第12話 雨に揺れる想い

 [1]


 平助たちが土方の命で枡屋の監視を始めてから『人の出入りのやたら多い店』という以外特に目立つような動きが無いまま祇園会の宵々山を数日後に控え京の町は活気づく。


あちこちから印象深いお囃子を練習するのが聞こえ祭りの雰囲気が高まっていく中、新選組は祭りなど関係ないという風に緊迫感という圧を発しながら通常通り市中巡察を続けている。

平助や斎藤は巡察にも出ながら枡屋監視の隊務にもついているため忙しい日々を送っていた。


 その日も平助は祇園会の近づいた蒸し暑い京の町を隊服を羽織り、動きやすいようにたすき掛けもして巡察に出ていた。

途中、何度も汗をぬぐう新田たち部下を後目に涼しい顔で先頭を歩きながら枡屋について考えている。

 

ずっと監視していたが……

三条の旅籠、池田屋の主人がやたら訪ねてくるという以外は特に過激派浪士などを匿ってるような行動は無かったな……

いや、何度か押し車にのせられた骨董品と称したものが店に運び込まれるのを見た。

怪しいと言えばそれくらいか……骨董品がそんなに何度も仕入れるものとは思えない。


「……あれが武器ということはないでしょうか? 」

山崎と組んだ時、一度そういう話をしたが荷物を改める正当な口実も無く、逆に警戒させてしまうことを恐れ土方に報告するにとどまっている。


「隊長……この隊服はやっぱり着ていないとまずいですか 」

新田に話しかけられ平助の思考は止まる。


 後ろを振り返るといつも人一倍元気な新田が水筒を首から二つも下げ、それでもすでに一本を飲み干してしまいげっそりしている。

「……暑いだけじゃなく悪目立ちしますよ 」他の隊士も新田に同意する。

「そうですね……一度土方副長に相談してみます 」


 遅れてついてくる三浦の顔色もかなり悪いように見えるが三浦とはずっと険悪なままで巡察を休むように勧めても聞き入れない。

ここ最近は三浦以外にも巡察の途中、日射で気分の悪くなる者が多く平助の気が休まることが無い。


 暑さのためにげっそりした顔をしているか、イライラした顔で歩く新選組隊士たちを、すれ違う町の人々は左右に道を開けて見送る。

「ほんま、祇園さんの日ぃまで巡察しはる気ちゃうやろな? 」

「しっ…… 聞こえるで。 壬生浪は地獄耳やさかいな 」


地獄耳か…… 確かに違いない

いまだに『壬生浪』呼びの悪口、しっかり聞こえてる


 平助がちらっと視線を送ると「魁先生がこっち見よったで…… 」「魁先生? ほんならあれが南座の今牛若か! あんなきれいな顔して人斬りやなんて恐ろしなぁ 」 と自分たちから露骨に目を逸らすので馬鹿々々しくなり思わず笑ってしまう。


……俺だってこんな日は過激派浪士に出会わずさっさと巡察を終わらせてしまいたいと思っている


平助も腰に下げていた水筒の水を飲もうとした時、向こうの路地にさっと身を隠す人影が一瞬目に入った。


……? 俺たちに気づいて隠れたのか……


 平助は部下に合図すると足を速める、路地の手前ですでに抜刀していた。

そのまま素早く路地にまわり込もうとした時、目の前に光る剣先が突き出された。


!……


 間一髪、後ろに身を引きなんとか剣先を交わした。

初太刀を平助に交わされ次の攻撃を仕掛けるか迷うように浪士風の男が剣を構えて睨んでいる。


 路地の向こう側には新田たちを走らせている、逃げることはできないだろう

「逃げることはあきらめたほうがいい…… まずどちらかの藩の方でしょうか。

ご返答次第では詮議のために屯所へ…… 」


みなまで言う前に浪士風の男が叫んだ「幕府の犬に答える気はないっ! 」


その悪口も、もう聞き飽きたんだけどな……


平助の涼やかな目が鋭くなり浪士を睨む

「幕府の犬でも壬生浪でもない。 『新選組』と覚えてほしいですね 」

「ふざけんな! 」浪士が斬りかかってきた


剣の腕は自分より相当劣る、殺すほどのことは無い……

瞬時にそう判断したが距離が近すぎた。 平助の振り下ろした刀はその勢いを失う前にそのまま男の身体に吸い込まれた。

平助が刀を引くと血を噴出させ男が倒れ、血が雨のように顔に降りかかる。


……死んだ……か……


平助は軽く舌打ちをする、殺さなくてもよかった。


致命傷を与えない斬り方をする余裕は『無かった』とは言えない……疲労がたまっていて手元が狂い加減できなかった。


自分の姿を見下ろすと返り血がいつもより多い


下手くそめ……


自分で自分を𠮟咤する。


番所への届けや土方への報告、着替えなどを済ませ屯所の自室に戻ると刀を抜き放つ。

さっきの浪士と心の中で対峙してみる。


死なせない斬り方……


何度試してもなぜかうまくいかない。 


 平助はあきらめたように刀を鞘に納めるとそのまま祇園へ向かった。

枡屋の監視を始めてから会っても仮眠を取るだけでそのまま帰っていたが、久しぶりに猫を抱いた。



 [2]


 そろそろ戻らないと……


そう思いながら平助が猫の乱れた前髪をそっと整えていると、心を読んだように猫が平助の手を抑えて胸に顔をうずめてきた。


「…… せっかく直したのに。 また乱れてしまう…… 」平助が笑う


「若旦那はんが一緒に祇園会の山鉾見物行こう、言うてくれはるんやけど…… 」

「南座で一緒だった若旦那なら連れてってもらえばいい。 こないだ見物したいと言ってたからちょうどよかったじゃないか 」


「…… ほんまに平助様にはあきれるわ 」

猫は不機嫌な声で美しく弧を描く眉をしかめた。


「若旦那なら良い場所を取ってくれるのだろう……なぜそんなに怒っている? 」

「ほんまにわからしまへんのどすか? うちは平助様と一緒がよかったんどす。 良いお席とかどうでもよろしいわ 」


「…… それはすまなかった 」平助の瞳が困ったように揺らぐ

「だいたい平助様はうちが別の殿方と一緒に見物へ行ってもええん? 」


「猫…… 若旦那ともこういう仲だったりするのか 」

「祇園の芸妓をなめたらあきまへんえ。 ほんまに惚れた殿方にしか肌はゆるしません……もう、なんでこんな愛想無い人のこと好きになってしまったんやろ。 あほらしわ…… 」

「愛想が無いつもりはないが…… あまり困らせないでほしい 」


祇園一の人気芸妓の君尾なら豪商から京詰めのきちんとした藩のお偉方にいたるまで選びたい放題のはずなのに、なぜ俺なんだろう……

一力に初めて上がった夜、場慣れした君尾の貫禄とずば抜けた美貌にずいぶん大人びて見えたが実は自分や斎藤と同じ年齢と後で知って驚いたものだ


美貌だけでなくあれだけのしっかりした芸を身に着けているのだからこの世界に入ったのはずいぶん幼いころだったのかもしれない。

まったく感じさせないが苦労したことだろうと思う


「俺の……母親はお妾さんてやつだった。 父とは会ったこともないし名前すら知らない 」


 経済的には父からの援助のおかげで困ることは無かったが学問所や剣術道場では父の名さえ知らない俺はなにかと苦労があったことを思い出していた

そんな自分の幼少の頃と幼くして花街に身を置いた猫が重なってしまう


「……そうやったんどすか ……お父上様のこと恨んではりますか 」

「いや……憎いと思ったことは無い。 でも、母の気持ちを想うと気の毒に思う。 」


側室に取り立てられることもなく生まれたばかりの俺を抱えて屋敷からいつか迎えが来るのを待っていた母……


「恨んでへんのやったらお父上さまに会いたくはないんどすか 」

「そんなふうに思ったことも一度も無いんだ。 

でも、もし会うことがあれば…… あなたが捨てた息子は人斬りを稼業として生きてますよって言ってやろうと思ってる 」


「俺の刀は……父から賜ったものらしい。 

会津様にも所望されてお目にかけたこともある名刀で……唯一、父が『俺の父親 』である証。

今、その刀を存分に使ってるんだから存外、父の意に沿った仕事をしているのかもしれない。」

皮肉な笑み浮かべて猫を見ながら、そういえば今日は浪士を斬ったのに刀の手入れをしっかり行っていなかったな……と思いだす。


「そんなふうに悪ぶるのは平助様には似合ってませんなぁ……

新選組のお仕事も……それが人斬りやったとしてもお仕事なんどすからきっちりこなしはったらええんどす。それに…… 」

言葉を切って細く美しい指で平助の胸をつつく。

「今でも忘れられへんひとがここにずっとおいやすんやったら、こんなとこでどうでもいい女抱いてんと早よう会いに行ったらどないです?

その勇気もないんやったら、うちの手の上でおもしろう転がしてあげるから素直にうちだけのもんになったらよろしいやん 」

そう言って平助の顔を覗き込む。


 平助が胸をつつく猫の手を取ろうとするとそれを避けるようにすっと手を引かれた。

「決められへんのに気安う触らんといて! うちのことが欲しい殿方は他にもぎょうさんいてはります! 若旦那はんかて…… 」

「猫……悪ぶるのが似合わないのはお互い様のようだ 」平助は笑みを浮かべる

「うちは別に悪ぶってなんか…… 」


先ほど避けられた手を握ると猫の頬が薄紅色に染まるのを見て

「……どうでもいいならこうして何度も会いに来たりはしない 」





 屯所には戻らず祇園からそのまま四条の枡屋へ向かう。

ぽつぽつと小さな水滴が降ってきた、平助は空を見上げた。



……雨か 


雨が降ると思い出すのは……


こんなんだから猫が怒るのも三浦に詰られるのも当然だな……


こんな気持ち全部、雨で流れてしまえばいい


濡れるのも構わず平助は自分でもよくわからない気持ちを持て余し次第に激しくなる雨を見つめていた

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