個人の手記etc

旅立ち 三輪太一の手記より

●三輪太一の手記より


 ぼーっ。


 何もせず、ただ時間を待つのは苦手。


 田舎の駅。

 そう遠くないうちに“故郷の駅”と呼ぶ場所。

 ホームにいるのは僕一人。

 単線の向こう側、古ぼけた木の壁の向こうで背を伸ばした桜から飛んできたのだろう薄紅の花びらがコンクリート製の床に張り付いているのをぼんやり眺めていたら、急にコーヒーが飲みたくなった。

 改札口のガラスの向こうでは駅員が暇そうにあくびをしている。

 一声かけて改札を抜けようかなぁ。

 ポケットから財布を取り出しながら時間を確認した。

 ホームの大きな時計には「故障中」と書かれた黄色く変色した紙が貼り付けられている。

 僕が中学生になった頃から誰も直してない。

 腕時計を伸ばした袖から引っ張り出す。

 高校入学以来の相棒が教えてくれた時刻は――10時ジャスト。

 ペンキが剥げかかった柱に貼り付けられた時刻表によると、発車予定は10時3分。

 ああ、惜しいなぁ……。


 線路の向こう側、空き店舗ばかり目立つ商店街。

 最近、取り壊されたばかりの一角にパトカーが止まっていた。

 お巡りさんが二人、車内からじっとこっちを見ている。

 

 僕はその理由を知っている。

 お巡りさんは誰かを探しているんじゃない。

 お巡りさんは見張っているんだ。


 誰を?


 僕を。


 ……そう。


 お巡りさんは、僕がちゃんと電車に乗るかを見張っているんだ。


 踏切で警報が鳴り出す。

 パトカーから視線を遮断機へ向けると、二両編成の電車が駅に入ってくるところだった。


 終点は広島駅。

 そこで降りて新幹線で静岡まで。

 静岡の民宿で一泊して、明日は目的地へ。


 プランと呼ぶには大げさな日程を思い出しつつ、電車に乗った。

 閑散とした車内で吊り手だけが賑やかに揺れている。

 適当なシートに腰を下ろすとバッグからクリアファイルを取り出した。

 入っているのは折り目が残る一枚の紙。 

 

 教育召集礼状


 「白紙」ともいう。

 

 有り体に言えば、軍隊からの呼出状。

 そう。

 僕はこれから軍隊へ行くんだ。


 召集令状は、それ自体が交通切符の代わりになる。

 改札で令状を見せて判子をもらう必要があったり、利用する交通機関が指定されているから遅れることが出来ない面倒はあるけど、そこまで文句は言えないだろう。

 

 国からすれば、便宜は図ってやる。そのかわり――。


 逃げるなよ?


 ……そう言うこと。


 そんな召集令状のイロハについて、海軍に行った父から大凡を知った。

 まず、召集令状は軍から対象者の住所にある警察署に送付され、警察から役場に回された後、役場の担当者が対象者かその家族に交付する仕組みになっている。

 このため、警察は対象者が何処の誰で、いつ出発するのかを全て知っている。

 当然、役場も関与しているから、住民票の異動で逃げることは出来ない。

 法律改正で昔ほど厳しくなくなったというけど、徴兵忌避への罰則がものすごく厳しいことは子供でも知っている。

 どの位?

 その答えを、僕たちは一つの“時代”を経験することによって骨身で味わった。


 「俺はまだドン亀乗りで良かった」

 潜水艦隊にいたという父の口癖だ。

 「陸軍さんや陸戦隊なら、生きてここにはいないからな」


 ……そう。

 戦争だ。

 しかも、全世界を巻き込むほどの大戦争。

 30年も続いたことから「三十年戦争」と呼ばれている。


 2つの世代をまたいで続き、実に30億人を死に至らしめたこの戦争の中、僕たちは生まれ育った。

 戦争は常に日常生活の中にあった。

 戦争がなんだから知らず、ただ「兵隊さんありがとう」と作文を書かされたり、「出征」する誰だから知らない「近所のヒト」の見送りのために手作りの日の丸の旗を振ってみたかと思えば、白い布に包まれた箱を首から提げた行列に頭を下げてみたりと、それが戦争とどう関係しているか、何も知らなくても、僕たちの毎日の中に、戦争は確実に


 誰かが戦死した。

 名誉の戦死だ。


 そう言う大人達が陰でコソコソ囁きあったのが、名誉とは正反対の話。


 主に徴兵逃れについだ。


 死にたくない。

 戦争はイヤだ。


 様々な理由で徴兵を拒む人々がいるのは当たり前だとさえ思う。

 誰だって死にたくない。

 だからといって……。


 行方をくらませる。

 わざと指を切断して障害者になる。

 大金を積んでニセの診断書を医者に書いてもらう。

 戦争に行かずに済むならばと、違法な薬物から新興宗教にまで、あらゆる手段にすがる。


 そんなことをする人が実際にいたのだ。

 しかもたくさん。

 

 国家が彼らをどれ程に憎んだかは、その追求ぶりからもわかる。


 戦争が終わってもう5年になろうとしている。

 それでも徴兵に応じる田舎のたった一人の男子相手に警官を張り付かせるのは、その証拠みたいなものだ。

 

 ――逃げたら撃たれるぞ。


 卒業前、僕の進路を知った同級生のタツヤは言っていた。

 ヘラヘラしてばかりの、あのタツヤが真顔だったから、聞いたときはさすがに驚いた。

 ――母ちゃんから聞いたんだよ。

 あいつは周囲を気にしながら言った。

 ――戦争中、近所の引きこもりの兄ちゃんが赤紙受け取って、すぐに姿を消したんだ。

 兵隊がイヤで逃げ出したんだよ。

 でも、すぐに見つかって警察に捕まる時に暴れてさ。ピストルで撃ち殺されたって。


 パンッ。

 タツヤは銃を撃つまねをした。


 ――んでさ。徴兵忌避すると、制裁として、家族の社会保険とか年金とかも止められるんだ。

  なんとか働こうとしても、警察や公安が遺族の職場まで来るから職場でも立場なくなってさ。

  病気になっても保険が利かないから、最後は一家で首くくるしかない。

  その引きこもりの兄ちゃん家も、最後は夫婦そろってガス自殺だった。

 

 電車がトンネルに入った。

 真っ暗な世界の中、自分でも言いようのない光景が脳裏に浮かんだ。

 父さん、母さん、そして妹。

 皆、大切な家族だ。

 大切な家族が死ぬ姿は想像したくない。


 死にに行くんじゃない。

 

 口から出た言葉。

 それが僕の本音だ。


 そう。

 ハイハイ言うこと聞いて、兵隊の真似事して、適当なタイミングで辞めればいいんだ。

 そうすれば、履歴書にもハクが付くし、資格も手に入る。

 あとは――


 トンネルを抜けた先。

 光の中に海が見えた。


 春の海。

 そこに浮かぶ幾十の船。


 見慣れた光景だが、僕の求めるのはそこじゃない。


 海から天に伸びる塔――宙港(ちゅうこう)だ。

 史上、いかなる時も変わることなく物流の中心は海を往く船。

 荒れ狂う波を乗り越え、七つの海を征く船に勝る輸送手段はない。

 そのはずだったけど……。

 時代はあっさりと変わった。

 今、物流の主役は、空を征く飛行船だ。


 飛行船。

 魔力によって無重力の海に浮かび、

 魔力によって無重力の海を往く、

 魔法科学の産物。


 波や荒天――自然現象が与える積み荷へのリスクは海を往く船とは比較にならないほど低く、凌波性(りようはせい)の類いは考えなくていいから船体は建造コストも低く、船の寿命も倍以上長い。

 積載量に至っては、従来の船舶では太刀打ち出来ない。

 恐竜的進歩を遂げた今は、総トン数100万トンを超えるバケモノが当たり前の顔で空を遊弋する。


 ……いいことづくめのようだけど、当然、不便もある。


 反面、無重力空間に浮かぶことが前提の飛行艦は、地上や海に降りることが出来ない。

 陸に上がった鯨の如く、自らの重さで潰れてしまう。

 故に、飛行船は接岸出来る港が限られる。

 従来の海の港ではダメ。

 不可視の海を持つ港――宙港(ちゅうこう)が必要だ。


 港を一から作るよりこすとのかかる宙港(ちゅうこう)を用意出来るか。

 その経済力があるかが、世界の経済格差を決定づけたと経済の時間に聞いた覚えがある。

 そんな馬鹿なと思う気持ちもわかる。

 だけど、実物を見ればそれは本当だと気付かされる。


 広島宙港(ひろしまちゅうこう)


 日本8大宙港の一つにして、中国地方唯一の宙港。


 僕は、そこで働くために必要な資格を取る。

 

 そのためになら軍隊の訓練にだって耐えてやるんだ。


 そう、自分に言い聞かせたところで、電車は市街地へ入り、宙港は僕の視界から消えていった。

 



 



 



 

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