御陵衛士編 9話 散りてあとなきⅠ 癒えぬ傷
[1]
どこまで伸ばせば手が届くのだろう……
どんなにがんばっても届かないならやめてしまえばいい
それでも伸ばした手を下ろすことができないでいる
俺はまだこの世界に何かを期待しているんだろうか……
伊東先生の部屋に集まり皆で黙ってお茶を飲んでいた。
山南さんのために買ったお茶……
お茶の渋い味が心を落ち着かせてくれる
「……藤堂君 」
伊東先生に呼ばれ、湯飲みから顔をあげる。 皆も先生が何を言い出すのか気になるのか注目している。
「藤堂君、だいぶ落ち着いたのかな 」
「はい……ご心配をおかけしました 」笑顔を作って答える。
「……それならいいが。 忙しすぎやしないかと思っていてね。
傷が癒えるまで隊務をもう少し控えてはどうだろう……毛内君とも話していたのだが…… きみの巡察当番を減らしてもらえるよう近藤先生に話をしてみようと思っている…… 」
傷?……
山南さんの部屋で畳を殴りつけた時の怪我のことか
それとも……
……心に負った傷
伊東先生はどちらのことを言ってるんだろう
黙ったままの俺に毛内さんが「藤堂君が講義の準備をしてくれるので伊東先生も私もとても助かってるんで ……それに…… 」
伊東先生があとを引き取る
「大砲調練のことだが……交渉にだいぶ手間取ったが今まで通り壬生寺のほうで行うことで落ち着きそうだ。
藤堂君には大砲調練で中心になってもらいたいと思っている、巡察まで今までと同じようにやっていたら身体がいくつあっても足りなくなる。 そうだろう? 」
そう言って微笑むと弟の三樹三郎のほうを見て
「巡察は同じ隊長格の三樹三郎が永倉君とがんばってくれるはずだ 」
「また勝手にそのようなこと……俺が永倉が苦手なのを知っているはずだろ。兄上も人が悪い 」
三樹三郎さんが機嫌の悪そうな声を出す。
その様子に加納さんが顔を横に向けてこっそり笑い、それを篠原さんが窘めるように咳払いする。
伊東先生は気にしてないようで微笑んだまま
「……そのうち阿部君や富山君も江戸から戻ってくる。それに合わせて内海君も上洛してくれるそうだ。」
そこで言葉を切ると笑顔がすっと消えた
「……その時また隊の活動を見直すつもりでいる 」
[2]
二杯目のお茶が全員にいきわたった頃、伊東先生が小さな声で言った。
「……藤堂君、良いお茶だね。 山南君のために? 」
「……はい。 本当はちゃんと点てて出すものなのでしょうが 」
山南さんのために買った極上の抹茶。それを今、急須にいれた白湯で皆に飲んでもらっている。
それでもじゅうぶん味わい深かったが、きちんとした作法で点てればもっとよかっただろう……
「……なるほど 」
先生が皆をみまわして「山南君を偲んでいくつか歌を詠んでみたのだが 」
「ぜひ、ご披露ください 」篠原さんがすぐに返事をする。
俺も姿勢を正し「お願いします 」頭を下げた。
伊東先生はお気に入りの薄紫の扇子を静かに脇に置くと目を閉じる。
「吹く風に しほまむよりは 山桜 散りてあとなき 花ぞ いさまし」
ほぉ……というため息が皆から漏れる。
「……桜にはまだ少し時期が早いかと思ったのだが。
山南君の潔さはまさに自ら散りゆく桜……本当に感服の思いで一杯だ 」そう言って目を潤ませる。
……吹く風に散らぬように必死でしがみつき耐えているより
いっそ跡形もなく散っていくことこそが勇ましい
俺はあの日のことをほとんど知らされていない
それでも伊東先生の歌を聞けば山南さんの最期が立派なものだったろうとわかる。
山南さん……あなたならきっとそうだって思ってました。
静かに落ちる涙……
伊東先生が隣に来るとそっと肩に手を置く。
「藤堂君が私の新選組加入を望んでくれたのは、おそらくこういう理不尽を正して欲しくてのことだったんだろう?……
本当に力不足のせいで……悔しくてならないよ 」
慌てて顔を上げた。
「伊東先生のせいではありません! 」俺はかぶりを振る。
そう……隊を変えるために伊東先生は心を砕いてくれている。
帝からも幕府からも信の厚い会津様の下で幕府を支えることが帝の望まれる公武合体ということなのだと思っていた。
どんなに幕府の犬と誹られてもそれが正しいんだ。帝を、京の町を守っているんだ、そう思っていた。
それなのに……
『人を斬るしか能がない』そう言っていた浪士の顔が浮かぶ……
池田屋で功を上げたあの夜が新選組を完全に幕府のためだけの組織へと変貌させてしまった。
幕府により忠実な最強集団へを作るため……それだけの理由で法度は厳しくなり隊士達は恐怖しながら隊務を行う。
脱走、出動現場での怯懦など理由はいくつもつけられたがみな切腹という重い処分が待っていた。
そんな毎日に伊東先生はすぐに懸念を示した
でも帝を軽視し新選組優先しか考えてないように見える言動に伊東先生は危惧を示している。
幹部はもちろん、入隊したばかりの隊士達へも分け隔てしないで笑顔で話しかけ、勤王の心を持って働くことがなぜ大切なのかを欠かさず講義を続けてくれている。
そんな伊東先生の人気が隊内で高くなるのも当然のこと……
今まで勉強会に関心の無かった隊士達まで参加し始めた。
こうして新選組は少しずつ変わっていくのだろう
坂本さんが言っていた黒でも白でもない、両方の良いところを取った灰色
俺が望んだのはそれだった……つくづく思う、自分がなんて甘い人間だったんだろうと
伊東先生は黒を白の世界に変えようとしているのかもしれない
「伊東先生には本当に感謝しています。山南さんも伊東先生のことを尊敬していました。
私も休んでなどいられません、巡察を減らしてもらえるならもっと先生のお手伝いをさせてください。」
「……心強いよ、藤堂君 」
その後、久しぶりに島原で宴席を開こうという伊東先生の提案で俺は準備のために先に島原へ向かった。
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平助が出て行くと伊東が扇子を開く。
「……まったく、藤堂君の真摯さにはさすがに心が打たれる。山南君もそういうところをかわいがっていたのだろう。なぁ、篠原君 」
ずっと仏頂面でいた篠原が突然話を振られて「……はあ、まあ…… 」
「でも……藤堂は一度、先生から離れた者です。」と不満げに答える。
「試衛館の沖田に敗けて……だろう 」伊東が加納のほうを見て苦笑する。
加納が「先生……それ、今言おうとしたんですよ…… 」
「あの時も言ったはずだが……
貸したものは返してもらうと。 そういうことだからあまり邪険にするのはよしなさい。
藤堂君経由で永倉君のことももう一度誘ってみるつもりだ 」
げっ!という顔で三樹三郎が立ち上がると「そろそろ行きましょう 」
「……加納君 」伊東が思い出したように加納に声をかける
「はい…… 」
「例の話、どうやら本当らしい 」
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