13 死神オルタネーション 後編



「やぁ。神岡学くん。」


「あ?....なんだ?」



翼の生えたその男は、よく見ると少し宙に浮いている。

白髪の背中まで長い髪の毛を緩めに束ね、ブラックスーツに黒い革のドレスシューズ。

そして紳士的な笑顔で微笑むその顔は、どこかで見た事があるような、ないような。


男はまた口を開いた。



「周りを、よく見てご覧。」



学が辺りを見回すと、驚いた顔のままの班員、こちらに手を伸ばして駆け寄ろうとしている廉、口を抑え青ざめる美幸、

全てが、静止している。



「これは....。」



不思議そうに見渡す学に、男は言った。



「あまり驚いた様子ではなさそうですねぇ。その気丈さ、さすがです学くん。」



男はニコリと微笑み学を見つめている。



「......おっさん誰だ。」


「おっと。申し訳ない。

私は死神のセンと申します。」


「死神?」


「はい。最も、私は君のような自殺者専門の死神ですがね。」


「なるほどね、俺を迎えにきたってわけか。」



理解の早い学にセンはくすりと笑った。



「素晴らしいですねぇ、神岡学くん。ですが正確には、君の魂を預かる許可をいただきたいのです。」


「許可?」


「そう、あの世ではたくさんの魂たちが転生を待っています。それにはエネルギーが必要でしてね。

それというのが、君のような自殺者の魂なのですよ。」


「なんで?」


「はい、自殺をする者というのは、その寿命まで生きられるエネルギーを残しています。必要なのはそのエネルギーの方。

他の死因の場合は自然にそれ専門の死神に魂を引き抜かれますが、

自殺専門の私の場合は違います。

魂からエネルギーを抜き取るには、生前の本人の許可を得なければならないのです。」


「へぇー。めんどくせー仕組みだな。」



学はさすがに拳銃を下ろし、センの話に聞き入った。



「つまり、君が死ねば、誰かが生まれる。

ですから神岡学くん、君にもその協力を願いたい。構わんだろうか。」


「え。いーよ。」



あっさりと答えを出した学に、センはまたクスりと笑った。



「別に俺、地獄にでも落ちるんだろうし、まぁ、誰かの為になんならいんじゃねーの。」


「本当に素晴らしい人間だ。全く動じていないのは君が初めてですよ。」



学は特に驚くこともなく、動じることもなく、ただずっとポケットには手を入れたまま。



「学くん、確かに君は地獄逝きかもしれないが、私に魂を預けることで恩赦を受けられる場合もあるのですよ。」


「おぉ。嬉しいお計らいだねぇ。」



センはまたニコリと微笑み、更に続けた。



「私がこの指を鳴らせば、時が戻ります。

このまま戻してしまえば、君の指は既に引き金を引いてしまっているため即死です。

ですが、やはり降伏したいというのなら、少しだけなら時間を巻き戻すこともできます。

つまり、君は今なら、死ぬことも生きることも選択出来るのですよ。

この選択肢、君ならどうしますか?」



学はその言葉にも動じずに即答した。



「引き金は引くよ。一回決めたことは曲げねぇ。」



曇りのない瞳で気丈に話す学に、センは意外な言葉を口にし出した。



「分かりました、ではこうしましょう。神岡学くん、私と死神を交代しませんか。」


「........ん?」



学はさすがにセンの顔を見上げた。



「ん?なんつった?」


「私と、死神という役を交代してほしいのです。」



大きな漆黒の翼を小刻みに羽ばたかせながら、センはやはり微笑んでいる。



「え、待って、死神ってそんなさ、交代なんて出来るもんなの。」


「はい、やろうと思えば。」


「やろうとって....交代したらあんたはどうなんだよ。死ぬのか?」


「いえ、死にも生きもしません。」


「どゆこと?」


「冥界行き。それは生でも死でもない、そして何もない空間。無限に広がる真っ暗な空間へ、永遠に幽閉されるのです。」



学はしばし言葉を探し、見つけ出したのがこれだ。



「そんなもん、好んで行く所じゃねぇよなぁ。なんか訳があんのか。」



センは一つ息を吐き、ポツポツと話し始めた。



「私はね、疲れてしまったのですよ。これまで何万という自殺者を見てきました。

私がいくら選択肢を与えても、先程の君のように死を選ぶ者も多い。

魂を回収する為とはいえ、出来ればそんなもの、私は見たくない。

ですが魂を回収せねば、いずれ上からの制裁を受ける。

そんな苦痛から逃れたいと願いながら、もう千年が経ちます。」


「千年っ?」


「はい。ですからもう、終わりにしたいのです。」



センは変わらず微笑んではいるが、どことなく寂しさを交えている。



「その....上からの制裁ってなんだ?」



学は当初とは違い、興味あり気にセンを見上げる。



「閻魔大王ですよ。」


「閻魔っ?閻魔ってホントにいんのっ?」


「えぇ。」



冷静ではあるが驚く学を可愛く思いつつ、センは笑顔で続けた。



「制裁とは、それこそ冥界行きです。ですがそれが閻魔様からの制裁となれば、四肢を断ち切られ、痛みや苦痛を伴う中永遠に彷徨わなければなりません。

死神達はみな、閻魔様に魂を奪われます。そして永遠にその支配下に置かれる。抗うことは出来ません。」


「...えげつねぇな。」



学の顔が引きつった。



「えぇ。ですからそれよりは幾分もマシなのです。私に残された選択肢は2つ。

このまま苦痛に耐えながら永遠に死神を続けるか、

無となり暗闇を彷徨うか。」


「でもさ、閻魔は俺と交代するなんて認めてくれんのかよ。」


「えぇ、許可は得ていますよ。代わりとなる者を自身で見つけろ、とね。」



そこで学はあることに気付いて質問した。



「なぁ、なんで俺なんだ?他の自殺者なんていくらでもいただろ。」



するとセンはふっと笑って答えた。



「神岡学くん、君は私の子孫なのですよ。」


「はっ?」



その言葉で思い出した、一目見た時からの違和感。

それは、



「そうか、あんた誰かに似てると思ったら...俺かっ。」


「ふふっ。少し似ていますねぇ。」



マジマジと顔を覗き込む学。



「私はね、君が今日のこの場で命を絶つ事を知っていました。君がこの世に生を受けた日から28年間、待っていたのですよ。

その何にも動じない気丈さ、警察官として培った死体への耐性、根詰めしないその楽観さも、死神としては適任です。」



センは懐かしげに微笑み学の顔を眺めた。



「さて神岡くん、いかがです?この話、君には何のメリットもありません。

君が選べる選択肢は3つです。

地獄へ堕ちる、降伏する、死神になる。

死神になれば、その魂は永遠に閻魔様の支配を受ける。

ですが、このまま死ぬのなら、君はもれなく地獄逝きです。」


「....それって俺を脅してるつもりか?」


「ふふっ....いいえ、提案しているつもりです。」



学は天を見上げ、そして周りの人間たちを見渡した。


時間を戻し、やっぱりごめんなさい、なんて拷問されたって口にする気は更々ない。

そんなもの、自分が決めた覚悟の意味がない。

美幸たちに、更には菜華に、示しなんかつかない。



「俺が死ぬことまで見越してんならさ、この先のこともあんたは分かってんだろ。」


「....えぇ。」


「........なら、その通りでいいんじゃねぇの。」



センはまたクスりと笑い、片手を軽く挙げた。



「それで、よろしいのですね?」


「あぁ。」



センはその挙げた手でパチンと指を鳴らす。


すると、メキメキと音を立て、学の背中から、背丈程の大きな漆黒の翼が生え始めた。

それと同時に、着ていた衣服も靴も、センと同じ、ブラックスーツへと変化する。



「おぉーっ。すげーっ。」



自分の身なりを見回す学を、センはやはり微笑んで見つめている。



「さて学くん、他の死神たちとも仲良く出来るといいのですが。

ね、コウ殿。」



センがそう言って上空を見上げ、それを見た学もその頭上を見上げた。


するとそこには、同じように黒い翼を羽ばたかせ、黒いスーツ姿の男が浮かんでいた。



「うぉっ、いつの間に。」



コウはスーっと長沼の元へ移動し、その地に降り立った。



「彼は殺人専門の死神。君が撃った男の魂を回収に来たのですよ。」



センがそう話している間に、コウは長沼の額に手を充て、白く光る魂を抜き取ると、それはコウの手のひらへと吸い込まれていった。



「センよ、そのガキが後任か。お前ホントにいいのか?」



コウは立ち上がると、タバコに火を付け始めた。



「えぇ。もう何百年も前から決めていたことです。」



センは学へ向き直ると、最後に話し始めた。



「神岡学くん、君のおかげで私は自由の身です。感謝しますよ。」


「自由でもねぇだろ...。」


「ふふ...そうですね。でもこれで重い荷物が降ろせましたよ。ようやく、死神セン ではなく、ただの人間の名に戻れる。」



そう微笑むセンの体が、少しずつ光を帯びて足元から散り始めた。



「私が指を鳴らしたら、君は引き金を引いて、コウ殿と閻魔様の元へ向かうといい。」


「俺が連れてくのかよ....。」


「ふ....頼みますよコウ殿。」



センの体が、腰の辺りまで消えかけた頃、学が口を開いた。



「なぁ、あんたの本当の名はなんだ。」



センは意外なその言葉に一瞬ためらったが、すぐに答えてやった。



「.....そめよし...染吉、ですよ。」



センは指を鳴らそうと右手を上げた。



「じゃあな、染吉。」



こめかみに銃口を充て直した学がそう呼ぶと、センは目を丸くして驚いた。

そしてすぐに微笑み、その指を、鳴らした。





──────パンっ....



その音と同時に、美幸はその場にへたり込んだ。


廉はすぐさま、頭から血を流す学の元へと駆け寄る。



「せんぱ....先輩っ....先輩っ!」



学をその腕に抱き上げると、ポケットに手を突っ込んだままの学の表情は心なしか微笑んでいるように見えた。


スーパーの駐車場が、応援の警察車両や救急車などでごった返す中、学とコウは上空からそれを眺めていた。



「おぃガキ。俺は殺人専門だ。....お前の恋人も...」



コウがそこまで言いかけると、学は遮るように呟いた。



「いいよ。あんたが連れてってくれたんだろ。それでいい。」



──────



「あ.....ぁ....まな....。」


「あーぁ。可哀想になぁ。安心しな。俺があの世まで連れてってやるよ。」


「ま....まな.....。」


「もう喋るな。眠れ。」


「...ご...め...ま..な...ごめ..ん...。」


「........。」



──────


「それでいい。サンキューな。」


「......。」



コウは言いかけた菜華の最後の言葉を飲み込んだ。


学は清々しいほどに微笑み、一言だけ言い放った。



「みんな、ごめんな。」



学はシャツのボタンを2つほど外し、ネクタイを緩めた。



「さーてと、閻魔さんのお顔でも拝んでみますかぁっ。」


コウはタバコの煙をひと吹きすると、地面を蹴り上げ空中へ浮き始めた。

学も真似をすると、翼は自動的に羽ばたき、空中へ勢いよく飛び上がった。


こうして2人の死神は、天高く飛び立って行ったのだった。




──────


警察庁遺体安置所では、やっと顔を合わせる勇気を持ち得た美幸がその扉を開けた。


そこには学の遺体を見下ろす廉の姿があった。

泣き腫らしたその顔で美幸に振り向くと、掠れた声で呟く。


「....主任.....これ....。」



涙目の廉が、学が手に握っていたという物を手のひらに乗せ見せると、美幸の頬を涙が伝った。


美幸は廉のいる手前、慌てて涙を拭うと、気丈な振りをして涙声で言った。



「全員始末書よ。覚悟しなさい。」



透明な小袋に入れられた2つのシルバーの指輪は、持ち主をなくして寂しそうに光り輝いていた。




fin


.

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