第四章……この気持ちはなんだろうか

第19話 和国の一場面と、甘やかされたい竜人



「どうか、どうかツバキとまた婚約させてください!」



 部屋の中央で土下座をする黒髪の男がいた。白いコートが床に擦れるのも気にせず、必死に額を床に擦り付けて頭を下げる様子を一人の老年の男が見つめる。


 豪奢な調度品で飾られた室内は煌びやかで目が痛くなる。そんな部屋で身なりのきちんとした着物を着た老年の男は、白髪の混じった黒髪を撫でながら考える素振りを見せた。



「しかし、ツバキは家出をした。もう戻ってこぬと言う。婚約も解消してくれと願ってだ。それに了承したのはお前だろう、ムサシ」


「それは、そうなのですが、やはりおれにはツバキしかおらず……」



 震える声で答えるムサシに男はどうしたものかと悩ませる。何を恐れているのか分からないが、彼はどうしてもツバキと再び婚約を結びたいらしい。


 老年の男は知っている、ムサシがツバキの幼馴染と仲が良いことを。ツバキとの婚約がなくなったことで、その女の方へと行ったのではと思ったのだが、そうではなかったのだろうか。


 婚約を破棄した後のことに何をしてもこちらに文句はないことだ。そう怯えることはないというのにと思うのだが、ムサシは震えている。



「わしは家を捨てた者にとやかく言うつもりはない。そんなに婚約したいと言うのならば、ツバキを探して本人に聞いてくるのだ」



 そう老年の男が言えば、ムサシは「わかりました!」と顔を上げる。



「必ず、見つけてみせます!」

「そうか。なら、お前の手助けをわしなりにしてやろう。シロウ」

「何でしょうか、父上」



 シロウと呼ばれた襟足の長い黒髪の男が、黒いロングコートを靡かせて前に出てくる。男は「ムサシの手伝いをしてやれ」と言った。



「お前の妹だ。お前が言えば戻ってくるかもしれん」

「わかりました。説得の手伝いをしましょう」



 シロウはそう言って一礼すると、ムサシの肩を叩いた。ムサシは立ち上がると何度も頭を下げて、彼とともに部屋を出ていく。


 二人を見送った老年の男はふっと息を吐いて、窓に目を向ける。淡いピンクの花を咲かせる木々に目を細める。



「わしの娘がそう簡単に戻ってくるとは思わんがな」



 そう呟いて、老年の男は小さく溜息を吐いた。


          ***


 ツバキはタオルを持って椅子に座るイザークの髪に触れる。まだ水分の残る重たそうな髪に「ちゃんと拭きなさいな」と言う。



「風邪をひいたらどうするの」

「そう引くことはない」



 どこからそんな自信が出てくるのか。竜人あるあるなのだろうかと考えながらツバキはタオルでイザークの髪を拭ってやる。わしわしと拭きながら「自分でやりなさい」と言うけれど、彼からの返事はない。


 これはきっとやる気がないなと察して、ツバキは息を吐いた。その様子をロウが呆れて見ているのだが、レイチェルはベッドに寝そべりながらくすくす笑っている。



「イザーク! って、やはりここだったか!」

「なんだ、レオナルド」



 ダンっと部屋に入ってきたのはレオナルドだった。彼も風呂上がりなのだろう、少しばかり髪が湿っているけれど、だいぶ乾いている。


 イザークがツバキに髪を拭いてもらっているのを見て、「お前は」と痛む額を抑えていた。



「何をやっているんだ、お前は!」

「ツバキに髪を拭いてもらっている」

「イザークは髪をまともに拭かないのよ」



 放っておく癖があるからとツバキが答えれば、レオナルドが「自分でやれ!」と指さした。それはそうだなとロウも頷く。


 それは面倒なようで、「面倒くさい」とイザークは眉を寄せる。そこを面倒がるなと突っ込みたいのだが、ツバキは口には出さずに髪の毛を拭いてやった。



「ツバキさんもイザークを甘やかさなくていい!」

「そうなのだけれど」

「待て、それは別にいいだろう!」



 甘やかすなという言葉にイザークは反応する。これぐらい別にどうということはないだろうと言いたげに。けれど、レオナルドは「自分でやれるだろう」と指摘する。



「自分でやれることは自分でやるべきだ」

「ツバキがしてくれると言うのだからいいだろう」

「イザークよ、本音を言え」

「俺はツバキに甘やかされたい!」



 ロウの問いにイザークは正直に答えた。それはもうはっきりというものだから、レオナルドは呆れてしまう。素直すぎる彼にレイチェルはとうとう腹を抱えて笑い出した。



「イザークさん、素直すぎっ」

「笑い事ではないと僕は思うのだが」

「俺は笑われてもいい、本当のことだからな」

「そこはもう少しどうにかすべきだとワシは思うぞ」



 あっはっはとレイチェルは笑う。彼女のツボがいまいち分からないのだが、可笑しかったようだ。「めっちゃ、嬉しそうな顔してるんだもん」とレイチェルは言う。きっとイザークの表情のことだろうなとツバキは彼の髪を梳く。


 だいぶ落ちた水気にそろそろいいかなとタオルを畳んだ。髪を軽く指で梳いて整えてやると「はい、終わり」とツバキはイザークの頭を撫でる。それがまた嬉しいのか、イザークが頬を綻ばせていた。


 その様子をレオナルドは渋い表情で見ていた。今まで見たこともない顔をするイザークの姿が信じられないようだ。抱いていた印象と違う一面を見て驚いてしまう気持ちはわからなくもないなと、ツバキはタオルを籠に入れる。



「ほら、終わったなら部屋に戻るぞ」

「そこまで急ぐことはないだろう、レオナルド」

「本音を言え、イザーク」

「ツバキともう少し一緒にいたい」

「だから、素直すぎるんですってっ」



 あっはははとレイチェルはベッドのシーツを叩く。笑われても気にしていないイザークにロウが「少しは気にしろ」と突っ込むも、彼は本心ゆえにとそれを受け入れていた。


 恥ずかしいとは感じていないようで、それはそれで自分の気持ちに素直だなとツバキは感心する。



「まぁ、ほら。イザークはよく頑張ったし」



 ツバキがそう言ってイザークをまた撫でれば、彼はなんとも嬉しそうな表情を見せる。この顔を見ると何だが甘やかしたくなってしまうので、よしよしと撫でる。


 ふと、どうして甘やかしたくなるのかなと思う。嬉しそうにしているからだろうか、その表情が好きだからだろうか。ツバキは考えるけれど、よく分からなかった。




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