激震編 6話 簪Ⅱ 新選組と芸妓、それぞれの矜持


 [1]

 

 「藤堂先生? なんぞ忘れ物でもございましたか? 」

店に戻って来た平助を一力の亭主が驚いた顔で出迎えた。


「急で申し訳ないですが今から宴席の用意をお願いできませんか 」

「へえ、それはもう藤堂先生のご紹介どしたら喜んでさしてもらいますけど。」


池田屋の事件後、どこより羽振りの良い上客と言われる新選組、亭主も取り込みたい客である。

「新選組の先生方は島原贔屓どすけど、これを機会に祇園へも足を運んでもろたら助かりますわ。

お酒はどれがよろしいやろか?

ああ、ちょうど君尾のお座敷がひとつ飛んでしまいましたよって、そちらにつけますさかい 」


亭主が揉み手の歓迎ぶりで平助たちを一番良い座敷へ案内した。


紅殻べんがらと漆塗り

贅を尽くした内装の広い座敷に渋い金箔の屏風が置かれ、急な宴会とは思えないような細工を凝らした京料理がひしめくお膳には蒔絵が施されている。


芸妓たちも加わり座がひときわ華やかになると伊東の顔もほころぶ。


君尾と豆鶴が舞を披露し、伊東たちは美酒を味わいながら、

「これは……眼福 」とうっとり眺めている。


とりわけ君尾の指の先まで気品のある美しい舞姿は見るものを魅きつけた。


毎日のように逢っている平助も君尾の舞を見るのは久しぶりだった。


やはり……見事だな

さっきまで寂しそうな表情を浮かべ俺にまとわりついていた猫とは違う。

……そこにいたのは祇園で一番の人気芸妓、君尾だった


祇園一と評判を取る芸妓の名に恥じない一流の仕事をする君尾

その姿に俺は尊敬に似た気持ちを抱き、目を離せないでいた。


舞が終わると君尾が伊東と近藤の間にやってきて和やかに場を盛り上げる。

近藤はやはり君尾が気になるのかしきりに声をかけては、下戸であるにも関わらず酒の酌をしてもらい嬉しそうにしている。

頬を赤くしているのは酒が進んでいるせいばかりではなさそうだ。


そんな近藤と君尾のことを阿部と富山がチラチラ見た後に平助のほうを見て何か話している。


俺はそれには気づかないふりをして酒を口に運んだ。


阿部は一度離隊したが、最近また戻って来た珍しい経歴の持ち主で、戻ってきてからは伊東に心酔したようで伊東の講義などにいつも顔を出している。

富山は元薩摩藩士で他人を斬って藩から放逐され困っていたところを新選組に拾われた。こちらも異色の経歴だが伊東道場の者と気が合うようで一緒に行動していた。



ひとしきり料理や酒を楽しんでから伊東が切り出した。

「実はね、藤堂君。 阿部君と富山君も今回一緒に江戸へ行ってもらうことになったんだよ 」


「そうだったんですか……阿部さん、富山さんよろしくお願いいたします。 」

平助は二人に笑顔を向ける。


伊東がうれしそうに「この二人も君と一緒に砲術を学んでもらう。 慣れるまで大変だろうから君がしっかり面倒をみてほしい。頼りにしているよ、藤堂君 」


「かしこまりました。 私でお役に立てるならなんなりと…… 」


江戸で刃傷沙汰を起こし、勉学途中で帰ることになった俺のことを伊東先生はまだ期待してくれているのかもしれない。


心の中にじんと熱いものが湧き上がってきた……



「……近藤先生からも藤堂君に何かお声がけを…… 」伊東が近藤に話を向ける。


君尾とお互いの掌に字を書いて当てるという遊びをしていた近藤。

慌てたように君尾から離れると「土方君が今よりもっと西洋式調練に力を入れたいと言ってる。今回は最後までしっかり励むように 」それだけ言って気まずげに目を逸らしてしまう。


伊東が愛用の薄紫の扇子を取りだすと、ゆっくりと扇ぎながら近藤を横目で見ていたが平助に視線を戻す。

「藤堂君……また隊士の募集も引き受けてくれて誠にかたじけない。

知人の道場をいくつか回ってもらいたくて私が近藤先生に君を推薦したんだよ……土方君はだいぶ反対したそうだがね。

そうでしたよね? 近藤先生 」

と、近藤に同意を求める。


「はあ……まあ、土方君はあの通り頑固ですから 」


「まあ、藤堂君には江戸から帰ってきた暁には砲術師範の席を用意するつもりでいるのでね。 いろいろ頼んで負担かもしれないが若手幹部の中でも絶大な信用があるのだと思ってがんばってもらえるとありがたい。 

そうですよね?近藤先生 」


平助は手にしていた盃をお膳に置くと背を正し、

「……いえ、前回は私の至らぬばかりに中途半端で戻ってまいりました。

今度こそご期待に沿えるよう努めます 」

そして伊東から近藤へと視線を移す。

「近藤先生、こうして挽回の機会を与えていただきありがたく思います 」



土方さんには何度もがっかりさせてしまった……

もう期待もされてはいないのだろう


でも……


伊東先生は違う。

しっかり努めなければ……心からそう思う

土方さんから隊士募集の話を聞いたときは『最初から山南さんに頼めばよかったのに』と投げやりな気持ちでいたことを反省する。


それまで黙って話を聞いていた山南が心配そうな顔で

「藤堂君がいなくなると寂しくなるよ、無理はしないように…… 」


思わず「伊東先生……山南さんも江戸に一緒に行ってもらえないでしょうか 」


「……山南君も? 」


「江戸の道場でしたら山南さんも顔が広いですから…… 」


「藤堂君…… 」山南が笑顔で首を横に振る。「その話は、もう…… 私は京にいて自分のなすことをきちんとするつもりだよ 」


伊東がため息をつきながら

「その通りですよ。 山南君には私と一緒に屯所移転の件で頑張ってもらいたい…… 」


山南も伊東に頷き「新選組でまだ必要とされているのだと思えば私も頑張らないわけにはいきませんよ 」


「それにしても……近藤先生、土方君というのは昔からあんな感じなのですか?

私たちの話を聞く聞かないではなく帝を敬う気持ちも無いように思えますが…… 」

伊東は、ぱしっと音を立てて扇子を閉じた




 [2]


伊東先生が土方さんへ良い感情を持っていないだろうとは感じていた。

いくら伊東先生が皆に思いやりがあったとしても土方さんのあの愛想のない態度では話もしにくいだろう。


「土方君の中にあるのは本当に新選組のことのみ。 

新選組を自分の都合の良いように動す、つまり私物化したいようにしか私には思えないのですがね 」

そう言って伊東と山南が顔を見合わせる。


「あ……いや。 土方君は頑固ですが伊東先生が思うようなことは…… 」

近藤が額に汗を浮かべながら

「新選組にとってどうすればよいかということしか頭にないのです 」


「先ほどそういったことを申し上げたつもりですが…… 」伊東がうすく笑う。


「……土方君の考えどおり進めていたらうまくいっていたのです……今までは間違いが無かったというか…… 」

「その結果、土方君が増長したと?…… 」

「い、いえ…… 」

ますます汗びっしょりになっている近藤の空いた盃に豆鶴が酌をしようとするがそれすら気が付かず、

うーんと唸る。


「近藤先生……そないに暑おしたら冷たくしたお酒、ご用意しましょか? 」

君尾が豆鶴に目配せしている。


「あ、いや……私のことは気にしなくてよいから 」

お気に入りの君尾に声を掛けられ、ますますしどろもどろになってしまう。


「とにかく…… 」伊東は一度閉じた扇子をまた口元で広げると

「一度、荒治療も必要かもしれませんね 」



「それは……どういうことで? 」近藤が伊東を見ている


「たとえば……そうですね、 西本願寺へ屯所移転するなら新選組を脱退すると誰かが言い出すとか…… 」



「伊東先生…… 」

黙り込んでしまった近藤先生に代わって俺は口を開いた。


膝を進めて伊東先生と近藤先生の前に座りなおす。

「そのようなことは冗談でも仰らないほうが宜しいかと。

隊士達はそういったことに敏感ですから…… 」



「冗談と思うかい?……藤堂君。

今の新選組、いやそれこそ土方君というべきだろうが。 

幕府の『対長州』のための組織化しようとしているとしか思えない。 

勤王の志高い長州へのお裁きなどというのもそもそも幕府がおかしいと思うのが普通だよ。 

近藤先生のお志は? 」

「も、もちろん勤王の気持ちで……新選組を…… 」

「そうですか……でも土方君は違うようですよ 」



俺は残党狩りで炊き出しをしたいと言った時の土方さんのことを思い出していた。


「土方さんは本当に新選組が好きなんですね…… 」

そう言った俺に悪態をつきながらも少し得意そうだった土方さん……


「伊東先生 」


伊東先生が俺のほうを見た


「……土方副長のことですが。 確かに強引で他人の意見を聞き入れないところもあります。

誤解を招くこともあるでしょう。でも……新選組を私物化するようなことはありません。 」


『伊東の取り巻き』と言われても、物を投げつけられても……

それでもやっぱり俺は土方さんを嫌いにはならない


それはどんなに伊東先生を尊敬していたとしても変らないのだ。


伊東先生が入隊されてから隊内の人気はすごい、それはもちろんうれしいが俺は今も試衛館の仲間が好きなのだと思った。



「土方さんは自分のことより新選組のことを考えています。 それは私物化ではなく京の治安を預かる責任感ゆえのものです。

伊東先生もどうかご理解をお願いいたします。」


薄紫の扇子がせわしなく揺れる。

「藤堂君……君の仲間想いには感心するが……しかしこのまま土方君を放置したら新選組は…… 」


「あ!…… 」君尾がうっかり手を滑らしてしまい伊東の袴に酒がぶちまかれた。

「えろう、すみません……伊東先生ぇ、堪忍どす 」


「い、伊東先生のお着物になんてことを! 」近藤がおろおろしている


「伊東先生、すぐ屯所に人をやって新しいお召し物を持ってこさせます。……君尾 」

俺は目で君尾に部屋から下がるように合図する。


君尾が黙って頷き「伊東先生、ほんまに堪忍しとくれやす…… 」そう言うと他の芸妓たちを追い立てるようにして部屋を出ていった。



 部屋を出た君尾はすぐに男衆を呼ぶ。

「はよう壬生まで走って伊東先生のお着換え取ってきて 」


「そないに慌てて……どないしましたん? 」


「……あそこのお座敷のお客様、粗相しはったんや 」

「それは難儀どすなぁ、昨日畳入れ替えたばっかりどっせ 」


「ほんまやわ……よう、お掃除しといとくれやす。 」

君尾はいたずらっぽく微笑むと豆鶴たちと芸妓の控室へ戻っていった。





 [3]


 「まったく……何の話でしたかな。 今から島原で飲みなおしましょう 」

すっかり気勢を削がれてしまった伊東は届けられた新しい着物に着替えると、やれやれという風情で席を立つ。

「……毛内君も一緒に 」着物を届けに来た毛内にも声をかける。


近藤が小声で「平助、 伊東先生のお召し物の弁償の件頼んだぞ……」そう言うと伊東を追いかける。

阿部と富山も後を追う。


「藤堂君……一人で大丈夫か? 私も残ろう。」

心配そうな山南に微笑むと「いえ、大丈夫です。 島原で明里さんに逢ってきてください。 」




みなが一力を出て島原へ向かうのを見送り、俺はいつもの部屋で君尾を待っていた。

店からの請求の書かれた紙を確認していると君尾が部屋にやって来た。

俺の横に座ると紙を覗き込む。


「……お畳代、とはどういうことだ? 」

「畳のお代金いう意味ちゃいます?…… 」


「そんなことを聞いてるのではない。」


隊費を使っての遊行は会計方が厳しく確認をしている。

芹沢先生が浪費しずぎたせいで土方さんがことさら厳しい管理を求めたのだ。


君尾が首をかしげて「そんなふうに怒った顔も……ええ男どすな 」そう言って俺の手に自分の手を重ねてきた。


「いや……さっきは助かった。さすがだな、ありがとう 」俺は少し頬を緩めた。


「わかってたんやったら、さっきみたいな怖い顔せんといて 」


「そんな怖い顔をしたつもりは無かったが……すまない 」俺は自分の両頬をパシパシと叩いてみた。

「平助様…… 」

「なんだ? 」


「平助様…… 」

「……? 」



平助様……毎日、新選組の見廻りだけでも気を尖らせているのに。

屯所でもあんな話ばっかりでは疲れてしまうわ……


そう思ったけど口には出さず「……簪、めっちゃいいの買うてきて 」


「そんな風に言われると、いいのが見つかるまで帰ってこれなくなる 」


「それは嫌…… 」君尾の腕が俺の首に回された。

「お勤めが終わったら早飛脚より、もっとずっと早う歩いて帰ってきて 」


「無理だよ 」思わず吹き出してしまった。


「……でもがんばってみる 」



しっとり、たおやかに舞う君尾


一流の芸を身につけるのにどれだけの努力を重ねたことか……


そして今日、君尾の気転に救われた

あのまま場の雰囲気が悪くなりきる前に空気を変えてくれた


君尾の芸妓としての矜持を見た


俺も負けたくはない……

失くしかけていた新選組隊士としての矜持を再び取り戻し、江戸行へ前向きな気持ちになれたことへの感謝の気持ちをうまく言葉にすることができないで、俺はただ君尾を抱きしめていた。



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