第2話 倒れる騎士と出会う



 鬱蒼と生い茂る木々を駆け抜ける白い影、それは風のように枝葉を揺らす。ふっと視界が晴れて目の前が明け、広い草原へと出た。そのままスピードを落とさずに走れば町の門が見えてくる。


 それを見た白狼のロウはゆっくりと足を止めて身体を屈めた。その背に乗っていたツバキは切り揃えられた濡羽色の髪を揺らしながら降りる。


 和の国ヒノハナの都市サクラオウを出て数日、ツバキはイシュターヤの地を踏んでいた。


 赤い肌着に真っ白な巫女の着物が日の光に反射して煌めく。少し短い裾を叩いてからツバキはロウの身体を撫でた。



「ロウ、小さくなって……」



 ツバキに指示されてロウは身体を淡く光らせる。すると、彼の身体が縮んでいった。狼の大きさほどにまで縮めると「これでいいだろう」と顔を上げる。


 ロウは子犬ほどの大きさから人の倍の大きさまでならば自由に変えることができるのだ。大きさを自由自在にできるというのは便利だ。狼ぐらいの大きさならば少し目立つかもしれないが、本来の大きな姿の時よりは怖がられずにすむ。


 ツバキは狼サイズのロウを見て「ありがとう」と、彼の頭を撫でると町の門をくぐった。


 カラムーナは町の中では大きく、人々で賑やかだった。周囲を見渡せば煉瓦の家々が並び、市場は活気付いている。サクラオウのように華やかとまではいかないけれど、荒れてはおらず住みやすそうな土地だった。


 その中心地、町の広場にギルドはある。一際、大きく立派な煉瓦の建物の看板には【ギルド:シュティーア】と記されていた。ここで間違いないようだとツバキはその大きな扉を押す。


 扉のすぐ側に受付があった。室内の奥にはテーブルが並べられており、ギルドに所属いているだろうメンバーたちが集まって食事をしているのが見える。掲示板のようなものもあり、そこにはびっしりと紙が貼り付けられていた。



「おや、見ない顔だね」



 そう声をかけてきたのは受付にいた老年の男だった。焦げた茶毛の短い髪を掻きながら「加入希望かね?」と問う。ツバキは受付まで近寄ると「できるかしら」と返す。


 受付の男は「うちはいつでも歓迎だよ」と言って紙を取り出した。名前と年齢、出身国を聞かれたのでそれに答えると、男はすらすらと紙に書いていく。



「えーっと、じゃあ今からいくつか質問するから答えてくれ。まずは得意な属性魔法を教えてくれるかい?」



 これは重要なことなんだと男は説明する。使える属性の魔法をギルド側で把握していると、個別に依頼を出しやすくなるし、相手の力量を測ることができるのだと。



「私は水属性と光属性を扱えます」

「二属性使いか! 素晴らしいな、それは!」



 一般的な人間というのは一属性しか扱うことができない。けれど、一部の才能ある人間は二属性扱うことができるとされている。ツバキはその一部に含まれる人間で、魔法の才だけはあった。



「身分を証明できるものはあるかい?」

「……ありません」

「まぁ、そういう人間もいるから問題ないよ」

「その、本当に大丈夫なのですか?」



 ツバキの問いに受付の男は「身分の良いやつばかりじゃ人は集まらないよ」と返される。


 ギルドで身分を気にするのは一部の人間だけだ。常時多種多様な依頼が舞い込むギルドでは人手は多いことに越したことはない。悪党じゃなければ猫の手も借りたい状態だ。


 ならば、やる気のある人間を多種族を雇う方が良いのだという。ギルドは慈善活動ではないので身分を気にすることはないと。


 ツバキが納得したように頷くと、受付の男は質問を続ける。それに淡々と答えていくと「あとは力量を測るだけだ」と言って、男は受付の奥へ声をかけた。


 少しして一人の男がやってくる。渋面の年老けた灰髪の男はツバキを見た。その鋭い瞳に思わずびくりと肩を跳ねさせる。



「彼はこのギルドの管理人、ヴァンジールだ。ヴァンジール、彼女の力量を測ってくれ」


「……測る前に一つ聞いていいだろうか」



 ヴァンジールにそう聞かれてツバキは頷く。すると、彼は側にいたロウを指さした。



「君はどうして聖獣と共にいるのだ」



 聖獣。その言葉にテーブル席についていたメンバーたちが一斉に見る。ツバキはどうしてと言ったふうにヴァンジールを見つめた。彼は「わかる人間にはわかる」と言った。



「その白狼から放たれる魔力は異常だ。すぐにただの魔物でないことはわかる」


「その、彼は……」

「ワシはただツバキの保護者として付いているだけだ」



 言葉に迷うツバキを助けるようにロウが言った。言葉を発したことに周囲はざわつくも、ヴァンジールは驚く様子は見せず、ふむと顎に手を当てる。



「訳を聞いても?」

「何、単純な話よ。この娘の信仰心によってワシは救われた、それだけだ」



 ロウの説明にヴァンジールは眉を寄せるも、それ以上は話さないといったロウの雰囲気を察してか、「まぁ、いいだろう」と深く聞くことはしなかった。


 ツバキの方を見て、「手を出してくれ」とヴァンジールは言う。大人しく出したら、彼は新緑のコートのポケットから掌ほどの大きさの水晶を取り出して手の上に置いた。


 なんだろうかとその水晶を眺めていると、透明だった表面がだんだんと赤く染まっていく。驚いて顔を上げれば、ヴァンジールは「余裕で合格だな」と言った。



「赤色は二属性使い特有の色だ。ギルドに所属するには問題ない」

「それで合格と」

「そうだ。君と聖獣をギルドのメンバーと受け入れよう」



 案外、すんなりと決まって拍子抜けするツバキだったが、「これからが大変だぞ」とヴァンジールが言う。ギルドのメンバーとして依頼を受けるのだからと。


 簡単な依頼から危険な依頼まで様々なものが毎日のように入ってくる。依頼によっては命を落としかねないのだ。「身を引き締めるように」と言われて、ツバキは背筋を正した。



「君は住む場所がないだろう」

「そ、そうですね……」

「ギルドが運営している宿舎がある。ギルドメンバーならば貸出可能だ、自由に使いなさい」



 そう言ってヴァンジールは白い宝石がついたバッジを取り出す。それをツバキに差し出して、「ギルドメンバーの証であり、ランク証明だ」と教えてくれた。


 ギルドではランクが存在する。下から順にヴァイス(白色)・グリューン(緑色)・ブラウ(青色)・ロート(赤色)・ズィルバー(銀色)・ゴルト(金色)からなる。


 それぞれの色からなる宝石がついたバッジを身につけるようになっていた。ツバキは加入したばかりということで、初心者ランクであるヴァイスを意味する白い宝石がつけられたバッチだった。



「身分証でもあるから身につけていてくれ。聖獣にもこちらを」

「わかりました」



 ツバキは胸元にバッチをつけると、ロウのふわふわの毛にバッジを固定する。一度、つけるとそう簡単には外れない魔法がつけられているらしい。なので、激しい戦闘にも耐えられるとヴァンジールは説明してくれた。



「宿舎はこの建物の裏だ。今日から依頼を受けられるから掲示板から自由に選びなさい。ただし、君はヴァイスランクだ。白色の印がついたものしか選べないからね」


「わかりました。ありがとうございます」



 頭を下げてお礼を言うとツバキは荷物を置くために宿舎へ向かうことにした。その背を見送った受付の男が「聖獣使いとは珍しい」と紙に追加で書いていく。



「優秀な人材じゃあないか、良かったなヴァンジール」

「そうだな。ただ、彼女に男難の相が出ていたのだが……」

「お前さんの占いか。じゃあ、大変だなあの子」



 ヴァンジールの占いはよく当たる。受付の男はツバキの運勢に同情しながら、書き上げた書類を仕舞いに受付の奥へと引っ込んだ。


          ***


 無事に宿舎の手配ができたツバキは一息ついた後にすぐにギルドへと戻り、一つ依頼を受けた。本来ならば休むべきなのだろうけれど、ツバキは物は試しにと簡単な依頼を受けることにしたのだ。


 カラムーナの近くにある森に群生しているとされる薬草の採取の依頼だ。これならばすぐにすむだろうとツバキは思った。その考えの通りに森へ入ってすぐの所で薬草が群生しているのを見つける。


 これは簡単に終わるなと薬草を採取していると、おとなしくしていたロウが鼻をひくつかせて立ち上がった。



「どうしたの?」

「血の匂いがする」

「血?」



 魔物か獣かとツバキが問うと、「そのどちらでもない」と答えた。人間のような、そうでないようなと何とも判断がつき難い匂いのようだ。ツバキは立ち上がり、ロウに「案内してくれる?」と頼んだ。



「いいのか?」

「何かあったのなら、ギルドに報告しないといけないと思うの」



 異常を発見したらギルドに報告することになっている。ツバキの言葉にそうかとロウは頷くと匂いを嗅ぎながら歩き出した。


 少し森の奥に入ったところだった。何かが倒れているのをツバキは視認した。


 近づけばそれは黒い鎧に身を包む騎士のような男だった。兜はつけておらず、顔がさらけ出されている。壮年よりは少し若い端正な顔立ちをした男の頬は、返り血を浴びたように赤く染まっていた。


 土に汚れた肩にかかる長いワインレッドの髪の様子に何日も旅歩いたように見える。鎧に傷はあれど頑丈そうで壊れた様子はない。ただ、鎧の隙間から何かの攻撃を受けたようで血が滲み出ていた。


 ツバキは人が倒れていると慌てて駆け寄って身体を揺する。



「大丈夫、生きてますか?」



 声をかけて揺すると小さく呻く声がした。まだ生きている、ツバキはロウに「背に乗せれる?」と聞く。ロウは「問題ない」と言って人よりも少し大きく身体を成長させた。


 ツバキは鎧の男を起き上がらせるも、体格差によってそれ以上は持ち上げられない。それを見たロウが男の鎧を咥えるとポンっと自分の背に投げて乗せる。



「えっと、宿舎まで行きましょう。そこからお医者様を呼んでもらうわ」



 そう言って、ツバキは男の側に落ちていた太刀のような剣を拾い上げた。



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