12 死神オルタネーション 前編
─────これは、死神のガクがまだ人間だった、8年前のお話。
────────
「あ.....ぁ....まな....。」
「あーぁ。可哀想になぁ。安心しな。俺があの世まで連れてってやるよ。」
「ま....まな.....。」
─────────
───バシッ!
「神岡ぁ。」
警察庁捜査一課 殺人犯捜査第三係 高原班主任、高原美幸 警部補は、声のトーンを普段の何倍にも落とし、班員である巡査部長 神岡 学(かみおか まなぶ)のデスクへ書類を叩きつけた。
「あんた、何この始末書。こんな物上に通ると思ってんの?」
朝から出勤するなりデスクに突っ伏し居眠りをこいていた学は首を傾け、眠そうに片目を開けて美幸を見上げた。
「さーせんっす...ちょっと俺日本語分からないんで...書いといてもらえません....?」
「日本語分からんやつが何で捜査一課にまで上り詰めたのかしら?」
美幸は引き攣った笑顔で煽りを効かせ学を見下ろす。
「いやー...ちょっと昨日ハッスルし過ぎちゃって寝不足なんすよ...。後でやるんで置いといてくだ....」
「今すぐやれボケぇっ!」
美幸はまた書類を叩きコツコツとパンプスを鳴らしてデスクへと戻っていった。
「先輩ー、ハッスルてあんた...ククッ...同棲してる例の彼女さんとすか?」
学の向かいのデスクの後輩巡査長、加賀野 廉(かがの れん)がPC越しにニヤニヤと覗き込んだ。
「あは。まぢねみ。」
「いーなーっ!俺も彼女欲しいなーっ!どうやったら彼女って出来んすかー?」
「知らねーよ。菜華(さいか)は高校ん時から付き合ってるし。合コンでも行けば?」
学はまだデスクに突っ伏したまま答えている。
「行ってますよ合コンなんてアホみたいにー。あ、でも先輩とは行きませんからね、どーせ女子全員先輩しか目に入んねっすから。」
「行かねーよ。菜華にバレたら俺刺されるどころじゃ済まねぇと思ってる。」
「どんだけ怖ぇんすか菜華さんて....。つか結婚しないんすかー?付き合って10年くらい経つんすよねぇ?」
「あー。めちゃくちゃ催促されるよそりゃ。忙しくてそれどこじゃなかったかんなぁ。」
「ですよねぇ、殺人犯捜査係ともなれば、帰れない日も多いすからねぇ。」
「んなことよりお前は結婚しねぇのかよ。」
「だぁーから、相手がいなきゃ出来ないでしょーが。てか、合コンで持ち帰っても付き合うに至らないんすよねぇー。俺の何が悪いんすかねー?」
「下手くそなんじゃねーの。」
「うーわっ、なんすかそれひどっ。先輩試してみますかぁ?」
「ぶはっ!バカじゃねーのお前っ。」
学がそう吹き出すと、自身のデスクをバシッと叩く美幸が咳払いをしながら睨みつけている。
「やべ。先輩、さっさと書いた方いーっすよそれー。」
「あいあい....。」
学が仕方なくダルそうに上体を起こした時だった。
刑事部のオフィスに警報が響いた。
〖☆☆区@@川**橋の下にて女性の遺体を発見。胸部や腹部を数箇所刺されており、連続婦女暴行殺人の手口とほぼ一致。捜査一課はただちに.......〗
「よし、高原班行けっ。」
殺人犯捜査第三係 係長 小野田 和志がそう声を張ると、美幸率いる5人の班員が即座に立ち上がった。
──────
現場である橋の下はすでに鑑識によりブルーシートで覆われていた。
橋の上からはすでにかなりの人数の野次馬が集まりだしていた。
6人がブルーシートをくぐると、所轄の刑事が敬礼をして迎えた。
「ご苦労様です!こちらです!」
案内された橋の下の薄暗い雑草の生えた草はらで、それは横たわっていた。
青白い顔は目を半開きに、大量に流れたであろう血液は、乾き切って胸や腹部、口元に赤黒くこびり付いていた。
「被害者は 君島 菜華(28)。この近くのカフェの従業員です。第一発見者はあちらにいる男性、犬の散歩の途中で発見したようです。発見時刻は......」
美幸はそれを聞きながらメモを取ると、その華奢な身体の遺体に手を合わせた。
鑑識により遺体にブルーシートを掛けられると、美幸はいつも通りに指示を出し始めた。
「じゃあ...佐々木さんと大森は聞き込み、廉はあたしと第一発見者ね、優木さんと神岡は...」
そこまで言うと美幸は初めて異変に気がついた。
「神岡?」
学は全員の背後、無表情で遺体に目を向けて見開いたまま立ち尽くしている。
「神岡、どうしたのあんた、まだ眠いとかほざくんじゃないでしょうねっ。しっかりしなさいっ!」
美幸が声を張り叱咤するが学は無反応。
学のその様子で、後輩である廉が突然ハッと何かに気づいた。
──── 菜華は高校ん時から付き合ってるし。合コンでも行けば?
今朝の会話を思い返す廉の顔はみるみると青ざめ、冷や汗をかきながら学に振り向き、恐る恐る震える口を開いた。
「君島....菜華....。先輩.....まさか.....まさかっ.....!!」
美幸や他の班員が不思議そうに見つめる中、学はようやくボソリと口を開いた。
「主任。それ、俺の彼女っす。」
その場の空気が一瞬で凍りついた。
地べたで作業をしていた鑑識の人間達も思わず手が止まり学を見上げる。
「なん...て....?」
美幸はあまりの驚愕さに、口からかろうじて出せたのはそれだけだった。
「せっ...先輩...だい...じょぶ...すか...。」
廉が腫れ物でも触れるかのように声をかけるが、学は変わらず無表情のまま突っ立っている。
「すみません、野次馬が増えてきました。そろそろ仏さん運ばないと。」
鑑識の1人がそう耳打ちすると、その言葉にハッとした美幸は気を取り直し、学へ向かって声を上げた。
「神岡、あんた彼女と本部に戻りなさい。ここはあたし達でやっておくから。
神岡、.....神岡!しっかりしなさい!!」
美幸の怒鳴り声に、学はハッと我に返り、その虚空を見つめる目に少しだけ光が差した。
しばらくすると、菜華は担架で捜査車両に乗せられ、無言で無気力な様子のまま、学はそれに同乗し去っていった。
「みんな、絶対このヤマ挙げるわよ....。」
走り去っていく車両を見つめる美幸の背中は重々しく、班員はいつも以上に声を張り上げた。
『はいっ!』
──────
あれから学は8日ほど休暇を取った。
恐らく通夜から葬式まで全てに出席したことだろう。
学が戻ってきても、誰もが何と声をかけたらいいのか悩んでいた。
今日も聞き込みに出ようと美幸がバックを手に取った時、係長の小野田に呼び止められた。
「高原、神岡だが....戻ったら捜査から外す。」
「...っ......はい。」
「納得のいかないようなら、何としてもお前が止めるんだ。分かるな?」
「....はい。分かってます。」
捜査する事件の被害者が捜査官の顔見知りとなれば、私情から捜査に影響する可能性を小野田は懸念しているのだ。
美幸は学の無念さを想像しつつも、致し方がないと飲み込むしかなかった。
するとオフィスの出入り口から、そいつは現れた。
「っ!!神岡っ?」
「おはざーっすっ。」
学はいつものスーツ姿にいつものバックパックを背負い、これまたいつもの憎たらしい笑顔で軽く手を上げている。
「っ先輩っ!だっ...大丈夫なんすか...。」
美幸の声でそれに気付いた廉も学に声をかけた。
「あぁ、すまんすまん休んで。ご迷惑おかけしやっしたーっ。」
学はいつものふざけた様子で軽く敬礼してはニカリと笑った。
「主任、今から捜査っすか?」
バックを肩にかけ立ち尽くす美幸に声をかけた。
「えっ....えぇ、でも神岡、あんたには別の捜査についてもらうわよ...。」
恋人を殺した犯人を追えないなど、捜査官としてはさぞ腑に落ちないだろうと、美幸は学の反論を待った。
「....そっすか、了解っすーっ。」
美幸は学の意外な反応に目を見開いた。
「係長ーっ。おはざーっすっ。俺、誰に付きゃいいっすかー?」
スラックスのポケットに手を入れながら、係長の小野田のデスクへあっさり、スタスタと向かう学。
美幸も廉たち班員も、呆然とそれを眺めていた。
─────
「長沼重忠(42)。住所不定、無職。8月の@@区の事件、先月18日に起きた☆☆区の事件でのアリバイも見つかっていません。恐らく最有力の被疑者かと思われます。今回の事件も.....」
捜査本部の置かれた会議室では、捜査員がずらりと顔を揃え、廉もそのデスクの最後列で捜査状況をメモしていた。
ふと廊下に目をやる。
捜査から外された、オフィスへ向かう学が、ポケットに手を突っ込みスタスタと通り過ぎて行ったところだった。
約10年近く付き合ったという恋人が死んだ、増してやそれが殺されたとなれば、
どんな気持ちなんだろうか。
どんな悲しみなんだろうか。
どんな痛みなんだろうか。
一体それは、どんな地獄なんだろうか。
いつもアホがつくほど能天気な、何を考えているのかさっぱり分からない学ともなれば、その疑問は更に深く追求を阻んでくる。
───待っててください先輩。絶対俺たちが犯人挙げてやりますから.....。
───────
その日の朝は慌ただしいものだった。
張り込みをしていた廉たち班員から連絡を受けた美幸は、デスクの上の書類をガサガサとバックへ詰め込んでいた。
そして係長の小野田へ駆け寄り何かを話すと、班員を連れてバタバタと走り去っていった。
そんな中デスクで作業をしていた学は立ち上がり、オフィスを出ようとしていた。
「神岡。」
小野田が呼び止める。
「はぃ?」
「どこ行くんだ?」
「....捜査っすよ捜査ー。」
「...そうか、いや、いい、なんでもない。気をつけて行け。」
「了解っすーっ。」
またポケットに手を突っ込み、軽快な足取りでオフィスを出ていく。
あまりにもいつも通りな学に安心した小野田は、山積みになった書類に再び目を通し始めた。
───────
廉たちと合流した美幸は、捜査車両の中から双眼鏡を使って店内を覗き込んだ。
「30分ほど前に現れました。あれ、あのグレーのニット帽のやつです。恐らくただの買い物に来たんでしょうけど...。」
廉がそう説明すると、美幸は更に目を凝らした。
ショッピングモールへ立ち寄った男が店内の商品を自分のバックへと突っ込んだのを目撃。
「好都合だわ。」
美幸の合図で車から降り、レジを通さず出てきた男に声をかけた。
「すみませぇん。カバンの中身拝見出来ますぅ?ちょっとこちらへどうぞー。」
美幸はそう言って、買い物客の邪魔にならない駐車場の端へと誘導した。
男は走り出そうと一歩踏み出したが、全方位を班員達が取り囲んでいる。
「ちょっと失礼しますよーっ。はい、これ、レジ通しました?あたし見てましたよー?一部始終。」
男はバックを投げ捨て逃げる隙がないかキョロキョロと見回している。
「ついでに別件ですがあなた、この方ご存知ないですー?」
美幸は内ポケットから菜華の顔写真を取り出し男へ向けた。
「ちっ!」
男は見覚えのある顔に舌打ちして、美幸を羽飛ばそうと飛びかかるが、班員たちがそうはさせない。
「長沼重忠。連続婦女暴行殺人の犯人はあんたね。署まで同行願えるかしら。任意じゃないわよ。万引きについては現行犯だからね?」
廉たち班員に羽交い締めにされ、抵抗する長沼は叫んだ。
「るせぇっ!全部世の中が悪りぃんだ!こんな世の中じゃ人だって殺したくもなるわっ!その女だって、散々苦労して生きてきた俺の目の前を幸せそうに歩きやがって...目障りだったんだよっ!」
「目障りなら殺していいなんて法律はないっ!」
「うるせぇっ!俺がどれだけ惨めで悔しい思いをして生きてきたか、そんな浮かれたような女には分かんねぇだろうよ!そんな目障りなやつらを俺の目の前から消してやっただけだ!」
「ふざけんじゃないわよ...!あんたの勝手でどれだけの人が悲しんだと思ってんのよっ!」
「悲しいのは俺の方だっ!あんた達はいいよなぁ?警察って下っ端でも給料いいんだろっ?苦労しなくて羨ましい限りだわっ!俺みたいな底辺なんてっ...体壊すくらい働いたってお前らの半分も貰えてるかどうかだ!なんっ..だこれっ...!同じ人間なのになんなんだよこの世の中はよっ!」
そう言い争うと同時に、長沼は羽交い締めにする班員の股間を蹴り上げた。
「ぁ”っ!!」
拘束が緩んだ隙に美幸を思い切り張り倒すと、突然長沼は走り出した。
スーパーのその広い駐車場へ逃げ出す長沼を、班員たちが慌てて追おうと走り出した、その時だった。
───パンっ...
その音と共に長沼は、駐車場のコンクリートへと倒れた。
長沼の頭からみるみる赤黒い血が流れコンクリートを伝っていく。
全員がその音の発生元へ目を向けた時の絶望は計り知れない。
そこには、長沼へ撃ったばかりで煙の立ち上る銃口を向けた、学が立っていたのだから。
「せんぱ.....。」
廉の口から零れるように発した声は、駐車場にいた買い物客の悲鳴でかき消された。
班員がすぐに長沼へ駆け寄るが、銃弾は完全に脳を貫通し、目を見開いたまま絶命していた。
「主任...ダメです...。」
班員の言葉に、呆然としかけていた美幸は我に返り声を張った。
「神岡!なんで居んのよ!」
「やだなぁ。忘れたんすかぁ?俺らはGPSで居場所が把握出来るじゃないっすか。」
学は少し寂しげに微笑んで答えた。
「神岡....銃を下ろしなさい。あんた、何したか分かってんの?」
美幸はゆっくり学との距離を詰めながら冷静を装って話した。
「分かってますよ。」
学は微笑みながらそう言うと、その銃口を今度は自らのこめかみに充てた。
「っ!!やめなさい神岡、あんたの気持ちはよぉく分かる、あたしだってこいつを殺してやりたかった。でも、こんなことしたって彼女は戻ってこないのよっ?ね?」
学はやはり少し微笑みながら、静かに口を開いた。
「すみません主任。俺のせいで始末書もんっすね。でも俺後悔はしてないっす。
死んだって俺はきっと地獄行きだ。天国にいる菜華には会えねぇ、それも分かってる。
これでいいとも思ってねぇけど、これで気が晴れたわけでもねぇけど、
それでもどうしても収まらなかった。
この感情を収める場所なんて、どこにもなかったんすよ。」
学は引き金に指をかけた。
「先輩っ...やめてください...やだ...嫌っすよ先輩!」
廉は必死に声を張り制止を試みた。
「ごめんな廉。俺はお前が思ってるほどかっけぇ先輩ではねんだわ。」
廉はボロボロと泣き始めた。
美幸も涙を堪えたような震えた声で尚も続けた。
「神岡、....お願いだからやめて。ホントに...やめて、あんたまで死んだら....彼女悲しむわよ...。あたしたちだって....。」
「ははっ...悲しんでくれんすかぁ?まぢで嬉しいっすよ。サンキューな主任、みんな、またどっかで会おうぜ。」
そう言って覗かせるお馴染みの八重歯に、全員が胸を締め付けられるような痛みを憶えた。
─────
「ねぇ、まな。」
「ん。」
「あんた結婚て言葉知ってる?」
「いや、知ってるわ。」
「いや、知らないわ まな は。」
「........分かってるって。分かってるから。」
「分かってない。」
「わか....分かった、ちょっと待て。」
「どんだけ待たせんのよ。」
「ちが....まだ届かねんだよっ。...あ。」
「何が?」
「いや何でもな....」
「何がよ。」
「何でもねぇしもうちょい待ってホントに。」
「いつまでよ。」
「明日まで。」
「なんで今日じゃだめなのよ。」
「だか....はぁ...明日になれば分かるからさ、頼むよ。」
「........分かった。明日ね。」
「うん。明日。」
「......明日ねっ!」
「大丈夫だっつの心配すんな、必ず言うからちゃんと。待ってろってホント。」
「明日だからね!」
「しつこっ。」
────────
「神岡、やめてっ...やめてっ!」
「せんぱぁぁあーーーいっ!!!」
皆が呼び止める中、学は2つの指輪をポケットの中で握りしめながら、最後に一言だけ添えた。
「ありがとな。そんで、ごめんな。」
そう力なく微笑み、学が引き金に力を入れた、その時だった。
「やぁ。神岡学くん。」
学の目の前に突然、白髪の男が黒い翼を羽ばたかせ舞い降りた。
TO BE CONTINUED…
.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます