第7話 魁・平助

[1]


 芹沢と平山の葬儀が盛大に行われたのち、新選組の不逞浪士、京から追放されたはずの長州の残党などの取り締まりはいっそう強化され、一度巡察に出れば刀を抜く機会も以前とは比べ物にならないほど増えた。

平助は非番であっても道場に顔を出し熱心に指導を行う。


土方の考案で巡察の際に一番に斬り込むものが毎回交代する『死番』制度ができ、その役目が回ってくる前日は怖くて眠れない新人隊士も多いと部下の新田から聞いていた。

 

部下を守るには自分が強いだけでは限界がある。 隊士一人一人が力をつけなければ……


 そう思えばこその厳しい指導となる。道場に平助の怒声が響き渡る。

元々稽古のつけ方の荒い沖田にさえ呆れられ、撃剣師範の筆頭の永倉に制されてもやめようとはしなかった。 

そのうち近藤にも呼び出しを受け、再三注意されたが聞かなかった。


 平助は変わった……誰もがそう感じる。


剣も心も、そして新選組内での立場も強くしなければ誰も俺の意見などに耳を貸さない。

土下座など土方さんにとっては木の葉ほどの価値すらないと思い知った。


幹部の会議でも積極的に意見を述べる。

巡察に出れば、死番制度に関係なく平助は率先して突撃するし、浪士に逃げられれば一番に後を追った。

自分より前に出ようとした部下にはきつく叱責もする。

浪士を捕縛する際には以前は鍔迫り合いで押し合いできるかぎり生きたまま確保するよう心掛けていたがそれもやめた。


歯向かうそぶりを見せた……理由はそれだけで十分だ。 問答無用。即、斬り捨てた。

一瞬の逡巡が部下を危険に晒すことになるなら考える必要など無い……時間の無駄だ。


以前は斬りあいの最中に怪我をおうこともあったが、逆にかすり傷ひとつ追わなくなった。


 隊服の上からたすき掛けをし常に先陣切って巡察に出る平助。

今牛若とも評された品のある涼やかな目元は変わらないがそこにあった優し気な表情はなくなり鋭い視線を飛ばし町を行く平助は敵、味方だけでなく京の町の人々にも『魁先生が来たで……』とささやかれるほどになっていた。


 顔色一つ変えずに瞬時に浪士を斬る俺のことを皆が恐れている、それでかまわない……


 名都さんとも本当はもう会わないほうがいい……


 あの事件の夜のあと一度だけ店に行った。 

雨や泥まみれで店に担ぎ込まれたせいで店の中を汚してしまったことを詫び、汚れた夜具などを新しいものに取り換える代金を返すためだった。

名都は別の客がついていて顔を見ることはできなかった。

顔なじみの男衆が「今日は嘘やのうてほんまなんどす 」と聞いてもいないことを申し訳なさそうに注進してくるのには苦笑するしかなかったが。


 三浦の薬を次に預かるのはもう少し先だ……壬生寺の境内で薬を預かるために会う、そのひと時がとても楽しみだったことに今更ながら気づく。


それも終わりにしたら三浦は薬を飲むことができなくなってしまう。

そのせいで体調に問題が出れば名都が悲しむ。


何事も迷う時間が無駄だと割り切ったはずだったのに……


そして名都が別の男に抱かれているという事実がちくちく心を痛めることにも気付かないふりをすることができなかった。




[2]


 昼番の巡察から戻り、夜番の隊への引継ぎをする横で、平助の隊の新田が夜番の隊士たちに『今日のうちの隊長』の武勇を自慢げに語っている。


引継ぎが終わり自室に戻ろうとすると山南が立っている。


「山南さん……只今巡察より戻りました。このような姿で申し訳ございません。 」

慌てて顔の返り血を手の甲で拭う。


「いや、気にすることない。少し私の部屋に来ないか? 久しぶりにお茶でも飲もうじゃないか。

顔だけ洗ってくるとよい。 」


……山南さんは何かいいたいことがあるんだろう。 だいたいの察しはつく。


平助は顔を洗って山南の部屋を訪れた。


殺伐とした平助の日常とは別世界のような静かな空気に支配された山南の部屋。



山南さんらしい……俺は変わってしまったけど山南さんは全然変わらないのだな


山南の言うお茶が急須で入れるお茶だと思っていた平助は茶の湯の道具を準備する山南を見て驚いた。


「藤堂君、驚いたか? 最近は隊務を控えているのでいろいろ勉強しようと思ってね 」


山南はついこないだの大阪出張で腕を怪我し隊務から離れていた。

傷の具合について尋ねかけたがやめておく、傷が良くなっていれば隊務を控える必要は無い。


剣士にとって剣を握れないことがどれだけの恐怖なのか……山南さんは今、そんな不安を抱えているのだ。


「私は不作法で茶の湯は詳しくないのですが大丈夫でしょうか 」

「はは……何も特別難しいことはない。

美味しければいいんだよ。 藤堂君 」そう言って穏やかに微笑んでいる。


静かに茶筅を振る音に耳をすませると、ささくれた心が落ち着く。

平助は小さくため息をついた。


「さあ、どうぞ 」山南が茶碗を平助の前に置く。

作法に戸惑いながら平助は茶碗を取り上げ一口飲んでみる。

なかなか苦い……苦笑する。 そのまま我慢して飲み干した。


「結構なお点前でした。 」知ったかぶりでそう言ってみる。

「正直に感想を言ってもいいんだよ。 苦かっただろ? 」

「……はい。苦いです 」平助は久しぶりに心からの笑顔を見せた。


「きみはまだ若い。今は苦く感じたかもしれないが……いつかその味の良さに気づく日も来るのかな。

それが大人になるということかもしれないな 」


「…… 」平助は黙って頭を下げる。

「きみが変わってしまったのはあの日のせいなのかな…… 」

「いいえ、関係ありません。 」

「きみの心に消せない傷をつけてしまったのは我々だな。 」


あの日、八木家の前で繰り広げられた土方とのやり取りを沖田たちの後ろで黙ってみていた山南さん……


「あまり無茶をして近藤先生や土方君の気をもませないであげなさい 」

「……土方さんはそんな人ではありませんよ 」

「彼の良いところを君も知っていると思っていたが…… 」


……京へ行ってもいいのか迷っていた自分の背中を押してくれたのは土方だったと思い出す。


そんなこともあったな……もう何年も前のような気がする。


「山南さん、私は大丈夫です。自分のやりたいことをやっているだけです。

むしろ隊務が充実していることに満足しています。 」

「そうか。それなら私の考えすぎだったかな……また時々お茶に付き合ってくれ 」


平助は山南の部屋を辞した。


……山南の心遣いがありがたく、心配をかけていることが申し訳ない。


廊下を自室に戻る途中で土方に出会う。

会釈して通り過ぎようとするが土方に呼び止められる

「藤堂く……いや、平助。 山南さんと俺の悪口でも話していたのか? 」

どうでもいい天気の話でもするような口ぶりだ。


平助は目を伏せ答える。

「……はい。 」


あっさり肯定されて土方は苦笑する。


「京へ来てから忙しくてすっかり忘れてしまっていた土方さんの嫌いなところをたくさん思い出しました 」


「そうか……たくさんか。

そいつは悪かったな…… 」


土方がそう言って立ち去るのを見送りながら平助は思う。


 あの惨劇の夜、許せないのは土方たちではない。

八木家の前に集まった誰より一番許すことのできないのは弱かった自分自身。


いつかあの苦いお茶を美味いと思える日が来たら……俺は自分のことを許すことができるのかもしれない



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