ、と言う言葉をジョンは飲み込んだ。

「こちらから質問はない」

「よろしい、ではよろしく頼む」

そう言うと、デイブは足早に部屋を後にした。

「銃が必要だ」

男に向かいジョンは言った。

「既に手配済みだ」

男の声と共にスキンヘッドの男がドアを開けた。

「ジョン、別室にて装備のご確認を」

ジョンはうなづき部屋を後にする、後ろ手でドアを閉め、目の前の男の後を歩く。

緊張からか、来ていたシャツが汗で濡れている。

するとスキンヘッドの男がドアの前で立ち止まり、ドアの横に手を当てた。

ドアが開き、ジョンは促されるまま中に入った。

部屋の空気がひどく涼しく感じる、それは汗ばんでいるせいではなく、部屋に飾られた銃の冷気によるものだろう。

「ジョン、どうぞこちらへ」

スキンヘッドの男はジョンを部屋の最奥に配置されたカウンターのような場所に案内した。

ジョンは置かれた椅子には座らず、立っていた。

スキンヘッドの男は立っているジョンに何かを言うわけでもなく、カウンターを挟んでジョンの正面に立つ。

「では、必要なものをお申し付けください」

「ハンドガンを一丁、ホルスターと予備のマガジンを3つほしい」

「ハンドガンと言っても様々な種類がございます、どちらになさいますか?」

「任せる」

師匠の元で様々な銃の取り扱いの訓練は受けた。

だが銃のチョイスの仕方は教わっていない。

「今朝お会いした時はベレッタを携帯していらっしゃいましたね、確かにあれはいい銃ですが、今回の仕事には不向きかと」

背中に銃は隠したつもりだった、この男はただの仕立て屋ではないらしい。

「こちらはいかがですか?オーストリア産のグロック34です」

そう言うと、男は壁のから一丁のハンドガンを取り出し、机に置いた。

その手つきはまるで骨董品を扱う商人だ。

ジョンはグリップを握り、構える。

グロックシリーズの中でも34はバレルが長く設計されおり、室内戦、室外戦の両方に対応できる。

だがその長さゆえに携帯性を犠牲にしている。

「携帯性がほしい、もう少し小ぶりな物はないか?」

男はジョンが机に戻したグロックを壁に戻すと、しばらく考えるそ仕草をする。

「ではこれはいかがでしょう」

男はそう言うと、今度は壁からではなく、机の引き出しからハンドガンを取り出した。

ジョンの目の前に置かれたのはワルサーPPK、ドイツ産の自動拳銃。

法務機関用に小型化されたそのフォルムは携帯性に優れている。

そして威力も申し分ない、ジョンはグリップを握り、何度か構え、感覚を確かめる。

「これをもらおう」

男はうなづき、ジョンの腕からワルサーPPKを預かると丁寧に布に包んだ。

「今すぐ欲しいんだが」

ジョンは困惑の表情を浮かべる。

「えぇ本日中にこちらで然るべきメンテナンスを行い、お部屋にお届けいたします」

すると男は机の上に財布と、鍵をおいた。

「頼んだのはホルスターとマガジンだ」

「いえ、こちらはジョン様の仮の身分証になります、仕事の際に必要になるかと」

ジョンは財布を取り中を見る。

中には相当な量の現金が入っている。

「この現金は?」

「仕事の範囲であれば自由にお使いいただいて結構です」

「なら装備の代金はこっから出すべきか?」

「いえ装備にかかる費用はジョン様の報酬から引かせていただきますので結構です」

ジョンはうなづくと財布をポケットにしまい、その場を後にする。

そこに男が声をかける。

「幸運を」

屋敷を出るとすでに師匠の姿は見当たらなかった。

その代わりに1台の車と女がマッジョンを待っていた。

「師匠は?」

「すでにお帰りになられましたよ」

ジョンはもう師匠に会うことはできないと微かに感じた。

「鍵は受け取りになられましたか?」

ジョンは財布と共に受け取った鍵を女に見せる。

「それはジョン様の新しい住居の鍵となりますのでお忘れなきよう」

女は後部座席のドアを開け、ジョンはそこに乗り込む。

女は外からドアを閉めると、運転席に乗り込んだ。

「これから新しい住居にお送りいたします」

音はエンジンをかける。

不思議なことに振動を一切感じない。

女と話す気にもならなかったので、ジョンは外の景色を眺めることにした。

しかし窓はスモーク加工がされており、景色を見ることはできない。

自分が置かれた状況と一緒だなとジョンは鼻で笑った。

「何か言いましたか?」

女はミラー越しにジョンをみた。

「いや、何も」

車は発進した。

新しい役割を果たす、自分の意思で。

ただ自分の意思など、どこにあるのだろうか。

ジョンは見えない景色を想像で補いながらそう思った。

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