降る
@Altplus
「砂」
砂が窓に積る。日の出過ぎの、水平線のきわの緑色にみえる空から、濁った、石灰のような、粒の細かい砂が降る。窓のすぐそばにある寝床から僕は朝焼けを見る。朝焼けはいつも夕焼けのように赤い。窓には昨日から砂が積って白んでいる。こまめに水をまいて砂を洗い落とさないと、砂は窓ガラスを埋めつくして部屋を暗くしてしまう。今日はまだその必要はない日のはずだった。時計は六時半を指している。僕は寝床を出て食事を摂り家を出る。
鉄のように焼けた空から砂が降る。ラジオ放送の天気予報はここ一週間の快晴を伝えている。二月の朝は寒さの底で、僕は砂を吸わないようマスクの縁をぎゅっとおさえて車を降りた。
砂の匂いを人間は感じとることがない。犬は敏感な嗅覚で空気中に充満する砂の匂いを明確に感じとり、その害毒のためにみな臥せってしまった。砂の降る土地ではどこでも、犬は外を走り回ることができなくなっているという。必要最低限の運動さえも難しくなった多くの犬たちが、人の住む屋内で萎びた菜っ葉のようにちぢこまっている映像がテレビ番組で紹介される。
「名東放送ではああ言ってるけど、ワンちゃんの元気がないのは本当は最新技術のせいなのよ。病院でのワンちゃんの治療法がここ五年でずいぶん様変わりして。治療法の……知られていない副作用……のせいで、ワンちゃんたちはみんな元気でなくなっちゃったわけ」
柴田さんはおおむねそのようなことを言って、犬の不調の原因を日々降り積る砂であるとは思っていない。この「知られていない副作用」説は僕のまわりでかなりの支持を受けている。少なくとも柴田さんも、ほかにこの説を支持している人たちも、僕よりもずっと歳上で、ずっと前から犬を飼いつづけてきた。柴田さんの家のブルドッグは砂が降りはじめてから急激に体調を崩しすぐに亡くなってしまった。その友人が飼っていた、番犬としてよく訓練されていたというシェパードは引きこもって、いちど空き巣が入ったときにさえ吠えもせず、家の中で窓からもっとも遠い部屋で、崩れた泥人形のように座りこんでいたという。ひきつけを起こす犬、片脚を引きずるようになった犬。必ずしも呼吸器を病むばかりではない。愛犬家であるほど砂の害毒を疑うのはそういうわけもあった。では同時多発的に健康被害が出るのはどうしてかと問われて、獣医師の方法論が問題なのだと主張する。
外回りの僕は卵形の防砂マスクと半円の笠と合成繊維のコートを着込んで読者の家に向かう。雑誌の最新号が出れば定期購読者の家に直接配本しに行く。新刊を予告するチラシを配りに行く。世間話に付き合う日もある。書店にも行く。外回りが終わると事務所に戻る。砂を落とした笠とコートを壁に懸ける。注文書の内容について書店から修正の連絡があった。注文数を増やすということだ。
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