第4話 誰かを助けるのに理由はいらない
あれから熱に魘されつつも眠り続けた男は次の日の夕方に目を覚ました。ツバキがちょうど、ベッド脇に座って男の頭を撫でていた時だ。彼はその心地良さに目を細めていたが、すぐに意識をはっきりとさせて起き上がった。
それにびっくりしたツバキが手を引っ込めるも、すぐに眉を寄せて彼の肩を掴んで寝させようと押す。
「起きない」
「いや、待ってくれ、意識ははっきりしている」
「していても寝てなさい」
べしりと額を叩かれて男は寝かされてしまった。ツバキは「全く」と小さく溜息を吐いて窓を見る。日が沈み、茜色に染まる空を見てそろそろ栄養剤を摂取させる時間だなと立ち上がった。
テーブルに置かれた栄養剤をコップに入った水に溶かす。それを持ってツバキはベッドに戻るとそれを男に渡した。
「栄養剤。ちゃんと飲みなさい」
言われるままに男は少し身体を起こしてコップを受け取ると口に含んだ。後味の悪いその液体に顔を顰める。
「まずい」
「全部、飲みなさいね」
「…………」
「何、また飲ませてほしいの」
ツバキがそう言ってコップを取ろうとして、思い出したのか男は慌てて飲み干した。その様子に「ちゃんと飲めるじゃない」とツバキは呟く。
「キミ、その色々と聞きたいのだが……」
「まず、名前を名乗ってほしいのだけど?」
まずは名前でしょうとツバキに指摘されて、男は「イザークだ」と名乗った。それに「私はツバキよ」と返すと、彼は聞き慣れないといったふうに首を傾げる。
イシュターヤでは和国特有の名前は珍しいのかもしれないなと、ツバキは自身が隣国のヒノハナ出身であることを話した。それを聞いて、イザークは「和国か」と納得したように呟く。
「貴方、無茶な旅をしていたのでしょう」
「それは……」
「お医者様が言っていたわよ。どんな旅をしていたなんて聞かないけれど、自分の身体は大切にしなさい」
無茶をしてそれで死んでは元も子もない。死にたいのならば止めるつもりはないけれど、助けた以上は生きてほしいものだ。ツバキはそう言ってイザークからコップを受け取るとテーブルの上に置いた。
「どうして怪我して倒れていたのか、それは聞いてもいいかしら?」
「長旅だったんだ」
カラムーナの隣の町というのはかなり離れていた。近いとは言い難く、馬車に頼らずに歩いて行くとなればかなりの日数がかかる。そんな場所から一人、歩いてきたのだという。
まともな食事もしていないというのに、近道をしようと森を抜けようとした。魔物に襲われても倒していき、それを何日もやっていた。睡眠もしっかり取れておらず、そんな調子であったために大型の魔物の攻撃受けてしまったらしい。
傷の手当てなどそこそこに森を歩いていたところ、身体が耐えきれなくなって意識を失った。イザークの話を聞いてツバキは倒れるのも当然だろうと思った。
そんな無茶をしてきたのだから身体が悲鳴を上げるのは当然だ。むしろ、よくそこまで耐えれたものだと感心してしまう。医者の言う通り、無茶な旅をしていたのだ、彼は。
「倒れて当然でしょう。貴方、自分の回復力を過信しすぎよ」
「それはそうかもしれないが……。俺からも質問していいだろうか?」
「何かしら?」
「どうして助けたのか聞いてもいいだろうか」
「そこに貴方が倒れていたから」
ツバキの返答にイザークは意味がよく分からないといったふうに首を傾げる。それを見てツバキは小さく息を吐いた。
「誰かを助けるのに理由がいるの?」
目の前で誰かが倒れていた、困っていた。それを助けるのに、手を差し伸べるのに理由はいるのか。ツバキの言葉にイザークは納得していない様子だ。
「相手がどういった存在か分からないというのにか」
「そうね、それでも助けるわ」
「なぜ?」
「何度も言うけれど、人を助けるのに理由はいらないわ。私が助けたいと思ったから助けたの。それが悪人だろうと善人だろう関係はないのよ」
悪人であろうと善人であろうとそんなものは関係ない。結果的に自分に何かしらの被害があったとしてもそれは自業自得なだけだ。なんでもないように言うツバキにイザークは「身を滅ぼしかねい」と言う。
その優しさは時として身を滅ぼしかねない。怪我だけでは済まず、下手をすれば死ぬかもしれない行為だ。イザークの言葉にツバキはそうだろうなと頷いた。けれど、そう忠告されても止めることはしないだろうとも思った。
「貴方、優しいのね」
「どうしてそうなる」
「だって、私にそうやって忠告してくれるじゃない。心配してくれているということでしょう? なら、貴方は優しいわ」
少しでも優しい心を持っているからそういった言葉が出るのだ。ツバキに「今だって何もしてこないじゃない」と言われて、イザークは眉を下げる。
今、この時ならばツバキには隙がある。いつでも殺せるだろうし、襲うこともできるだろう。まだ全快とは言えないけれど、動こうと思えば動けるはずだ。ツバキにはそれがわかっていた。わかっていたからそこ、イザークと話をしていた。
それに気づいたのか、イザークは小さく溜息を吐いた。
「キミのその図太さには負けるな」
「それはどうも。さっさと怪我を治すことね」
そう返してツバキはベッド脇へと腰を下ろす。イザークが何もしないであろうとこを分かっているように。それにまた彼が渋い顔をしたのだが、ツバキは微笑むだけだ。
「貴方、食欲は?」
「……まだ、ない」
「そう。体力はだいぶ戻ったようね、熱もなさそうだし」
ツバキが顔を近づけるとイザークはばっと身を引く。その勢いにツバキは目を瞬かせた。
「その、熱の測り方はなんだ」
「あら、おかしいかしら?」
額と額をくっつけるのとツバキは小首を傾げる。イザークが「こちらではあまりしない」と言ったので、イシュターヤの国では珍しいのかもしれない。ツバキは「驚かせちゃってごめんなさいね」と謝ってから、彼の額に手を当てる。
体温が少しだけ高いものの、熱は出ていないようだった。これなら解熱剤は飲まなくてもいいなと、ツバキは次にイザークの腹部に触れた。
「痛みは?」
「……多少、疼くぐらいだ」
「鎮痛剤はいるかしら?」
「これぐらいなら、問題ない」
「貴方の問題ないってなんとなく無理してる気がするのよねぇ……」
なんとなくではあるが、痛みなど我慢して平気だと言ってのけるようなタイプに見えた。ツバキは一応、飲ませておこうと立ち上がってテーブルに置いてある鎮痛剤に手を伸ばした。
「ツバキ、戻った」
部屋のドアが開いてぬっと狼よりも少し大きいサイズになったロウが、旅行鞄らしいものを咥えて入ってきた。
ロウの姿に驚いたのかイザークが目を丸くしている。そんな彼をよそにツバキは「おかえり」と言って旅行鞄を受け取った。
「白狼……いや、違うな……」
「なんだ、起きていたのか」
「人語を理解しているということは、聖獣か」
「そうだな、ワシのような存在を人は聖獣と呼ぶ」
ロウはふるふると身体を振ってからツバキの隣に座った。イザークは何故、聖獣がといったふうに見つめてくる。ツバキは「一緒にここまできたのよ」とそれだけ話した。
「ワシがツバキの信仰心に救われた、だから力を貸している。それだけよ」
ロウの言葉にイザークは納得はいっていない様子ではあったけれど、それ以上は聞いてくることはなかった。
ツバキは旅行鞄をイザークの前まで持ってくると、「これ、貴方ので間違いない?」と問う。
「ロウが貴方の匂いを辿って見つけたのだけれど」
無茶な旅をしていたということは荷物も何処かにあるだろうとツバキは考えて、鼻のきくロウに探してもらっていたのだ。
イザークは旅行鞄を見て「俺のだ」と頷く。
「それなら荷物の確認は明日にでもやりましょう。今日はゆっくり身体を休めなさい」
「もう、大丈夫なのだが……」
「まだ二日しか経っていないのだけれど? 竜人だからって無茶しないの。大人しく寝ていなさい」
ツバキはイザークを無理やりベッドに寝かせる。何か言いたげに見つめてくる彼の頭を優しく撫でる。
「ゆっくり、休みなさい」
ふっと微笑むその表情にイザークは目を奪われてしまった。優しく、温かく包むようなその笑みが心を満たしていくような、その笑みに暫くツバキを見つめていた。
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