新章 26話 平助、その恋の罪と罰Ⅲ 平助の罪

[1]


 本堂の階段に座るとまっすぐ門まで見渡せる、すっかり見慣れた壬生寺の境内。


……何度ここに座って、この景色を見ただろう


ある時は月に数回行われる大砲調練の様子を。

またある時は大切なひととかけがえのない時間を過ごした……そんな場所


平助は階段に腰掛けた。 

膝のあたりに腕をついて指先を軽く組む、そこにそっと顎を寄せると、

落ち葉が地面を舞うのをぼんやり見ていた。


『松太郎の養子先が決まった。』

土方と話をしてから幾日と置くことなく、松太郎は大坂の子供のいない両替商の夫婦に引き取られることが決まった。


ほんとに……土方さんの仕事の速さにはいつも驚かされる


まだ途中だった砲術の免許取得のために年が明けたら江戸へ戻ることが決まっている俺と前後して大坂へ行くと聞いた。


自分も大坂まで付き添いたいと願い出たが土方さんの返事は

「……だめだ 」その一言だけ。


源さんと山崎さんが松太郎を送っていってくれるから心配は無いはず……そう心に言い聞かす。


すぐにでも荷物をまとめておかないと……


お気に入りのおもちゃ……持っていないと眠れない手拭い、八木さんの奥方が作ってくれた少し大きめの綿入れ。


それから……

大切にしまっておいた、あの日松太郎が持っていたでんでん太鼓



意外と少ないんだな…… 寒さが増した気がする境内で平助は一人苦笑する。



……寒さの緩やかな日は松太郎をここでよく遊ばせた


松太郎の小さくあたたかな手が背中に負ぶった時に肩をぎゅっとつかんでいたこと。

巡察で疲れて戻った夜も横で眠る松太郎の寝息を聞いていると気持ちが落ち着いたこと。

そういったいろいろなことが思い出される。


君尾には『松太郎と一緒に心の痛みをずっと抱えていくのは苦しくはないのか 』そう言われた


だけど……

贖罪の証のはずの松太郎は俺にとっては苦しみでもあり、

……小さなあたたかい手は心を癒す存在でもあった



自分しかいない静かな境内に人の気配を感じ、平助は松太郎へ思いを馳せるのをやめて目を上げる。


ちょうど女が一人境内の中に入ってきたところだった。

女は平助の姿を認めるとこちらに近づいてくる。



……


松太郎だけではない……


俺は……俺はもう一人、大切な存在を手放さねばならない



冷え切った空気は息をするたび胸のあたりに刺すような痛みをもたらす


そう……この痛みはすべて身を切るような冷気のせいだ

心が痛んでいるわけではない


そう思って、組んだ指に寄せた口元をさらに強く押し付けると

こちらに近づいてくる女をまっすぐ見る。



階段に座る平助と目を合わせると女が少し笑みを見せた。



「……立ってないで座らないか? 猫…… 」




 [2]


 君尾……猫は華やかな笑顔を見せるとわずかに首を振った。

「ほんまに野暮な人で困るわ……こんなとこに座ったらお着物、汚してしまうやない…… 」


「……なら好きにすればいい 」


平助の前でうれしそうにくるっと回って「これ、大丸さんで作ったばっかりなんどす。平助様に一番に見てほしくて…… 」

誉め言葉を待つようにじっと見つめる。


平助は黙って考え込むように組んだ指を見ている。


猫は手を伸ばすと平助の組んだ指を一本ずつほどきながら

「……こんなに手ぇが冷たなるまで、うちのことずっと待ってくれはったん? 」


「……やめろ 」平助が猫の手をそっと押し返した。


ますます強くなる胸の痛みを隠すためにことさら、

そっけない態度の俺に気を悪くしたようにむすっとした顔でいた猫が

「……話、 つけてきたけど 」


「…… 」

ほどかれた指をまた強く組みなおす


「……そうか。 ……すまなかった 」


「名都さん……めっちゃ、かわいらしいひとどしたなぁ。

平助様がご執心なのも……よぉう、わかるわ 」


「…… 」

力を入れすぎたせいで組んだ指が痛む


「名都さんに……平助さまがあんたのこと『子供っぽくて……抱く気にならへん 』って言ってたって、言うといてあげたから 」


「……! 」

眉をひそめて立ち上がる


猫の瞳の強さに目を逸らし

「……そこまでやれとは言ってない………… 」


バチン!大きな音を立てて平助の頬が打たれる


「これは名都あのひとの分どす!」猫が平助を睨むように見ている


打たれた頬だけが熱を帯びたように熱い……

本気で殴ったな……猫


軽く握った指で打たれた頬に触れながら平助も猫を見返した。



「それからこっちは、うちの分…… 」

猫は手を振り上げ俺のことを睨んでいる……


「うちの……うちの分やから…… 」猫の声が震える。


「ああ。……わかってる 」俺は静かに頬から手を下ろした。


「…… 」手を振り上げたままの猫の瞳が揺れている


「どうした? 好きなだけ殴ればいい 」


「うちの分…… 」

猫の細い指がまだ熱い頬に伸び、殴るのではなくそっと触れた


「……猫 」


「ほんまに……平助様はクズや…… 」


「……ああ、そうだな 」


そうだ……クズだ

きちんと向き合おうと決めた大切なひとに、

自分で別れを告げることすらできないクズ


「クズや……平助様はクズや 」


俺に取りすがり小さな声でクズと何度も繰り返しながら泣きじゃくる猫……

そんな猫を突き放すことも抱きしめることもできない


……!

その時、俺は境内の真ん中に立ちつくす名都に気づいた


名都さん……どうして……?


……名都と話した後、島原から戻って来た猫を追ってきたのか?


何も言わずただ俺と猫を見ている名都

その目から涙があふれかけた


……耐えられなくなり、目を逸らすと猫を抱きしめた


名都さん……

早く行ってください


泣き止まぬ猫を強く抱きしめながら、ただ名都がこの場を去ってくれることだけを願う



さようなら……名都さん










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