第17話 貴方は貴方なのだから自由に生きていい
ジュレールの村には小さいけれど宿がある。こじんまりとしてはいるけれど、店主が気の良い人で明るかった。
他のギルドメンバーたちもいるため、ツバキたちは四人部屋を一つ借りることにしたのだが、なぜかレイチェルまで着いてきた。彼女は「レオナルド様から離れません!」と言って聞かない。
レオナルドの隣を離れず、腕に抱きついている。恋というのは人を変えるというけれど、そうなのだろうなとツバキは思った。ギルドで見た時のレイチェルとは印象ががらりと変わっていたから。
その様子を眺めながらツバキは食事をとる。小さい宿なので食堂がわりにしていたホールは他のギルドメンバーで埋まってしまっていたのだ。なので、部屋で食事をとっていた。
パンを千切って口に含みながら咀嚼していると、レオナルドが「イザークお前は今、何をしているんだ」と問う。イザークは「ツバキと共にギルドの世話になっている」と答えた。
「カラムーナの町のギルドだ。それなりに依頼はこなしている」
「もう、騎士団に戻るつもりはないのか?」
「ないな。俺はもうあの生活をするつもりはない」
きっぱりと断るイザークにレオナルドは溜息をついた。彼の意思が固いというのを感じ取ったようだ、何を言っても無駄なのだろうと。
無理強いはしたくはないようで、けれど戻ってきてほしい気持ちもまだあるようだが、レオナルドは「わかった」と頷いた。
「お前が戻らないというのなら、それを受け入れよう」
「すまない。お前の労力を無駄にしたな」
「構わないさ。ただ、僕はイザークのいない騎士団には興味がない」
レオナルドはイザークに憧れて騎士団に入った。そんな尊敬する存在がいない場所には興味がないし、戻る気にもならない。彼はそう言って果実水を飲む。
「僕もギルドに加入する」
「お前、騎士団はどうするんだ」
「団長にはイザークを探してくるのなら、お前は一度、騎士団を辞めろと言われたからな」
騎士団としてイザークを探すことを団長は許してはくれなかった。勝手に辞めて行った相手を連れ戻すなどと言って。どうしても探し出して連れてくるのであれば、騎士団を辞めろと。
せっかく選ばれたというのに竜人を連れ戻すだけで騎士団を辞めたのか。イザークはレオナルドの行動に呆れていた。
「貴方は僕の憧れなんですよ!」
「尊敬してくれるのは構わないが俺は大した存在じゃない」
当てもなく無茶な旅をして死にかけた、ただの竜人だとイザークは自嘲気味に笑う。それにはレオナルドも言葉を返せずにむっと口を尖らせる。そこにすかさずロウが「ツバキには弱いしな」と呟いた。
「ツバキのことになるとおかしくなるからのう」
「そうだろうか?」
「無自覚とは何とも残念だな」
無自覚なのかとロウに呆れているような、哀れむような瞳を向けられてイザークは首を傾げた。レオナルドはイザークのあの早口に語り始めた姿を思い出してか、何とも言えない表情を見せる。
「まさか、女性ができていたとは……」
「その、ごめんなさいね? まだそういった関係ではないのよ?」
「は? はぁっ!」
ツバキがそう返せば、レオナルドはますます困惑していた。何と伝えればいいかなと言葉を選びながら、「貴方たちと同じでまず知るところから始めているのよ」と言う。
いきなりそういった関係になるのは難しいことだと説明すれば、レオナルドも確かに納得する。いくら、助けて看病したとはいえ、それとこれとは別なのだ。
「その、イザークは悪い奴ではない。優秀な騎士なんだ」
「そうね、悪い人ではないわよね」
「きみに対しては壊れ気味になるけど、悪い奴ではないから!」
「すっごく、押してくるのこの小僧」
イザークは悪い奴ではないを強調させるレオナルドにロウは突っ込んだ。それに彼は「だってな!」と力強く言う。
「この男は騎士団にいた頃からどんな女に言い寄られようとも、見向きもせず興味も示さなかったんだ! 皆が将来のことを心配するぐらいには! 今、彼女を逃せばこの先はないかもしれないだろう!」
それはそれは切実な叫びだった。彼が心配するぐらいには女の噂もなければ興味も示さなかったのだろう。それは将来を心配されても仕方ないなとツバキも思う。
ロウはイザークを見つめながら「仲間を心配させてどうする」と呆れ口調だ。レイチェルは「お堅い人だったのねぇ」と意外そうに見つめていた。
「そんな格好良い顔立ちなのだから女性は放っておかないと思ったのよねぇ〜。イザークさんが見向きもしなかったのかぁ〜」
「そうさ、レイチェルさんの言う通り。イザークのその容姿に食いつく女性はいたさ。問答無用で追い払われていたが」
「あらやだ、ひどい。あ、レオナルド様! ワタシのことは呼び捨てでお願いします!」
竜人と言っても竜の瞳を持つだけだ。あとは人と何ら変わらない見た目をしているのだから、そこさえ気にしなければイザークの容姿は良い。放っておかれるわけもなく、言い寄られた経験はあるようだ。
少しばかり老け顔ではあるけれどそれでも格好良いと思えるのだから、言い寄られても仕方ないよなとツバキが納得していると、それにイザークが眉を下げる。
「ツバキに変なことを教えないでくれ。俺は彼女以外に興味はないんだ」
「格好良いのは本当のことだし。私は気にしてないけれど」
「っうぐ」
ツバキの不意打ちな発言にイザークは言葉に詰まる。格好良いと言われて嬉しいようで少しばかり頬が緩んでいた。その姿にレオナルドが「これが恋というものか」と驚いている。
「しかし、レオナルドは本当にギルドに所属するのか」
「するさ。こうなったら、お前の応援に回ってやる」
仕事でも恋でも、尊敬している相手の応援に回るとレオナルドは言った。彼はイザークに気さくに話しているのは信頼しているからなのだろう。あるいは、イザークがかしこまっているのが苦手だからかもしれない。
ツバキは話を聞きながらふと、幼馴染のことを思い出した。彼女は幼い頃からずっと一緒で、信頼していた人の一人だった。泣いて笑い合って、そんな関係を築けていたはずなのにどうしてこうなてしまったのだろう。
暗くなる心にツバキは慌てて首を小さく振った。もう考える必要はないのだ、彼女はここにはいないのだから。
「ワタシはレオナルド様についていきますぅ〜」
「きみはその、よく考えたほうが……」
「ワタシには貴方しかいません!」
断言するレイチェルにレオナルドは何を言っても無駄なのだろうと判断して、「きみがいいなら」と諦めたように返す。
これはパーティーメンバーが一気に増えたなとツバキは、戦闘の時のチームワークのことを考えなくてはなと、やることが一つ増えた。
*
夜も更けて月がすっかりと昇りきっている空は星々で煌めいていた。ツバキは宿の裏にある井戸へとロウを連れて行く。宿に入る前に水で洗い流したのだが、足指の間にこびりついているのをツバキが見つけたのだ。
汚れを放っておくこともできず、皆が寝静まった頃にツバキはロウを連れ出した。井戸から水を汲み、ロウを座らせて前足を掴む。指の間の乾いた血を洗い流していく。
ロウは何も言わず、されるがままだ。もう片方の前足を洗っている時に人の気配を感じてツバキは振り返る。
「あら、イザーク」
「ツバキ、どうした」
鎧を脱いだイザークが立っていた。ツバキは「ロウの足を洗っているのよ」と言いながら前足を水で流す。
「まだ汚れてたから放っておくのはちょっとなって、血だから」
「そうか」
「心配させてしまったかしら?」
ツバキの問いにイザークが頷く。こっそりと出ていかれては何かあったのではないかと不安になる。そう言いたげに見つめてくる彼に、心配性だなとツバキは小さく笑う。
「大丈夫よ。私は勝手にいなくなったりしないもの」
「それは、そうかもしれないが」
「置き手紙ぐらいはするわ」
「それは心臓に悪いからやめてくれ」
イザークが眉を下げるのでその去り方は嫌なのだろう。ツバキは「冗談よ」と返す。家を出るときはそうしたけれど、今はそんなつもりはない。
ツバキはロウの後ろ足を洗いながら、「貴方、本当に騎士だったのね」と何となしに話す。イザークはそれに少しばかり間を置いてから、「元がつく」と返した。
「騎士団には戻りたくないのね」
「あぁ。もう戻りたくはない」
「貴方なら地位や名声も約束されているでしょうに」
「俺はそんなものに興味はない。それにあそこにいると竜人という種族を嫌というほど実感する」
竜人のその魔力と力に劣等と恐怖を抱く騎士たちの視線、贔屓されることで受ける嫉妬、力に引き寄せられる人の欲望。それらを嫌というほど味わって、何もかも投げ出したくなった。
希少種族がなんだ、力がなんだと。竜人という括りでなく自分を見てさえくれないその環境に嫌気がさした。だから、逃げるように騎士団を勝手に辞めて王都を出たのだ。
地位や名声などのためにあの場所に戻りたいとは思わない。そう言うイザークにツバキは「そう」と返してロウの足を洗い流すと立ち上がった。
「嫌なら戻る必要はないのよ。貴方は貴方として生きていけばいい」
嫌な環境に無理をして戻る必要はない。自身の生きやすいように、自由にするべきだ。その権利は誰にだってあるはずで、それは竜人であっても同じだ。
ツバキはイザークに近寄りながら「貴方は貴方でしょう」と笑いかける。
「ツバキ……」
「私だってもう戻らないと決めて、和国から隣国のイシュターヤまでやってきたのだもの。貴方だって自由に生きていいのよ」
「ツバキは何故、この地を訪れたんだ」
遠慮げに問うイザークにツバキは困ったように苦笑する。それに聞いてはいけなかったことだと察したのか、彼は「すまなかった」と謝った。
「言いたくないこともあるだろう、その……」
「気にしてないわ。そうね……信じていた人に裏切られて、もう会いたくもないからこの土地に来たのよ」
信じていた人に裏切られた、そう言うツバキの表情は悲しげで。
「ツバキ。何があったかは聞かない。けれど、俺はキミを裏切ったりはしない」
イザークは「約束しよう」とはっきりと告げた。それはツバキを安心させるためでもあり、己の覚悟を伝えるようだった。そんな言葉にツバキは目を瞬かせるも、ふっと目元を下げる。
「ありがとう、イザーク」
その優しい笑みにイザークは手を伸ばしそうになるのを堪える。ロウは黙ってその様子を眺めていた。
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