「砂」②
売り上げが伸びるのは(営業努力があるとしても)たんに時勢によるところが大きい。外に出る、ということが少なからず難しくなり、そのぶん部屋の中でできるレジャーが人気を集めて、そのひとつが本だった。旅行雑誌が各地の景勝地のかつての姿を紹介するムックを出し飛ぶように売れた。砂の健康被害とその予防に関する本も多く出た。人体のみならず、砂が建物や衣服、水質、土壌に与える影響についても様々に調べられ、政府、学術機関、民間団体それぞれが報告して、いくらか(それでもけっこうな数だ)は出版の流通に乗って書店に並んだ。
砂は水に溶けない。砂は川底に、海底に落ち、流れのあるところでは水の動くまま流され、静かなところでは積りつづけている。砂がどれほど降り積ったころでも、水は味も匂いも変わらない。pHも、電解質も、微生物の量も変わっていない。砂はまるでそこにないかのようだった。
土についていえば、ただ砂があるだけという感じだった。はじめは恐慌と言ってもいいありさまだったのが、害にもならず、さりとて肥料にもならずということがわかってくると、農家の人々はただ砂が降った土の上にトラクターを走らせて種を植え、苗を植えて、よく育った作物を例年通り収穫していった。色はもちろん味にも栄養価にも違いはなかった。あたかも土も植物も、この空から降ってきた砂、砂、砂を無視しているかのようだった。
表面に付着した砂が衣類の生地や建築資材にどのような影響をもたらすかについても調査がなされて、専門家はこれといって問題は見られそうにないと結論付けた。剥ぎ取られ加工された動物の毛皮も変異を見せなかった。ぜんたいに人の営みは注意深く砂の害毒から守られているかのようでもあった。それでも動物たちは臥せり、去った。だからこそ砂ではなく医師の方法を疑う声もあがって、決定的な決着のつかないまま議論らしき議論は平行線を辿ったままでいる。
ひょっとして砂が降っているというのはデマなのではないか、そういう声もあったが、日々掃き掃除をし、時々刻々コートの肩に積もってそれを払っている砂が実は見せかけで本当には存在しないんだという考えを頭から信用できる人は、ほとんどいなかった。
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