第3話 理外を超越した存在ッ!
突如現れた異形の生命体――天使。
その神々しき殺意を前にウィズはこの状況を飲み込むのに必死だった。
「うぃ、ウィズさん!? 急にどうし――あれは……!!!」
家から出てきたリリウムが天使を確認するや否や、震えていた。まるで幽霊でも見たような、非常識な畏れだった。
「リリウムさん、アレはなんなの!?」
「あれは“天使”ですッ! 世界を滅ぼしかねない存在が現れた時、それを討ち倒す存在……ッ!」
「世界を滅ぼしかねない――そういうことか!」
ウィズが天使の前に一歩踏み出した。
「僕の力が脅威だからこうして滅ぼしに来たのか……お前がッ!」
『目を閉じ、祈りなさい。さすれば痛む間もなく、まどろみの最中に終わらせてあげましょう』
「……断る! 僕はスローライフを所望している! 世界に影響なんて与えない! だからこのまま帰ってもらうことは出来ないだろうかッ!?」
『眠れ。それだけが苦しまずに逝ける手段だ』
大翼をはためかさせ、天使はそう告げる。
「は、話が通じない……ッ!」
そのやり取りを見ていたリリウムはいつ失神してもおかしくはなかった。
何せ、神話のやり取りだ。
例えば、ずっと耳にしていたおとぎ話が目の前で現実に起こったとして、それを冷静に見ていることは出来るだろうか? 答えは“否”だ。
興奮、驚愕、焦燥、歓喜。様々な感情が津波のように彼女へ襲い掛かる。
「うぃ、ウィズさん! 逃げましょう! 天使は存在が既に別次元なんです! 私達人間がどうあがいても勝てない存在なんです! 蟻が獅子に勝てないように、我々は一息で吹き飛ばされます!」
『逃げる、という選択肢はもうありません。――〈エンジェリックフィールド〉』
天使がそう呟き、空へ右手を掲げた。次の瞬間、世界が変化した。風は止まり、先程まで揺れていた草が微動だにしていない。
天も地も、見る色全てが白黒。全ての時が静止した空間。不幸にも選ばれた生命体にとっては世界終末の風景にも見えるだろう。
「う、うそ……こんなことが……! 世界を改変する力なんて!」
静止世界の中でリリウムは震えるウィズの背中を確かに見た。
無理もない。神話の存在がこうして死を届けに来たのだ。発狂しないだけマシとも言える。
声をかけようとしたが、喉に力が入らなかった。リリウム自身、全く余裕はない。唐突にやってきた死の瞬間を受け止めきれないのだ。
『審判の時です。貴方を滅します』
天使がゆっくりと前進してくる。
対するウィズはそれを全く見ておらず、視線は己の開かれた両手に注がれていた。
「……しい」
両手をグッと握りしめ、ウィズはバッと顔を上げた。
「素晴らしいッッ!」
ウィズが指を鳴らすと、天使を取り囲むように無数の魔法陣が出現した。その数は膨大。皆は空に浮かぶ星の数を正確に数える気になるだろうか? 彼が生み出した魔法陣の数はそういう数なのである。
「〈バニシング・シューター〉!!」
魔法陣の一つ一つが一瞬輝いた直後、一条の白色光線が放たれた!
全方位。もはや球体にまで見間違える程に存在する魔法陣から生み出される魔力の奔流。一本一本が最上級の攻撃魔法を遥かに超えていた。
その破壊の集中点にいた天使への照射時間はおよそ二分。白が白でどんどん塗りつぶされていく。白黒の静止世界の中で生まれた一個の太陽が如き威容がそこにはあった。
極限の破壊が注がれた天使の生死はいかに。
『……驚愕しました。霊長類が持つ攻撃力を容易く凌駕している』
天使の所作は鈍かった。どこかが欠損した、という事はないがそれでも確実にダメージを与えられていることの何よりの証明である。
それを見たウィズは悔しがるどころか、むしろ感動していた。
「驚いた! 僕が本気を出しても世界が壊れていない! 僕は戦えているのかッ!?」
ウィズはリリウムへ顔を向けた。彼女は目の前で起きた出来事を飲み込めず、ポカンとしていた。
それにお構いなく、彼は言う。
「リリウムさん、もっと離れていてください! 僕は生まれて初めて訪れた全力の戦いに興奮が止まらないッ!」
飛来する衝撃波!
天使が軽く槍を振るっただけで生み出された攻撃行動。その威力は下手な上級魔法を軽く凌駕している。
それを確認したウィズは防御障壁を生み出し、攻撃に備えた。
着弾、爆音、そして爆風!
ウィズが立っている地面を除き、半径数メートルがクレーターと化していた。牽制でこの威力。彼の顔には何もネガティブな感情が含まれていなかった。
「天使ッ! 僕は僕のスローライフを送るため、死んであげるわけにはいかない! ごめんッ!」
ウィズが両腕を広げ、すぐに交差させる。
すると、天使の左右から巨大な竜巻が襲い掛かる!
即、天使が大翼を駆使してその場から消えた。
それを確認したウィズは右手をひらりと上げた。すると、地面から槍がせり上がり、天使目掛け飛翔した。これこそがウィズが好んで行使する魔法の一つ〈ホーミングスピア〉。
稲妻を思わせる機動で空を駆ける天使を追いかける槍。徐々に速度を上げていき、天使の背後を追っていく。
『我が追われる側になるとは……』
音速で移動していた天使がピタリと止まる。慣性というものを無視した急制動。百からゼロへ一気に速度を落としてみせた。
天使は盾を槍へ向ける。既に目の前で来ていた槍がどんどん盾へ襲い掛かる。一本一本がまるでハンマーで殴ったよう威力。人間に撃てば即座にミンチとなるであろう。
だが、流石は天使が持つ武具。
傷一つつくこと無く、槍の雨を防いでみせた。
『……この力、世界にとって危険すぎる。故に、我も全てを出し切ろう』
槍に光が収束する。それだけでこの静止世界が振動を始める。この空間でなかったら大陸に大災厄が降り掛かることは容易に想像が出来る。
それすらもウィズは感謝していた。
頬に一筋、涙が流れる。力を正しく使える相手と出会えたことに対するものである。
「ありがとう……」
ウィズは右手を天へ掲げた。
「ありがとうッ! 生まれてきてくれてありがとうッ! 僕の前に現れてくれてありがとうッ!!」
彼の右手に七色の炎の球が生み出されていた。
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