大日本帝国陸軍 歩兵装備 歴史解説含む
兵器(現行)
四式9.7㎜小銃(四式歩兵銃)
仕様
口径 9.7ミリ
銃身長 897ミリ
全長 1,376ミリ
装弾数 10発
作動方式 ボルトアクション方式
重量 4,5キログラム
有効射程 2,100メートル
概説
・新規格である9.7ミリ対妖魔用の大型弾薬を使用するボルトアクションライフル。
・主に対オーク兵用に開発された9.7㎜ヘルマーチ弾専用銃。
・重くて長いことから、銃剣突撃などには適していないことは軍も認めており、その運用は、塹壕で二脚を使用した上で、距離3~400メートル前後で発砲する阻止戦闘とする。なお、その際には、歩兵部隊に随伴して配備される12.7ミリ重機関銃による阻止射撃の撃ち漏らしを、少数の発射で確実に仕留めることが求められる。
・……とまぁ、こんな感じでの運用が最初から想定されて設計された銃。
・前に出て使う銃じゃなくて、待ち構えて使う銃であることに注意して欲しい。
・時代遅れのボルトアクションライフルが採用されたのは、この銃を前に出て使えるようにする、つまり、フルオートやセミオート化すると、重機関銃並みに大きく重くなって歩兵が一人で持てなくなるから。
・四式銃槍(全長512ミリ・刀身40センチ)を装着すれば170センチを超えるため、塹壕ではかなり扱いづらい。
・この位バレルを長くしないと、立って撃った際、ヘルマーチ弾の激しい反動を、十分に反動を殺せないという事情がある。
・大口径弾薬を発射する際の反動軽減のために長銃身の上に大型で長いマズルブレーキを備え付けた上に、自動小銃で培った発砲時の排ガスのコントロール技術など、開発当時の最新技術が多数採用されてやっと人が撃てるようになったとさえ言われる。
・それでもリコイルはそれなりにあるが、慣れれば普通の女子高生でも平気で撃てる。
・量産性を重視し、固定式の10発装填式マガジン部のパーツを含めても、部品数も8点と少ない作りとなっていることと、部品の組み付けに余裕を持たせているため、新兵でも簡単に整備が出来、かつ、トラブル発生率を低く抑えることに成功している。
・英国軍のリー・エンフィールドと同じボルト作動方式が採用されたため、兵士によっては自動小銃のセミオート並みに発射出来る。
・外見はアンティークで新しさはどこにもない。
・オーク兵を、2、3発(ヘッドショットでほぼ1発)で仕留められる。
・弾薬クリップを用いて一度に10発を装填出来る。
・銃床は合成樹脂製。
・二脚が標準装備されている。
・機関部と銃身は、耐久力のみを求めて設計されているため、頑丈の二文字でしか語ることは出来ないシロモノ。
・遠距離射撃戦での精度を求めた兵士達が勝手にスコープを自腹で購入し、好き勝手に取り付けた。スコープマウントは、東京○イ製が玩具屋で買える。
拳銃
M96大型拳銃
・ぶっちゃけモーゼルC96。
・50口径マグナム弾を使用するために開発された。
・日本人の小さな手と短い指では9ミリ弾を使用する自動拳銃でさえ本当は扱いづらい。
・そこで、モーゼルC96のようにマガジンとグリップを別にする方法が採用された。
・シングルアクション。
・給弾はマガジン式で10発と20発が選択可能。
・安全のため速射は出来ない。
セミオートガン
M20 エイプリル
・外見はサブマシンガンだが連射機能はない。
・米軍が開発したものなので、詳細は米軍の同項参照のこと。
・弾丸はM96と共用の50口径マグナム弾。
・交戦距離が10メートル前後と近距離になりがちだった市街戦や山岳戦で小型妖魔相手に多用された。
・兵士達の中には連射機能を望む声も多かったが、命中精度ゼロ。無駄弾を浪費するだけとして最後まで実用化されなかった。
・ぶっちゃけ、50口径マグナム弾を採用した“ウェアウルフ”(M4で50口径が撃てるトンデモ系)という銃があるが、きちんとした外人でさえコントロール出来ないこんな代物だから、当然ながら軍用には採用連射は採用されなかった。
散弾銃
ミ式散弾銃
・ミロク製上下二連式散弾銃「M2000」をベースにしたモデルだが、金属部への装飾はなにもない。
・世界的にも珍しい上下二連式で、銃身内部には半分だけライフリングが施されている。
・口径は12ゲージ。
・ライフルドスラグ専用に設計されている。
・至近距離でなら相応の殺傷力が望めることと、整備が小銃に比べて簡単なことなどから、本土防衛戦において、小銃の不足を補うために採用され、主に短期の訓練しか受けることが出来なかった動員兵や、体格の小さい(丙種)兵士に貸与された。
・製造期間もコストも徹底的に簡易化されたため、ストックは木材チップを混ぜた合成樹脂。衝撃や湿度に負けて割れることも多かった。
グレネードランチャー
四一式擲弾銃
・単発式のグレネードランチャー。
・中折れ方式を採用して、擲弾を銃身後部から装填する方法がとられた。
・四一式重擲弾筒の専用弾を発射可能。地形的に重擲弾筒が使用出来ない(地面に固定すると発射角度がとれない)ジャングルなどで歩兵の至近距離からの支援を想定して採用された。
・単発式で自動排莢装置がないことから、射手は熱した薬莢を手動で排出する必要があった。一応、豚皮の手袋が支給されたが、指が使いづらい欠点が有り、このため、射手は軍手を二重にして代用するなどの独自に工夫をした。
・軽く軽量であることと、撃ち方を基本的に選ばない利点から、ジャングルでは擲弾筒に変わる存在として活躍したが、北米戦線では単発式故に迫撃砲のような制圧射撃が出来ないため、市街地戦以外ではほとんど活躍することが出来なかった。
・このタイプ以降、グレネードランチャーは小銃の下に取り付けるタイプが主流となり、アメリカが開発したM203が陸軍でも使用されることになる。
・ただし、四式が採用されることで重擲弾筒と共に再び見直され、前線に復帰した。
軍装(現行装備)
・帝国陸軍将兵の軍装は、平時に着用する「勤務服」と戦闘時に用いる「戦闘服」に分けられる。
勤務服
・「勤務服」は1930年(昭和5年)式と同様の詰め襟。
・将校はテーラーメードで個人で仕立てるのがステイタス。
・戦闘服という別服が用意されたのは、この勤務服が汚れるのを軍人達が嫌い始めたからともっぱらの噂。
戦闘服
・単なるオリーブドラブ色一色で、ベトナム戦争当時のアメリカ軍を連想すればいい。
・迷彩服は装備がない。
・現行品は「95式戦闘服」と呼ばれるノーアイロンでシワに強い素材が使われている。
・陸軍伝統のカミソリプレスが長く維持出来る利点がある。
迷彩服が普及しない理由
・この世界ではどの軍隊でも迷彩服はほとんど採用されていない。
・赤色戦争で人間相手の迷彩の有効性は確認されたものの、魔族軍や妖魔に迷彩色が有効であるなんて誰も考えなかったことや、下手に迷彩を採用した場合の友軍誤射をさけたかったこと、迷彩にした場合の製造コストの高騰を軍が嫌ったなど様々指摘されているが、この世界の美意識からしたら、迷彩服は実用性はともかく「格好悪い」と思われている。
階級章
・勤務服と戦闘服では着用する階級章が異なる。
・伝統の赤い階級章は、赤色戦争当時、すでに戦場ではあまりに目立ちすぎるという指摘が海外からまで寄せられた(スナイパーから的扱いされた)ことから勤務服に限定。
・実戦的な対処として、戦闘服用の階級章の導入が決定した。
・最初は階級章を戦闘服の参考とした米軍陸軍からそのまま採用すればどうかという意見も出たが、提唱者が会議室から生きて出てこなかったこともあって廃案となって独自の階級章を作成した。
・変更当時はあまりの変化に誰が誰だかわからず、将校と兵を間違えたなんて逸話は山ほどある。
ヘルメット・鉄兜
・赤色戦争当時は1938年に採用された九八式鉄帽が主に使用されていた。
・同鉄帽は、クロムモリブデン鋼を用いているため、それまで使用されていた九〇式鉄帽の小銃弾に対する防弾能力の低さを克服し、300メートルからの小銃弾に耐えられるように設計されていた。
・戦後は、各国がフリッツヘルメット型を普及す中、何故か日本軍はヘルメットだけはロシアを参考にして、独特なデザインを取り入れたものを1960年代から使い始めている。
・これが現行の67式ヘルメットで、外見は東ドイツ軍のBII型野戦用ヘルメットと同じ。
・特殊繊維がヘルメットに世界的に多用される中、67式はガンコに鉄製のおかげで頑丈だけど重い。
軍装(赤色戦争当時)
基本
・38年(昭和13年)制式モデル以来、日本陸軍はずっと士官以上は立折襟、下士官兵の軍衣夏衣は平折襟に近い開襟兼用立折襟が基本。
ゲートル
・ただ、ゲートルは装着に時間がかかることなどが指摘され、兵用に編上げ式の半長靴が採用されたことで、赤色戦争開戦前に既に廃止されている。
長靴
・下士官以上には長年、長靴を履くことがステイタスであるという将校文化があり、赤色戦争初期までは長靴が戦場でも多く見かけられたが、彼等にとっては常識である長靴=将校を日本軍にも当てはめた米軍の狙撃兵達がこぞって下士官を狙撃の対象としたことから、狙撃兵避けに彼等も次第に半長靴を履くことが一般的となり、それが長じて次第に長靴は儀礼以外では着用されなくなった(長靴に用いる上質な皮の確保が難しくなったせいもある)
ポンチョと迷彩服
・また、この世界独特な配備品として迷彩ポンチョがある。
・ポンチョは兵用雨衣として試験採用された後に、カーキ色のものが採用されていた。
・一方、東京の某軍装屋がドイツ軍の迷彩ポンチョに触発されて、色を日本向けに変更したものを民間狩猟用に生産・販売した。
・ポンチョの不足を補うために陸軍がこれを購入して配布した所、その迷彩効果から前線では好評で、雨もないのに迷彩欲しさにポンチョを着用する兵士が出た。
・南方の暑さ故に、ポンチョを肌着の上から直接着用した(本当は禁止行為)が、迷彩服になれていない友軍兵士によって敵と間違われて射殺されるケースが続出し、軍は迷彩ポンチョを狙撃や偵察などの特別任務以外での着用禁止を通達した。
・意外なことだが、米軍から最も優れた迷彩装備とされたのはこのポンチョではなくて、日本伝統の簑と笠。現地で藁を手に入れた農家出身の兵士達が作り上げたこれら装備は、身につけた場合、アメリカ人からしたら本当にわからなかったらしい。「日本軍は一般兵までギリースーツを着用している」と報告された記録が多数残っている。
・日本軍に入ると、即席の迷彩服として、簑と笠の作り方は実際に習わされる(藁により赤外線からも逃れるオマケ効果有)
軍装(赤色戦争後から南米・アフリカ戦線まで)
・相当長く38式は日本軍の伝統装備として使われ続けていたが、1960年代末頃から伝統のカーキ色よりオリーブドラブ色の方が保護色として強いと主張される流れもあり、野戦において試験導入された米軍のM65フィールドジャケットの他、アメリカ軍の装備の方がが「使い勝手が良い」と兵達から評価されたこともあって、米軍と装備共通化が本格的に検討されることになった。
・伝統的なカーキ色は、元々は大陸へ侵出した場合に有効な色とされていたもので、南方や緑が多い環境ではむしろ目立つことは赤色戦争当時から主張され続けていたが、一部の軍重鎮から猛反発され、結局、彼等を納得させるためにも、妥協案として、米軍と共通である「戦闘服」と軍伝統の「勤務服」の区別が生まれることになった。
・米軍装備(ただし、ベトナム戦争当時)と共通項が多い戦闘装備を「戦闘服」と呼び、伝統の軍服を「勤務服」と考えればいい。
・普通の日本人が見る「兵隊さん」の格好は「勤務服」姿。
兵器(赤色戦争当時まで)
赤色戦争当時の銃を巡る世界情勢と自動小銃開発競争
三八式から九九式へ
・赤色戦争が始まる前々から、Kar-98のようなモーゼル製ライフルに打ち負けると言われ続けた三八式だったが、中華帝国軍がモーゼルの大量導入に踏み切ったこともあって、1935年に7ミリ口径の九九式小銃への更新を決定した。
・口径からくる破壊力は高かったものの、反動の強さや命中精度の低さから、運用の適切性については当時から疑問視されていた。
***半自動小銃導入に関して
・やっとのことで7ミリ口径の小銃を日本が配備させようとする中、世界では彼等にとって真の仮想敵国であるM1ガーランドのアメリカ。トカレフM1940やPPSh-41、本命のAK-47が量産段階に入ったロシアなど、世界の主要国家は、こぞって半自動・自動小銃の開発と配備を進めつつあり、はっきり、日本は武器の性能から見れば世界の流から取り残されつつあった。
・この時流に、日本はあまりに遅れているという指摘が世論からまで出された上に、試験的に購入、テストしたM1カービンの運用テストを命じられた兵士達からの同銃への評価が、導入されたばかりの九九式を遥かに凌ぐものであったこともあって、兵士達の中にも、九九式よりも速射性能に優れた半自動銃の開発を求める声が軍内部で高まるようになる。
・とはいえ、日本陸軍が大量の弾薬を消耗することが前提の半自動小銃の導入を行うためには、どうしても避けられない関門があった。
・それは、弾薬補給の問題。
・日本陸軍は、潜在的に弾薬種類の複雑化(後述参照)が顕著で、補給は常に混乱気味。
・このため、補給部門関係者を中心に、自動小銃なんて導入したら、弾薬の種類が跳ね上がって、補給が破綻するのでは?という自動小銃導入否定論゛根強く唱えられていた。
**弾薬の統一問題
・実は九九式導入の時点で、三八式を頂点に機関銃や拳銃弾など、ただでさえ煩雑な武器体系を抱える陸軍内部で新しい規格である九九式の運用するなら、有事の際には5割以上の確率で弾薬供給に混乱を来し、戦局に致命的な影響を与えかねないとする意見具申を、補給部門は再参入渡って発表しては上層部に握りつぶされていた。
・それを知りながら、陸軍指導部は、九九式小銃に続いて新型機関銃、さらに一〇〇式短機関銃の投入まで断行を目論んでいた。
・ならば、日本軍が当時使用していた弾薬の種類は、そんなに複雑なのかと言えば―――
●開戦半年前の歩兵及び将校向け弾薬の種類
+三八式実包(6.5㎜)→三八式歩兵銃、十一年式軽機関銃、九六式軽機関銃他
+九二式普通実包(7.7㎜)→九二式重機関銃
+九九式普通実包(7.7㎜)→九九式短小銃、九九式軽機関銃
+8x22mm南部弾(8㎜)→十四年式拳銃、一〇〇式機関短銃
+.7.56㎜拳銃実包(7.65㎜)→FN ブローニングM1910
+.45ACP弾→M1911A1
・これだけの種類の弾薬を運用していたのだから補給部門がパニくるのも当然。
・平時でもミスが多いことを放置したまま、徒に兵器の複雑化を進めれば補給が止まりかねないという補給部門責任者からの警告は当時の天皇にまで届いた。
・事を重く見た天皇をさすがに無視出来ない陸軍大臣は、進講の際、開戦前に弾薬規格の統一を天皇に約束してしまう。
・結果、陸軍は総力を挙げ、ある意味コペルニクス的な回答として新開発の7.62㎜弾を開発する方向に動いた。
・三八式を二線配備としてほとんど封印状態に追い込み、7.7mm実包を使用する機関銃は、コンバージョンキットを組み込むことでやや小型の7.62mm小銃弾を発砲可能に改造して対応するなど、軍隊内部で無謀と危険と冒険に満ちあふれた決断が行われ、瞬く間に陸軍の主力小銃弾は7.62ミリ弾となっていく。
・その結果どうなったかと言えば―――
●南方戦線中期の日本軍歩兵向け弾薬
+四式実包(7.62㎜)→四二式突撃自動小銃、九六式軽機関銃、九九式軽機関銃、四二式軽機関銃(全て改造済み)
+九九式普通実包(7.7㎜)→九九式短小銃、九九式狙撃銃
+.45ACP弾→M1911A1、M1トンプソン
●北米大陸上陸作戦時の日本軍歩兵向け弾薬
+四式実包(7.62㎜)→四二式突撃自動小銃、四二式軽機関銃(全て改造済み)
+九九式普通実包(7.7㎜)→九九式狙撃銃
+.45ACP弾→M1911A1、M1トンプソン
・北米に参加する頃にはここまで銃も弾薬も減らされていた。
・8㎜南部が消えたのは、破壊力のあるM1911が好まれたことと、トンプソンと共に銃本体と銃弾がアメリカ連邦から供与されたのが原因だろう。
・反面、M1ガーランドやカービンが供与されなかったのは、アメリカ側の生産ラインが日本向けに供給できるほどの余裕がなくなっていたからにすぎない。
・生産工場が24時間の強制収容所と化そうが、何人が過労死で死のうが、とにかく陸軍は伝統の三八式から4式への主力装備の全面交換を強行し、ついでに機関銃も四二式軽機関銃へと統一する無茶苦茶というより非常識によって「日本伝統の精神主義が物量を凌いだ」結果として、弾薬の融通問題はやっと解決したのである。
兵器(過去)
四二式突撃自動小銃
・帝国陸軍の制式自動小銃。
・九九式小銃の後継にあたる。
・外見はロシア帝国軍が同時期に開発を進めていた''&size(18){&color(#ff0000){AK-47}}''そっくり。
・この銃から菊の御紋の刻印が廃止された。
・後に帝国陸軍標準弾薬となる7.62x39mm弾が初めて採用された銃。
・ただ、この弾丸により、陸軍はサブマシンガンから機関銃までを一種類で補う一連の武器開発を行えたことだけは確か。
・伝えられている記録によると、42式は、機関銃のような連射性とサブマシンガンの取り回しのよさを持つため、敵に突撃する歩兵達が扱うのに相応しい存在と高く評価された。
・M-1ガーランドなどと比較しても、部品点数の違いやメンテナンス性については、圧倒的に42式に軍配が上がった記録がある。
・本銃が量産体制に入った時点で陸軍は三八式と九九式の配備を順次停止し、最前線配備部隊を最優先に歩兵主力装備を42式と命名された本銃へと統一する。
・これが完了したのは、彼等が想定していた北米大陸上陸の実に1ヶ月前のことである。
・南方戦線のジャングルで投入された本銃は、高湿度という銃にとっても過酷な環境で確実に動作してM1ガーランドやM1カービンで武装したアメリカ軍と互角以上に渡り合った。
・大口径故にフルオート時の命中率は落ちるが、元来、機関銃で命中精度を求める方がおかしい話で、そんな問題点もありながらも艱難酷暑をものともしない信頼性は世界的に見ても、AK-47とこの銃を頂点とする。
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雑学:小石川事件と謎の7.62㎜弾
・7.62x39mm弾は、弾芯は鉄製でその周りに鉛がかぶせられ、さらに銅めっきが施されている。
・弾芯と薬莢が鉄製なのは、単に高価な鉛やその他金属の使用を減らすための処置であり、現在も日本軍の基準弾薬であるが、問題はこの弾薬の規格を誰がどう定めたかだ。
・国家の軍隊が使用する弾薬を定めたはずの会議は、議事録がほとんど残っていないので誰が参加したかさえはっきりしない。
・それ故に、この弾薬の規格の出所がどこかは未だに謎。
・特にその疑惑を強くするのが、この銃とほぼ同時期に開発・配備されたロシア帝国製のAK-47と42式の類似性。
・弾薬規格や銃本体の構造の類似性は驚くべきもので、それ故に様々な憶測を生んでいる。
・世界的には42式はAK-47の派生型とさえ見なされている。
・AK-47の情報を日本が掴むと、開発者にスパイの嫌疑がかかり、弾薬の規格と共に開発の主導権を握った技師が逮捕されることになったが、彼は設計図を残して新宿駅で急行列車へ投身自殺したため全ては永遠に謎のままである。
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六四式7.62mm小銃
・帝国陸軍の制式自動小銃。
・42式の後継として和豊工業が開発した銃。
・「重すぎる」とか「故障が多すぎる」など試験段階で不評が続出。兵士達は、42式で十分と主張して、何故この銃が採用されたか本気で不思議がった挙げ句、「採用はメーカーからの賄賂の結果だ」という類の伝説まで産み出す。
・構造から来る移動中の部品欠落など、あり得ないような故障、その他トラブルが頻発したのは事実。
・南米戦線とアフリカ戦線では使用不能に陥った兵士が続出。銃故障が原因で戦死した兵士も多数。
・兵士達から「欠陥銃」どころか「味方殺し」とまでさげずまれ、挙げ句に兵士達はこの銃の使用を拒否。
・ある連隊では全兵士が42式突撃自動小銃を担いで前線に向かったとか、途中で64式を捨てたなどの笑えない話がある。
・実際、7つの師団でこの小銃の配備を「師団として」拒否した歴史がある。
・この銃の採用以降、和豊工業は軍部への接待や贈収賄疑惑で数度の査察を受けたり、銃器メーカーとしての地位は地に堕ちたと言える。
七八式5.56mm自動小銃
-三八式突撃自動小銃(AR-38A1)のこと。
-1978年(皇紀2638年)制式採用の近衛兵団の制式自動小銃。
-狩野重工製。
-六四式のあまりの不評を受け、次期制式自動小銃の配備までのつなぎとして帝国軍が採用を決めた。
-反動が少ない分、42式をしのぐ集弾性能は前線で兵士達から信頼を勝ち得たが、妖魔相手には口径が小さすぎることから配備が途中で中止された。
八九式7.62mm小銃
・六四式7.62mm小銃の後継。
・和豊工業が開発。
・六四式の改良といううたい文句で売り込まれた小銃。
・七八式と比較した場合、調達価格で2倍。
・前線での実戦試験でまたもや兵士達から愛想をつかされたことは周知の通り。
・実戦試験の際、和豊工業の銃を全く信じようとしない兵士達は、八九式を肩から提げ、背嚢に四二式をくくりつけて出撃。前線の悪環境により故障を繰り返すこの銃をさっさと捨ててしまい、ほとんど最初から四二式で戦っていたという(「行軍しただけで壊れた」とさえ言われる)
・和豊工業の銃メーカーとしての地位にトドメを差し、破産にまで追い込んだきっかけ。
機関銃
九九式軽機関銃
・1938年に九九式小銃と共に配備が開始された。7.7㎜実包を使用する。
・銃身内にクロムメッキが施され、他国の軽機関銃に比較し桁違いに高い耐久性を誇った。
・7.62㎜弾の配備に伴い、改造キットが配備されて口径を7.62㎜に変更する措置がとられた(同様の措置は現存する実銃にコンバージョンキットを取り付ける方法として現実世界でも行われている)
・ただ、11キロの重量と42式の普及ともあって北米大陸上陸までに生産は打ち切られた。
四二式軽機関銃
・7.62㎜弾を用いた重と軽を兼ねる機関銃を。というコンセプトで開発された、世界でもMG-34に次いで実用化された「汎用機関銃」とされる。
・実際の所、金のあるドイツと違い、供給する弾薬を全部統一したいという切実な願いから生み出された苦肉に近い存在。
・鹵獲(ろかく)したブローニングBAR と輸入したMG-42を参考にしたベルト給弾機構とロッキング・ボルト機構との組み合わせは日本では初めての試みであった。
・初投入は南方戦線で、いきなり銃身交換なしで数千発の射撃を強いられたが、故障を全く引き起こさなかったという。
・九九式と比較して機構が複雑化したことから一部兵士から批判も出たが、信頼性に関しては当時の世界水準からしても高く、改良を重ねて現在でも第一線で活躍している。
・ぶっちゃけFN-MAG。
擲弾発射系兵器
四一式重擲弾筒(よんいちしきじゅうてきだんとう)
・日本軍が1941年に配備を始めた小隊用軽迫撃砲みたいな兵器で、八九式重擲弾筒の改良型。
・口径50㎜。
・扱いが独特で、迫撃砲ともグレネードランチャーともつかない存在。
・発射筒と、支柱に取り付けられた台座から構成される作りになっている。
・台座を地面に当てて立て、目分量で角度を調整した後、支柱に沿った引き金を使って擲弾を発射する。この際、膝や足で地面にある台座を踏み、ずれないようにした。
・800gの専用榴弾を最大で650m飛ばすことが出来た。
・運用には熟練が求められるが、熟練兵が扱うと迫撃砲として恐るべき命中精度を誇り、アメリカ軍の機関銃部隊は、この兵器のおかげで射撃後に逃げ回ることを余儀なくされた(射撃位置に正確に撃ち込まれるため、一カ所で撃ち続けていると生き残れなかった)
・それまでの89式重擲弾筒など異なり、水平発射は不可能したり、台座の裏にわざとスパイクをつけることで膝撃ちが出来なくするなど、各所に事故を防止する工夫がなされた。
・南方戦線から北米大陸まで赤色戦争全域で活躍したが、迫撃砲の発展と共に姿を消した。
・四式の復活と共に簡易迫撃砲として復活した。
四一式擲弾銃
・単発式のグレネードランチャー。
・中折れ方式を採用して、擲弾を銃身後部から装填する方法がとられた。
・四一式重擲弾筒の専用弾を発射可能。地形的に重擲弾筒が使用出来ない(地面に固定すると発射角度がとれない)ジャングルなどで歩兵の至近距離からの支援を想定して採用された。
・単発式で自動排莢装置がないことから、射手は熱した薬莢を手動で排出する必要があった。一応、豚皮の手袋が支給されたが、指が使いづらい欠点が有り、このため、射手は軍手を二重にして代用するなどの独自に工夫をした。
・軽く軽量であることと、撃ち方を基本的に選ばない利点から、ジャングルでは擲弾筒に変わる存在として活躍したが、北米戦線では単発式故に迫撃砲のような制圧射撃が出来ないため、市街地戦以外ではほとんど活躍することが出来なかった。
・このタイプ以降、グレネードランチャーは小銃の下に取り付けるタイプが主流となり、アメリカが開発したM203が陸軍でも使用されることになる。
・ただし、四式が採用されることで重擲弾筒と共に再び見直され、前線に復帰した。
四一式対戦車擲弾発射器(ロタ砲)
・日本軍を悩ませたのは、アメリカ軍の戦車だけではなかった。
・歩兵部隊が使用する、当時開発されたばかりのM1バズーカだ。
・南方戦線では戦車部隊で歩兵を駆逐できると踏んだ戦況をたった数基のバズーカ砲にひっくり返されたなどという、苦い経験を幾度となく味わった日本陸軍は対策の研究と並行して、同様の兵器導入を目指す。理由は、歩兵に持たせたら戦車を量産するより安いから。
・ドイツが開発したパンツァーファウストとパンツァーシュレック、さらにアメリカ軍から鹵獲したM1バズーカなどを研究して開発されたのが41式ロタ砲(ロケットのロと対戦車弾のタを取ってロタ砲と呼ばれた)
・装薬によって砲身から射出すると共に後方にも装薬の燃焼で発生したガスを噴射することによって反動を相殺し、発射後に弾体の固体ロケットに点火して飛翔させるという、無反動砲の原理で大型弾頭を飛ばす仕組みが採用されてる。
・このことから、これのどこがロケットランチャーなんだという意見がよく出るが無視して良い。
・直径15cmの成形炸薬弾頭はパンツァーシュレックのまるごとコピーだが、弾薬は弾頭とロケットブースター、発射器から撃ち出すための装薬、安定翼で構成される。発射器は、単純に加工された鋼鉄の筒でしかない。
・射手は本体に固定装備されたアイアン・サイトを使って射撃する。
・有効射程は300m以内。
・バックブラストが激しいため、後方に立つことは厳禁とされている。
・また、この際の発砲煙の激しさから、発射位置がすぐに敵に知られることあり、射手は発射後すぐに移動するか、あらかじめ部隊と離れた位置から発射するように徹底教育された。
・投入と同時に貧弱な対戦車装備とわずかな戦車しかない日本軍相手に猛威を振るっていたM4戦車を一撃でスクラップにする大戦果を上げた。
・この破壊力からロシアまでが獲得を望んだという。この世界ではRPGシリーズはロタ砲をベースにロシアで開発されたことになっている。つーか、当時の貧弱な日本陸軍の戦車でアメリカに勝とうなんて方が間違い。こんなズルでもないと設定バランスがとれない。
・現在は改良が進んで88式ロタ砲(RT88)が主力とされている。
その他
九八式銃槍(きゅうはちしきじゅうそう)
概説
・全長512ミリ
・刀身40センチ
・日本軍伝統の三十年式銃剣の後継で、「銃槍」の名称が使われた始まり。
・陸軍では普通に「槍」と呼ばれる。
・じゅうそうの読みは銃創(銃弾による傷)に通じるので縁起が悪いと嫌われている。
・装着時は「着剣(ちゃっけん)」じゃなくて「着槍(ちゃくそう)」となる。
・間違っても人を刺しても何かを斬る道具じゃない。
三十年式銃剣と北白川宮智久親王
・明治40年(1907年)に制定された三十年式銃剣は、当時の日本人の平均身長の兵士が、三十年式歩兵銃に取り付けた銃剣で敵騎兵の腹部を十分に刺突できる長さをもつことを求められて設計された。
・現在では三十年式は―――
+儀仗、威圧が使用目的であるため、実用性には乏しい。
+鍛造処理などされていない模造刀並みの作りで、刀身には刃がない。
+刀剣として使うためには、戦闘直前に砥石で研ぐ必要がある。
+一切の防錆処理のされてない粗鋼であるためすぐに錆びる。
+刀剣型で刺突しにくい。
+細長いために屈曲、折損しやすい。
・といった諸々の欠点が指摘されている。
・これらが抜本的に改良されるきっかけになったのは、赤色戦争開戦初期のペリュリュー島攻防戦(1938年12月~1939年2月)。
・この戦いに陸軍士官で従軍した北白川宮智久親王(騎士・1921~1939)は、白兵戦において折れた軍刀の代わりに銃剣を振るった。親王の一撃は確実に米兵を突き刺したが、致命傷を与える前にその銃剣が途中で折れてしまい、とどめを刺し損なった親王は、その米兵に拳銃で射殺されてしまった(後にその米兵の傷が元で死亡)。
・戦場で回収された銃剣は調査の結果、製造段階での不良による金属疲労によって折れたことが判明した。
・親王の若すぎる死を悼んだ国民は、「陸軍の銃剣はナマクラ」だと強く批判し、陸軍と製造メーカーには連日抗議が殺到した。
***銃槍概念の誕生
・これを重く見た陸軍は汚名返上のために銃剣を改良を決定する。
・最初は戦場で多数鹵獲(ろかく)された米軍同様のナイフ型が提案されたが、剣の形に拘る軍下士官を中心に反対意見が多く、見送られた。
・しかし、兵器としての実用性を重視する考えから、実戦経験者の意見を強く取り入れる形で、陸軍は銃剣の抜本的改革を行う。
・まず、これを剣として使う方が間違っているとして、名称を「銃剣」から「銃槍」へと変更し、兵士達にあくまで突き刺すための道具であると再教育した。
・また、構造を変更して日本伝統の槍と同じ構造に変更し、刺突専用の武器に位置づけた(元々三十年式銃剣からして、突き刺す以外に使い道はないのだが……)
・素材はしっかりとしたステンレス製に変更され、折れたり曲がったりしないようにしっかりとした肉厚の刀身に変更されると同時に、一応の刃が入れられた。
・この刃はM9バヨネットのようなナイフ型銃剣と比較すると、あまりに切れ味がないといわれるが、これはわざとの話で、突刺した場合、対象の筋肉が傷口からの出血を抑えるために収縮する人体の性質を重んじた結果による。
・あまりに鋭い刃で突き刺すと、筋肉の収縮が強く、挟まれて対象から剣を抜くことが出来なくなるおそれがある反面、刃をわざと鈍くさせると、傷口周辺の筋肉の組織の破壊されるので収縮の力が弱まり、剣をを引き抜きやすくなることは実戦で銃剣を使用したことのある兵士達の間では常識であり、銃槍の開発においてはその教訓が反映されたにすぎない。
・実戦では42式に取り付けられたり、あるいは棒にくくりつけて単なる槍として用いるケースもあり、それまでの銃剣とは比較にならないほどの威力と耐久力を示してのけ、以降において陸軍兵士のステータスシンボルとして位置づけられることになる。
**八二式銃槍
・長く陸軍歩兵のステータスだった銃槍だが、自動小銃の進歩と普及に伴い、白兵戦そのものの発生率の低下などから使用されるケースは皆無に近いほどなくなっていた。というか、日本陸軍が戦闘に参加するケースそのものが赤色戦争以降、なかったのだから当然といえば当然だ。
・しかし、アフリカと南米での魔族軍出現に伴い、戦場に派遣された兵士達は最後の武器としてスコップと銃剣に頼るしかなかった。
・特に銃剣は刺突力が強く、オーク兵でも生身の部分に命中すれば大ダメージを与えることが出来、兵士達の間には銃剣に対する信頼は信仰に近いところにまで至る。
・ただ、オーク兵の甲冑が貫通出来ないことが銃弾同様に問題とされ、陸軍にはその改善が求められた。
・陸軍は魔法での解決を望み、近衛に銃槍への装甲貫通魔法付与の可能性について検討を依頼した。
・近衛は加納重工と共にが開発した魔力付与装置によって、同装置にて刃を加工することで銃剣にオーク兵の甲冑を貫通出来るだけの魔力を付与することに成功した。
・これが八二式銃槍と呼ばれるモデルで、急遽量産された装置は輸送艦“あるぜんちん丸”や“たかお丸”など計8隻に乗せられてアフリカと南米に派遣された。
・装置はどう見ても緑色の液体が満たされた大きな鍋釜で、そこに銃槍を3分間漬けておくと魔法が付与される。
・このインスタントさが魔法のいい加減なところで、兵士からは当時普及していたインスタントラーメンにかけて「ラーメン魔法」と呼ばれた。
・ちなみに、この魔法を普通に付与するとなれば、専門の魔導師が3日かかって一振りが限界だという。
・これらにより改良されたものはのべ50万振ともされるが、一部兵士からスコップにもこの魔法をかけて欲しいという希望が殺到し、装置は24時間稼働、港から装置を降ろすことは1ヶ月の間出来なかったという。
・残念ながら、同魔力装置の原理では銃弾のサイズに魔力を付与することは出来ず、銃弾の装甲貫通魔法付与は断念されたものの、この魔法をかけた銃剣はオーク兵の甲冑を唯一確実に貫くことの出来る歩兵の武器として活用された。
・なお、刃に魔法がかかっているので、間違っても研磨してはいけない。研磨すると魔法が解ける。
**四式銃槍
・八二式の改良版。
・四式小銃で用いた場合、170㎝という長さになり、これが塹壕に潜んで接近したオーク兵の腹を突くのには絶好のサイズとなった。
・貫通魔法だけでなく、先端部(日本刀で言えば横手にあたる部分)に麻痺毒の魔法がかけられている。
・不用意に触れると毒が使用者にまで至ることから、鞘から抜いた後の扱いには注意が求められた。
・皮肉に近い話だが、戦場ではこの麻痺毒は麻酔や鎮痛剤の代わりにも用いられた。
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