第五章〜第八章
第五章 殺しの現場
探偵は小降りになった雨の中を歩いていた。
銃を携帯するのはいつぶりだろうか、少なくとも最後に銃を使ったのは5年前になる。
探偵の脳裏に忌々しい記憶が蘇る。
殺し屋、探偵はその存在が映画や小説の中だけのものだとばかり思っていた。
あの事件が全てを変えてしまった。探偵の頭に重たい霧がかかる。
そんなことを考えていると、探偵はダニエルの自宅へと到着した。
家の外には明かりが漏れている。
この中で人が殺されているなど考えたくもなかった。
探偵はドアをノックする、だが中から応答はない。
どうせ寝ているだけだろう、探偵は鍵がかかっていることを望み、ドアノブを回した。
弱くなりつつある雨音の中、ドアは甲高い音を立てながら開かれた。
1階は明かりが点いておらず、暗闇だった。
「誰かいないか」
探偵の呼びかけは暗闇に虚しく響くだけだった。
探偵は電気のスイッチを探すため、ライターの火をつける。
そのまま、長い廊下を抜け探偵はリビングへと向かった。
リビングの入り口で電気のスイッチを見つけ、それを押す。
部屋に明かりが点く、そこは何の変哲もないリビングであり、そこに荒らされた形跡はなかった。
探偵は玄関に戻り、2階へと向かう。
階段に配置されているカーペットに濡れた足跡が残る。
階段を上がった探偵は、家の外から確認できた明かりの正体に気づく。
ドアの下部から光が漏れている。
探偵はポケットの中でリボルバーを取り出し、ドアを開けた。
探偵の目前に血しぶきによって染められた壁が映る。
探偵が唖然としていると、後頭部に冷たく固いものが押し当てられる。
「動くな」
ひどくくぐもった声は探偵の危険信号を強く鳴らす。
これは普通の事件じゃないな。
探偵は両手を挙げながら自分の性分を恨んだ。
第六章 女 最悪の火遊び
それは地獄のような風景だった。
女はベッドの下で必死に息を殺していた。
ベッドの下からでも、赤く染まった壁や、絶命した男の死体を確認できる。
これは悪夢以外の何物でもない。
それは一瞬の出来事だった。
男は一夜の関係の為に女を自宅へ招いたのだ。
男の容姿は女の好みであったため。女はその誘いを受けた。
1階にいる妻に悟られないように、行為に及ぶのは思いのほかスリリングな体験だった。
行為が終わり、着替えも済んだ後、男女の耳に階段を上がる音が聞こえた。
隠れろ、男の声を聞き、女はベッドの下に身を隠した。
女がベッドの下に入り、呼吸を整えていると男はドアを開けた。
「誰だお前」
それが男の最後の言葉だった。
銃声が響き、男の体は倒れた。
地面に倒れた男の体に2発、3発と銃弾が浴びせられる。
女はその光景が現実のものだとは思えなかった。
ただ掌で口を押え、目をきつく閉じる。
しばらくすると男を殺した侵侵入者が階段を下りる音が聞こえる。
女は静かにベッドの下から這い出た。
その際に男の体から流れた血が顔や手につき、女はひどく動揺した。
早くここから逃げ出さなくては、女は部屋の窓の鍵を慎重に開けた。
窓の外には雨が降っていた。
女は逃げる為に窓の外に頭を突きだすが、その時この部屋が2階であることを思い出した。
しかし、飛ぶ以外にこの地獄から抜け出す方法はない。
1階から聞こえた銃声が女の決意を後押しした。
女は窓枠から体を乗り出し、斜めになった屋根に足を掛ける。
雨の性で女の体はひどく冷たくなっていく。
窓枠から手を放した瞬間、女の体はバランスを失った。
倒れた矢先、女の体はコントロールを失い、斜面を降下する。
女は必死に掌に力を籠め、屋根の出っ張りに捕まることに成功する。
しかし、女の握力は体を長時間支えられるほど、強くはなかった。
落ちる瞬間に、男の死に顔が脳裏によぎる。
視界が暗闇に包まれる。
だがそれは長くは続かず、女は目覚める。
落ちる際に、減速したおかげで体はまだ動く。
女は雨のおかげか頭は冷静だった。
行先は決まっていた、この町には探偵がいる、頼れるのはあの男しかいない。
女の体についていた血は雨によって洗い流された。
第七章 殺し屋 逃げるか死ぬか
組織への報告が終わり殺し屋は携帯電話をポケットへしまった。
そして帰宅し、服を着替えることもなく、ベットへと沈んで行った。
翌朝、目覚めた殺し屋は、自身の財布へと意識を巡らした。
第一あの財布には殺し屋へと繋がるものは一つとしてない、中に入っているIDも身分証も偽造されたものだ。
確か職業は獣医、妻と二人の息子がいる平凡な男と言ったところか。
ただ、財布には殺し屋の行きつけの店の名刺が入っていることを思い出す。
しばらくはあの店には行けないな、そう呟くと殺し屋はシャワーを浴びるためベットから立ち上がった。
昨日の雨に打たれ、冷たくなった体がシャワーを浴びることで蘇る。
殺し屋の脳は緊張から解放された。
シャワーを浴び、体をタオルで拭いていると電話のベルが鳴る。
殺し屋の体が一瞬こわばる。
体を拭き、下着を身に付けた殺し屋は慎重に受話器をとった。
「失敗したな」
重たい声が、再び殺し屋の脳を緊張させる。殺し屋は目の焦点が合わなくなる。
「どうゆうことだ」
殺し屋は毅然とした態度をとった。
「掃除屋が殺された」
掃除屋だと、あいつを呼んだのは仕事が済んだ後のはず。
そこまで思い返して、殺し屋は一つの音を思い出す。
財布のことばかりが気がかりで、忘れていた懸念。
報告の電話の際に、わずかに聞こえた異音。
あそこにはまだ誰かがいた、殺し屋が見落とした誰かが。
電話口から流れる音声はもはや聞こえない。
探し当てて殺さなくては、仕事を全うするために。
「まさか貴様がこんなミスをするとはな」
電話口に意識を戻した際に辛うじて聞き取れた。
「仕事はやり遂げる、チャンスをくれ」
「貴様には失望した、あいつと同じように死んでもらう」
あいつのように?殺し屋の頭に疑問が生じる。
ただ大音量で鳴り響く危険信号だけが、殺し屋の体を動かした。
お前には死んでもらう、それならば別の殺し屋が来ていてもおかしくない。
机に置かれた銃を手にとり、薬室に弾が装填されていることを確認する。
もし来るならば玄関、もしくは窓か。殺し屋は拳銃一丁では心許なく感じた。
殺し屋がもう一丁の銃を取り出そうとしたその瞬間、銃声が鳴り響いた。
殺し屋は近くにあったテーブルを倒し、それを背に銃を構えた。
銃声が止む、微かに聞こえる足音から人数はおよそ3人だと殺し屋は推測した。
「出てきやがれ」
侵入者の内の一人が声を荒げる。
割れたガラスを踏み締める音を頼りに殺し屋は位置を探る。
「まさかあれで死んだのか?」
侵入者の注意が薄れたことを見計らい、殺し屋はテーブルから身を出し銃を構えた。
殺し屋の目に躊躇いはない。
銃声が響く、男がガラスの上に倒れる。
その音を聞きつけた二人がこちらに向かってくる足音が聞こえる。
こちらが完全に不利。殺し屋は小さく息をこぼした。
ここから逃げなくては。
しかし、殺し屋の行き先からは2つの足音が近づく。
廊下の曲がり角から男が姿を現した瞬間、殺し屋は足に向かって2回、発砲した。
1発が男の太腿を貫いた。倒れた男は苦しみに悶えうめき声をあげた。そこを撃たれればまず助からない。
2人目の男は倒れている仲間には目もくれず、曲がり角から体を出した。
男は矢鱈滅法に銃を撃つ。
殺し屋は静かに相手の弾切れを待つ。
男の銃から、銃声ではない空虚な音がしたことを確認する。
相手の練度が低いことを殺し屋は悟る。
殺し屋は男の頭を撃ち抜いた。
血飛沫が廊下を染め上げる。殺し屋は地面に倒れ、太腿から血を流している男が握っている銃を蹴飛ばす。
そしてその男を見下ろし、銃を構える。
「誰の命令だ」
「知るかよ」
殺し屋は男の眉間に銃弾を打ち込んだ。
頭蓋から溢れ出た脳が床に溢れる。このままでは自分がこうなる。
あの音がなんだったのか、何故掃除屋が殺されたのか。
殺し屋には銃と強い酒が必要だった。
第八章 探偵 好奇心は探偵を殺す
「お前は何者だ」
探偵は背後から銃を突きつける男に向かいそう言った。
部屋の中には窓を打ち付ける雨音だけが響く。
「それはこちらの台詞だ」
男の声は低く、マスクか何かでくぐもっているせいで聴き取りにくい。
「俺はただの探偵だ、依頼人に報酬の話をしに来た」
探偵は男を刺激しないよう、静かにそう答えた。
すると男は片手で探偵の脇腹に触れた。
「今時の探偵は銃を携帯するのか?」
男の銃が鈍い音を立てる、探偵にはそれが銃のハンマーを下ろした音だとすぐにわかった。
「間違っても引き金を引くなよ」
探偵は静かに窓を眺めながらそう言った。
「俺を殺せば厄介なことになる、後悔するぞ」
「知ったことか」
窓を打ち付ける雨はその勢いを増していく。
男のマスクから漏れる呼吸音が次第に激しくなる。
探偵は両手をあげたまま静かに呼吸をする。
二人の男の呼吸音だけの部屋の中に、予期せぬ来訪者が現れた。
それは激しい音と閃光を伴った。
雷だ。それも相当近くに落ちた。
男の意識が一瞬自身から途切れたことを探偵は見逃さなかった。
素早く振り返ると男の銃を掴み、手首を捻った。
男は銃を落とすまいと力を込める。その腹を目掛けて探偵は膝蹴りを放つ。
男は銃を落とし、前屈みの体勢で倒れる。
探偵は男の髪を掴み、上を向かせる。
「形勢逆転だな」
男の呼吸音がさらに激しくなる。
探偵は男を立ち上がらせ、壁に押し当てる。
「ダニエルも夫人もお前がやったのか?」
男は吐き出すように言った。
「やれよ」
探偵は男がつけていたマスクを引き剥がす。
防塵マスクのようだが、男の吐瀉物のせいでもはや使い物にならない。
「お前まさか殺し屋か?」
探偵の問いに対し、男は大声で笑いだす。
探偵は男の顔を殴りつける。
鈍い音が部屋中に響く。マスクごと殴りつけた為、拳が痛む。
「これで少しは話す気になったか?」
男は探偵を見据えたまま、気色の悪い笑みを浮かべる。
まるでトランプのジョーカーだな。探偵は薄気味悪いものを感じた。
男が一瞬顔をしかめる。
探偵は何かを噛み砕く音を聞き逃さなかった。
こいつは秘密を守るために死ぬ気だ。
探偵が男の口を開こうと手を伸ばした時には男の口脇から茶色い泡が飛び出す。
男の目はすでに探偵を見ていなかった。
探偵が手を離すと、男は糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
これはまともな事件じゃない、探偵は自分の突飛な思考があながち間違いじゃないことを悟った。
男の持ち物を探っても、財布以外は薬品や掃除用の道具だけだった。
しかし探偵の目にその財布が止まる。
これと似たものをどこかで見たことがある。
顔色の悪い男。
まだ朧ながら点と点が繋がる。
探偵は、ポケットから電話を取り出し、一件電話をかける。
「お前から電話なんて珍しいな」
電話先の男は、機嫌よくそう言った。
「力を貸してくれ、俺の目の前に死体がある」
男は少しの間無言だった。
「すぐに行く、場所は?」
探偵は住所を電話口で教える。
「一人で来てくれないか?」
「わかってる」
電話口から車のドアを勢いよく閉める音がし、電話が切れる。
探偵は電話をポケットにしまうと、窓を眺めた。
この雨はいつ止むのだろう、探偵はそう思った。
探偵の目はそこで、窓枠がかすかに湿っていることを見過ごさなかった。
探偵は窓を開け、庭を見下ろす。
そこには真っ赤なドレスを着た女が横たわっていた。自身の血で赤く染め上げたドレスを。
死体が二つになったな。その後探偵は気づく。
依頼人の女は一体何者だ?
雨のせいか、探偵の古傷が痛む。
探偵には時間と、強い酒が必要だった。
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