からりと

 一日秋晴れでしょう、なんてにこにこ花丸笑顔で言ってたアナウンサーに文句の一つを言ってもいいんじゃないかという空模様だった。もうさすがに廊下は寒い季節が近づいてきている。爪先は冷えてきて、ついでに携帯の充電は残り半分を切った。ホームルームが終わって約三十分、俺は二つ隣のクラスの後ろドアの前でポケットに手を突っ込んで佇んでいた。十分前にはそんな俺を見つけた小柄な男子が、誰か待ってるなら呼ぼうかとつっかえながら聞いて来た。俺はそれを丁重にお断りして時折携帯を眺めてみたりしながらただ立っていた。ほとんどのやつは部活へ向かうかさっさと帰るかですぐにいなくなり、今では曇りガラスの向こうに人影はほとんど動いていない。じゃあ中にいるんだろうなと思っていたが、俺は頑なに廊下にい続けた。

 やがてからからと前のドアが開いて、女子の声が聞こえた。


「じゃあ宮野くん、私これ出してくるね。窓よろしく」


 そう言って俺に気が付く様子もなく職員室の方向へ歩いていったポニーテールの女子は、何となく記憶にあった。確か一年の時に、あいつに告白して振られたやつ。なんというか、もう普通なんだなと思った。教室の中からは窓を閉める音がしていた。俺は近くのドアに手をかけて、一気に横に引いた。蛍光灯の明かりの下で、黙々と窓を閉める浩太がそこにいた。浩太は振り向きもせず口を開いた。


「佐伯さん? 早かったね、用事があるなら俺が」


「最後までやるのに?」


 お優しいことで。慌てたように振り返った浩太は俺をじっと見つめて、一回口を開こうとして、また閉じた。


「そうだ、佐伯だ。思い出した。記念すべき十人目だ。よく普通に喋るな」


 とげとげしい言葉だ、自分でも嫌になるくらい。俺は何にイラついてるんだろう。浩太は多分目を丸くしているんだろう。俺はその目を見ないように口元を見ていた。その口がゆっくりと動く。


「クラスメイトだし、今日は日直が一緒だった」


「出席順遠いだろ」


「うちのクラスは月一のくじ引きで決めるから」


「へー。変わってる」


 違う。


「聞いたことねえや」


 違うんだってば。


「隆太、どうしたの」


「なんでも?」


「うちのクラス、来ないでしょ」


「来てもいいじゃん、放課後だし」


 違う、こんなこと言いに来たわけじゃない。せっかく井田ちゃんに押してもらって踏み出した足が、何度も同じ場所でステップを踏む。そうだよ俺は、こんな自分がずっと嫌いだったよ。ずっと一緒にいる相手にも言わなきゃいけないことに限って言えなくて、それなのにお前はずっと分かったような風で、大人びた顔をしていた。それも、ずっと、嫌だった。

 浩太は迷ったように手を何度も上げたり下げたりして、それから珍しくつらつらと喋り出した。


「隆太、もう暗いよ。傘持ってる? 貸してもいいけど、また、その、言われたりとかするかもしれないし、やめた方がいいかな」


「だから勝手に帰れって?」


「いや、俺も最近クラスの人の部活手伝ったりしてて遅いし……」


「何部」


「えっと、囲碁部」


「何の手伝いすんだよそれ。いいよもう何言われても、どうせもうクラスで浮いてるし。昔に戻っただけ」


「……ごめん」


「……なんでお前が謝んの」


「だって」


 だっても、何もないだろ。俺は井田ちゃんの言葉を思い出す。暴れろって言ったのお前だぞと勝手になすりつけることを決めて俺は足を踏み出す。思いの外強い力がかかって、床が大きな音を立てた。


「え、りゅう」


「だってじゃねえんだよ、この、あー……うー……あああああもおおお!!」


 俺バカなんだよ、わかれよ、くそ、そうじゃない、もう甘えないって決めたのに。うまく言葉にならなくて俺は頭を掻きむしる。ちくしょう、ちくしょう、悔しい、何もかも。


「怒れよぉ! このッ、ばかぁ!」


 ばっと顔を上げたら目の前に浩太の顔があって俺は二歩下がった。歩きすぎてたらしい。一方浩太は両手をグーにして固まっていた。そんな姿は初めてだった。


「ばか、ばかだよ、俺もお前もさあ!」


 腹の底から湧き上がってくる何かが、勝手に言葉になって口から飛び出していく。少しずつ喉が震えはじめていた。


「お前ずっとそうじゃん! 何も言わないでガマンしてさぁ! 何考えてんだかわかんない顔でさぁ! ごめんじゃねえよ! なんでお前が謝ってんだよ!」


 ぐじゃぐじゃになった感情が、考えが変な塊になって飛び出して、その辺りに落っこちていく。頭の奥がガンガンして、胸の中が熱くて、指先が冷たかった。おまけに目もめちゃくちゃ熱い。頬がべちゃべちゃになって、顎を伝ってシャツの襟が濡れていくのが分かった。


「俺じゃん! 俺がっ……俺が浩太のことっ、ずっと傷付けてんじゃん!」


 そうだよ、俺がずっと浩太を傷付けてきたんだ。それからずっと目を逸らしていたんだ。だって、その事実はつらすぎるから。きっと傷付けられる方が何倍もマシだった。あの日だって、俺がただ変な奴になるだけならきっと構わなかったんだ。気持ち悪いなんて言うんじゃなかった、あんな風にカッとなるんじゃなかった。そんな思いがずっとこびりついて、じくじく疼いてかなわない。

 せめて、こいつが俺に怒ってくれたら、傷ついている顔を見せてくれたら、俺はお前に謝れた。こんな考えだって、ひどいやつなんだと思う。だからせめて、俺をそんな風に許さないでほしかった。


「ごめ……」


「だからぁ! ばか! ばかこーた! ごめんって言うの俺じゃんかぁ!」


「えっ、あっ、えっ」


 ぐうぅと変な音が喉の奥から転がり落ちた。止めたいのに涙が止まらない。息が上手く出来ない。


「ゆるさないでよぉ……俺、ずっとひどかったのにさぁ……」


「おこって、ない」


「怒れってば!」


「だって、俺が隆太のこと好きって言わなかったら……気付かなかったら、隆太もきっとあんな風に言わなかった」


 だからなんで、お前そうなんだよ。そう思ったら手が伸びた。二歩下がった足が、また前に出る。胸の前で固まったままの腕を掴んで顔を上げる。視線がバチっとぶつかった。浩太の両目から、ぼろぼろと涙があふれだしていた。


「お前まで泣くな~!」


「わかんない、わかんないけど、だって、隆太が」


「俺かよぉ! 俺だわ!」


 幼稚園の頃だってこいつの前でこんなに泣いたことないってくらいに泣いた。みっともないくらいに泣いてた。もう胸の中身は言葉にもならなくて呻き声だけが漏れた。浩太もそんな俺の前でしゃくり上げてた。

 そんな硬直した俺たちの間に、突然発声練習みたいな大声が割って入った。驚いて二人揃ってドアの方を見たらさっき俺に声を掛けてきた小柄な男子がそこにいて、その後ろには佐伯がおびえたようにして立っていた。


「お、お取込み中、すみません……でも、佐伯さん、カバン取れなくて、帰れないって」


「あ」


 俺と浩太は顔を見合わせたあと急いで袖で涙を拭いて、それから二人で佐伯にめちゃくちゃ頭を下げた。佐伯は構わないけど全部廊下に聞こえてたよと言った。その情報の方が俺には効いた。

 佐伯を見送って、小柄な男子と浩太と俺で教室に残される。俺はひとしきり鼻をすすってから、とにかくごめんと呟くように言った。浩太も小さくうんと返した。その間小柄な男子はドアに手をかけておろおろしていた。そりゃ同級生が子どもみたいに泣きじゃくってるとこ見ちゃったらなあと、俺たちが完全に悪いのだが同情するしかなかった。何しに来たんだよと聞けば、トイレから出てきたら青い顔の佐伯に呼ばれたのだと返ってきた。明日もう一回お菓子でも持って謝りに行くことを決めた瞬間だった。

 気が付けばもう下校時間が迫っていた。その後なぜか小柄な男子を追って現れた井田ちゃんにそこまで暴れろって言った覚えないよと笑われた。こいつは一回殴ると決めた。


「えっと、ご迷惑をおかけしまして……」


 俺は小柄な男子にもそう頭を下げた。そいつはきょろきょろした動きの後、井田ちゃんにすすすと寄っていった。なぜ。


「あっ、いや、俺はそんなに、佐伯さんの方が」


「というか、何で井田ちゃん」


「ああ俺、最近演劇部に出入りしてて。彼は副部長。話し合いながら帰ろうと思ってたから」


「あ、そう」


 井田ちゃんは本当にわからん。浩太に目線を送ったら首を横に振られた。そうだよな。


「まあ、二人は雨降って地固まるって感じ? よかったーまだ漫才見られる」


「だからコンビ組んでねえって」


「漫才?」


「いいよお前反応しなくて」


「とりあえず、四人で途中まで一緒に帰ろっか。佐和田もいい?」


「うあ、はいっ」


「何その返事ー。それにしてもいい時間になったんじゃない? ほら」


 井田ちゃんがそう言って窓の外を指さした。その先には真っ赤な夕焼けが広がっていた。


「明日こそ、本当に晴れるよ」

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うろこ雲の空の下で 雨屋蛸介 @Takosuke_Ameya

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