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 翌日の夕方、玄関チャイムが鳴った。先程まで描いていた絵を急いで片づける。ドアスコープから外を覗くと、昨日の彼女が、カップラーメンを持ってそこに立っていた。

「本当に来たんですね、不思議さん」

「あなたが頼んだ事ですよね」

「そうでしたね」

 相変わらず、下手な会話だ。彼女も普段、あまり喋らない人間なのかもしれない。

 玄関で靴を脱ぎ、キッチンまで行く。カップラーメンを持参してくるとは、根は意外と真面目なのかもしれない。

「ところで、その『不思議さん』って何ですか?」

「名前も知らない、何をやっているのかも教えてくれない、極めつけは、こんな怪しさ満載の男の頼み事を承諾する。不思議な人なので、『不思議さん』です。呼び名が無いのは不便ですし」

「あなたも大概ですよ。いきなり、そのような頼み事をするあたりが。そうですね……、ならば、あなたは『奇人さん』ですね」

「一体、どのあたりが『奇人』なんですか……」

「しかし、『不思議さん』は気に入りました」

「人の話、聞いてないんですね……」

 そう言いながら俺は、どうぞ、と彼女に箸を渡す。不思議さんは、どうも、と受け取る。昨日はあんなに静かな様子だったが、今日は、多少元気を取り戻したのか、何か話せば、何か返ってくる。そして内容はともかく、会話が比較的しっかりと進んでいる、ように思う。昨日と比べて……だが。

 ヤカンに水を入れ、コンロで火にかける。一週間に七個食べていく予定で買ったので、朝から何も食べていない。幸い水道は使えるので、水で腹を膨れさせ、何とか耐えている。二人そろって同じカップラーメンを机の上に置く。

 「そういえば、なぜそのカップラーメンを大量に買ったんですか?」

「なぜ、これを大量に買ったことを?」

 ――知っているのか? と言いたいのだろうか。

「あなたが倒れていた日の午前に、僕もスーパーでそれを買ったんですよ。その時にあなたを見たんです」

「なるほど。詳しい原因は言えませんが、最近、財布の中がかなり寂しい事になっていましてですね。ちょうど安く売られていたので、いい機会だと思って買ったんですよ」

「そうだったんですね」

 一体、目の前の彼女は、食費を切り詰めるまでして何をしているのだろう。

 ところで、さっきから、彼女は部屋の中を落ち着きなく見まわしている。まるで、何かを探しているかのように。俺は一つ思い当たり、口を開く。

「昨日の絵ならもう、しまいましたからね」

 図星だったのか、不思議さんの目が泳ぐ。やはり探していたか。チャイムが鳴った後に急いで片づけてよかった。不思議さんは「少しぐらい見せてくれてもいいじゃないですか」とぼやく。その時、タイミングよくヤカンが鳴ったので、俺は逃げるように席を立ち、ヤカンのもとへ急いだ。

 容器に熱湯を注ぐ。湯気がたちこめる。フタの縁を折り曲げてフタを固定し、しばらく待つ。話題を完全に失い、互いに自身のカップラーメンを眺める。今日も腕時計の秒針は、呆れたようにコチコチと動き続ける。気温が下がり続けている最近の天気のせいか、フタの隙間から昇る湯気がいつもより濃く見える。 これから、もっと寒くなっていくのだろう。もちろん、こんな食生活をしているのだから暖房なんて使えない。まあ、窓なんてあまり開けないから関係ないけど。腕時計の秒針が三周したところで、容器のフタを剥がす。彼女も俺に続いて剥がす。空腹時の食べ物は、たとえ美味しいとは言えないようなものでも、なぜか美味しく感じてしまう。さらに誰かとの食事となればさらに美味しく感じるものだ。

 空になった容器をゴミ箱に捨て、箸はシンクに入れる。スポンジを取って、箸を洗おうとした時、背中から声を掛けられた。空になった容器と箸を持った不思議さんが立っていた。

「私が洗っておきます。お湯を沸かすときのガスも、水もあなたがお金を払っているのでしょう?これぐらいはしないと申し訳ないです」

「いや、いいですよ。箸、ここに入れて下さ」

「どいてください、洗っておきます」

 強引に割り込んでくる。為す術なく、泡のついた手のままでシンクの占有権を彼女に奪われる。やはり、根は真面目なのだろうか。借りは返していくスタイルのようだ。言ってしまえば、こうして、食事に来てくれるように頼んだのは俺のほうで、来てくれただけで十分借りは返したことになると思うのだが……。

 だが、ここはお言葉に甘えてしまおうと思った。たったの箸二膳なので、数十秒あれば洗い終えてしまう。シンクにタオルなど無いので、不思議さんは手を振って水滴を払い飛ばした。俺も手についたままの泡を洗い流した。

「では」

 不思議さんはそう言って、玄関まで進み靴を履く。

「また、明日」

 それだけ言って玄関のドアを開ける。

「うん。また、明日」

 俺はそう返して、閉まるドアを眺めた。

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