金木犀
「おにーちゃん」
妹の声が頭上から降ってきた。ついでに顔の上にもこもこクッションを落とされてデカいクシャミをする羽目になった。土曜日の昼過ぎ、何をするでもなくソファーでゴロゴロしている兄に向って妥当な仕打ちだと言うべきか悩む。
「遊ばない」
「別にお兄ちゃんに遊んでほしくはないけど。あたしも高学年だし。でも手伝って」
生意気な妹だ。体を起こすと、仁王立ちでソファーの前に立つ妹と丁度目線が合っていた。前と違ってむすっとした顔が増えたが、まだまだ小学生だよなあと謎の感慨がわいた。
「手伝うって何を」
「キンモクセイ集め」
「は?」
「一人じゃ大変なの」
「待て、集めてどうする気だ」
「シロップにするの。色もきれいだし、いい匂いだから流行ってんだ」
「シロップって……、え、はちみつとかに漬け込むの?」
「お兄ちゃんってバカだよね」
「ぶん殴るぞ」
「暴力はんたーい。はちみつじゃないよ、ワインと砂糖使って煮るの」
「お前それ母さんに言ったんだろうな。俺だってワインは買えねえぞ」
「もちろん。ちゃんとワインも分けてもらったもん」
「……ならいいけどさ」
結局火を使うところまで張り付いてることになるんだろうなと思いつつ、俺はゆっくり腰を上げた。どんな服を着るか迷う空が窓の外に広がっていた。
近くの公園にはオレンジ色の小さな花がびっしりついた木がいくつもあって、辺りは甘い香りでいっぱいだった。甘いんだけど、お菓子とかみたいな甘さじゃなくて、なんというかフルーツとかの方が近いようなそんな香り。俺の中でオレンジ色の花とその香りが初めて結びついた。この匂いは馴染みがあったが、結局なんの匂いだか知らなかったのだ。だからついそれを口にしていた。
「これ、キンモクセイの匂いだったんだ」
「え、何だと思ってたの」
妹は言いながらウソだろという顔をしていて腹が立つ。
「いや、何だろって……あとわりと年中嗅ぐし」
「秋のふーぶつしじゃん」
「いや、その、あいつが多分ハンドクリームとかで」
たまに廊下でもした香りだ。ハンドクリームかどうかは、本当は聞いてない。でもさすがに香水じゃないだろ。
「え、浩太くんキンモクセイ好きなの?」
妹のその声は明らかに浮かれた声で、言うんじゃなかったと思った。そういやこいつと浩太が会ったのって最後はいつだったか。多分、三か月は経っている。次が来るのかはもう分らない。ちり、と胸の奥が焦げ付くような感じがした。
「……知らね」
「聞いてよ。多めに作っておすそ分けするから」
「いやだ」
「何で」
「絶対いやだ」
「じゃあいいよ。自分で聞くから。あーそしたらあげられるの来年かなー」
今年は練習だと言い鼻歌でも歌いそうな雰囲気を出しながら妹は小さな手でもっと小さな花を摘んでいく。
「思ったんだけどさ、お兄ちゃん、お腹痛いの?」
「……ちげぇわ」
どんな顔になってるんだとは聞かなかった。俺はその後黙々と花を摘み、帰る頃には指先がすっかり甘い匂いになっていた。
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