第8話 平助、恋の行く先

[1]


 京で初雪が降りはじめた。

平助たちは京で初めての冬を迎える。

隊の仕事には雪も寒いも関係なく、寒さに動きの鈍る新田たちを叱咤して平助は巡察に出る。

ただ三浦の体調は今までより悪いようで熱を出しては巡察を休み他の組から応援を借りることもたびたびあった。


毎月、名都から預かる薬をちゃんと飲んでるんだろうか……


気にかかるがそこまで立ち入って聞くことも出来ずにいた。


 巡察に出ない時は道場で自分の稽古や他の隊士たちの稽古を見ることも続けている。

平助の指導は相変わらず厳しく 一度、北辰一刀流の真剣稽古を取り入れようとした時には永倉に道場から連れ出された。

「いい加減にしろよ、みんながお前のようにできるってわけじゃない。 平隊士を殺す気か! 」

「……隊士一人一人が自分を身を守れるように指導するのが上の役目だと思っている。そのために必要だと思うことはすべてやります。 」

言い終わらないうちに永倉から平手打ちを食らうが平助は怯むことなく永倉を見返した。

その気迫に根負けしたのか「平助の気持ちはわかるけどよ。 

総司やお前の指導を嫌がった連中がみな、俺や斎藤のとこに来るわけ。

だもんでイモ洗い状態で稽古になんねえんだよ…… 」と少しおどけて見せた。


 永倉にもわかっている。 平助が変わってしまった理由を……

あの日の翌日壬生の屯所に戻った時、顔を腫らすほどの怪我をしていた平助に驚いたがそのことに触れるものは誰もいなかった。

女のとこなんか行ってないで平助と一緒にいてやればよかった……と今も後悔している。


……あれからしばらくは原田も平助を避けているふうでよそよそしい空気が流れていたが、色づいた紅葉が散り、京がすっかり冬支度を始めたころ

やっと平助と原田も以前のように話をして笑っていることもある。

先日は久しぶりに三人で屯所の縁側で酒を飲んだ。 最初はただお茶を飲んでいただけだったが平助の部下の新田が気を利かして酒を持ってきたので雪見酒としゃれこんだ。


「なぁ、おまえら。京へ来るまで人を斬ったことがあるか? 」原田がぽつんと言う。

「俺は無いよ…… 」永倉は淡々と答える。

「俺もありませんけど……今は慣れてしまいました 」平助は両の掌を見つめたまま答える。何人斬ったか、もう覚えていない……

「左之助さんはどうなんです? 」

「馬鹿言うなよ、あるわけねえだろ。 まあ自分の腹は斬っちまったけどな 」

「冬は痛むだろ、左之助 」永倉が原田の傷口あたりを殴る真似をする。


あの時は三人で久しぶりに思いっきり笑った……

それでも平助は俺たちと過ごすより山南さんの部屋で勉強していることが多くなったんだよな……

若干の淋しさを感じながらまだ何か言いたそうな平助を残し永倉は道場に戻っていった。


 

 最近、平助は忙しい時間のやりくりをして山南の部屋で勉強をしている。

隊務を控えてるためいろいろ勉強をしているんだと言っていた山南に触発されたというわけではないが、

勤王について書かれた書物や水戸学について山南から学んでいる。

新しいことを学ぶのはおもしろい。

今の幕府を取り巻く環境、朝廷の歴史、長州の立場など今まで自分の隊務とは関係のないことと思い、特別知りたいとも思っていなかったことについて教えを受け、時に語り合う。


 その日も平助は山南に『新論』という書について講義を受けていた。

どういうわけか今日は沖田も参加し退屈そうに書をめくっている。

山南の話がひと段落ついたころ、沖田は待ってました ! とばかりに障子を開け放つ。

「わあ、寒い! 」自分で開けたくせに寒いと騒ぐ沖田に平助と山南は顔を見合わせ苦笑する。

ちょうどその時井上が盆に湯飲みを乗せて現れた。

「お三方とも、ごせいがでるな。 少し休憩でもしたらどうだい? 甘酒を作ってみたから持ってきた 」

「源さん、甘酒ですか! 気が利くなぁ 」沖田が一番に湯飲みを取り息をふーふーやっている。


 平助は礼を言って盆を受け取り山南に差し出す。

山南も湯飲みを取ると「これはいい。 体が温まる。 」

「だろう? 江戸にいたころも冬になったら試衛館のすきま風吹く道場でみんなでよくこうやって甘酒を飲んだなと思ってね 」と井上も大事そうに湯飲みを抱えている。


平助も残った湯飲みを取って手を温める。甘酒は懐かしい匂いがした……


「やっぱり源さんの甘酒は最高だな 」そう言いながら飲み干すと沖田は「京の甘酒も飲んでみたんですけどね、違うんですよ。 なんていうか……私はやっぱり蕎麦も江戸のが好きだなぁ 」

それには平助も井上も頷く。 

沖田は子供のような口調になり「あーあ、江戸の蕎麦が食べたくなっちゃいましたよお 」

しばらく京より江戸のほうが良かったものについて皆で盛り上がる。


 山南も懐かしそうに「そうだな……江戸が懐かしいな。 いつか江戸に帰れたら蕎麦を食べて墨田川の桜や花火もいいな…… 」

そう言って目を伏せ甘酒に口をつける山南のどこか寂しそうな様子が平助は気にかかる。

思わず「山南さん…… 」と声をかける。

「いや、本当に江戸が懐かしいと思ってね 」山南が平助に微笑む。

それでもまだ心配そうな目を平助に向けられ慌てたように

「いかん、いかん。 昔ばかりを懐かしむとは私も年かな 」

沖田が真面目な顔で「山南さん、蕎麦を食べに一度江戸にもどりますか? 私もお供しますよ! 

土方さんに頼んでみますよ 」

「あんたが年寄りならわしなんかもうこれだよ 」井上が幽霊の真似をして見せ沖田が大喜びをする。


 「さあ、私はもう少し読みたい書がある。 藤堂君も沖田君もそろそろ夜の巡察の準備の時間だろう? 

もう行きなさい。 源さん、甘酒ごちそうさまでした。 」


山南の部屋を出ると沖田はまだ「江戸に帰ったら絶対寿司も食べよう。ね! 平助さん 」

冗談とも本気ともつかない口調で話しかけてくる。

「おいおい、二人とも。 みんな江戸に帰りたいなど言いだしたら歳さんが寂しがるぞ 」

井上は『盆を返してくる』と台所へ向かい平助と沖田も巡察の準備に向かう。


 平助は山南の部屋を振り返る。


俺と同じで、沖田さんも源さんも山南さんの刀傷の件に触れられないでいる。


山南さん……新選組という存在が負担ではありませんか……心の中で問いかけた。





[2]


 雪がちらつく中、壬生寺の本堂の階段に腰掛け山南に借りた書物を凍える手でめくりながら名都を待っている。

今日は三浦の薬を預かる日だ……平助はため息をつく、そのため息も白い吐息となって消えていく。


そういえば沖田さんはあの事件以来、子供たちと遊ぶことをしなくなった。

八木家の子供の泣き叫ぶ声を思い出す。

何も変わらないように見える沖田だったがあの夜は沖田の中のなにかも変えてしっまたのかもしれない……


 静まった寺の境内を見ながらぼんやりとそんなことを考えていると名都が壬生寺の門をくぐって入ってくるのが見えた。

平助を見つけた名都が笑顔になる。

名都のそこだけ春の陽だまりのような笑顔に癒される。


名都さん…… 


平助はようやく心を決めて立ち上がり名都に向かって手を振った。


「すみません、遅うなってしまって。 出がけにお母さんに用事言われて角屋さんにお使い行ってたんどす。 寒いのに待たせてしまって堪忍え 」

「書物を読んでいたので平気です。 」ひらひらと本を振って見せた。

「難しそうなご本やなぁ…… 平助はんはそういう難しいご本が好きなんどすか 」

「……どうでしょう。 京の世情にもっと詳しくなるためにも勉強しているんです。 

でも私も難しくてよくは理解できていません。 」

そう言って平助は笑った。


 平助と名都はいつものように階段を上った本堂の廊下に座って逢ってない時のことを話す。

と言っても隊務に追われる殺伐とした平助の日常のことなど話せるはずもなく、名都の兄の三浦の最近の様子を話した後はほぼ名都の話を聞いている。

 

 名都のたわいもない話に笑ったり驚いたり、そんな時間が平助にとって何より楽しい、心待ちするこのひととき……


それを今、俺は終わらせようとしている……

寂しい気持ちに押しつぶされそうになる。


話すのは今日でなくてもいい。 次に逢ったときにしよう……


そう思って今日まで伸ばし伸ばしずっと言えずにいた。


名都が寒そうにしているのを見て

「もうそろそろ戻りましょう。 風邪をひいてしまう 」


名都は少し考えるそぶりを見せたが首を横に振った。

「まだ、ここにおりたい…… 」ちいさい声でそう言う。


「無理はしないほうがいい。 手が冷たい…… 」

平助は名都の手を取り暖めるように包み込んだ。


名都が笑いだす「平助はんの手ぇも、めっちゃ冷たい 」


「ああ、すみません 」平助も自分の気の利かなさに笑ってしまう。


「平助はんこそ風邪ひいたら大変や。 隊のお仕事に関わるわ。 引き留めてすんまへん。 

もう行っとくれやす。 兄さんによろしく言うとってください 」

名都が立ち上がると平助も腰を上げた。


「名都さん…… 話さないといけないことがある…… 」

「どないしはったん? 難しいお顔しはって……」


平助の思いつめた様子に名都は首をかしげる。


「もう、こんなふうに逢うのは最後にします。 

三浦さんの薬は壬生寺のご住職にくれぐれも頼んでおきますのでこちらへ届けてください。 

それを私が三浦さんにお渡ししますので心配いりません。 」


「なんで? 」名都が驚く。 平助にとって唯一楽しい時間は名都にとっても同じ時間だった。


「もっと早くそうするべきでした。 京の人々から新選組の隊士が嫌われていることはよく知っている。

特に私は…… 」平助がくちごもる。


魁先生……いつの間にか京で『新選組の藤堂平助』という名前は広まり一人歩きしていく。

人を殺すことに微塵のためらいも罪悪感も感じていない鬼のように噂されている男が

今、名都の目の前に立っている自分なのだ。


当然、噂の広まりやすい遊郭に身を置く名都にもその噂は届いているだろう。

それでも名都はそれについて何も言わない。

平助にとってそれがありがたくもあり苦しくもあった……


うちを見ている時の優しい目が過激派浪士を斬る時はどんな冷たい目をしてはるんやろう……


噂を聞くたび名都は何度か想像してみたが名都にとって平助はいつも優しく涼やかなまなざしで少し恥ずかし気に微笑む若侍でしかなかった。


「京へ上る前、信頼していた人が京へ来てから変わってしまった。 

新選組のためならなんでもする。

だから私も変りました。昔のままではいられない。 

仲間や部下を守るためなら自分も鬼になる覚悟をしました。 

そんな私はもう名都さんには逢えません。 」


「なんで?……なんでそんな無茶ばっかりしはるん!そんな無茶続けてたら平助はんが傷つくだけや。 

うち、これ以上平助はんが傷つくのはいやや…… 」

「傷ついたとしてもかまわない…… 」


平助と名都の視線がぶつかる。


大怪我をした平助が店に担ぎ込まれたあの日から数か月、いまだに平助の心は何かに捕らわれ癒えることはなかったのだと名都は思う。


ずっとずっと自分のことを責めてはるんやな……


平助は静かに続ける

「名都さんに逢うとその気持ちが鈍る。 甘える気持ちが出てしまう。 なのでもう逢いません。

それに…… 」平助は笑った。

「名都さんが思うよりずっと私は強いんですよ。 」そう言って刀の柄をぽんぽんと叩いて見せた。


「名都さん、どうか達者で…… 」平助は深く頭を下げ先に階段を下りていく。


声を出すことができず涙でにじむ平助の後ろ姿をただ見送るしかできない名都。


寒い……平助は雪がちらつく空を見上げた。 そうしていないと涙がこぼれる。


俺の恋は終わった……自分から終わらせた恋がこんなにも苦しく辛いとは。


予想外だな……平助は苦笑した。

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